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【江戸時代小説/男色編】

【江戸時代小説/男色編】失水の魚共 ~逃避行~

作者: 穂高

 ふたりに時間は残されていなかった。

 相生(あいおい)が殺されたと知れ渡れば、稽古に来ない主水(もんど)冴桐(さぎり)が疑われるのはごく自然のことだった。

 追っ手から逃れるために少しでも距離をかせがなければならない。

 けれども主水は血だらけであったので、着替えるためにも一度、主水の屋敷に寄らざるを得なかった。

 それからほんの少し眠り、夜明け前には屋敷を出た。

 家も財も名声も、そのすべてを置いてゆかねばならなかった。

「わたしはとんだ親不孝者だ……」

 そうつぶやく主水は、だんだん見えなくなっていく(おの)が育った屋敷をしみじみと見つめていた。

 一方、そんな主水の手を引きながら歩く冴桐は前だけを見ていた。

 冴桐はきっとこうするほかなかったと(おのれ)に言い聞かせた。

 どちらかがあの場に残って後始末したならば、わたしたちは不幸になっていた。自ずから殺されにいかずとも、罪人となって逃げるほうが、わたしたちは一緒になったままでいられる。いくらかの時間、幸せなままでいられるのだ。

 日が昇り、外が町の人でにぎわう頃、稽古に来た門下生が相生の死体を見つけ、大騒ぎになった。

 役人は四方八方、手を尽くして犯人を探したが、ふたりが見つかることはなかった。

 しかし、逃亡生活も楽ではなかった。

 主水も冴桐も、なにもかもを捨ててきた。

 主水に至っては、侍の魂である刀剣さえもだ。本当は持ち出したかったが、刀剣を持とうとすると主水の手は震えて(つか)を離してしまうのであった。

 魂を失くした侍は抜け殻だった。

 現に主水は以前のような立派な男の影を失い、元気をなくして、息をするだけの人形のようにまでなっていた。

 そんな主水を冴桐が面倒をみており、ふたりは江戸から離れた山里で質素な生活を送っていた。

「では、わたくしは隣民家の畑仕事を手伝いに行って参りますゆえ。なにかあれば、お声かけくだされ」

 冴桐は近所のひとの田畑の仕事を手伝うことで野菜やら米やらの食材を得ていた。

 そんな暮らしをして七ヶ月が過ぎた頃、この日は祭りが催されるというので、ふたりで見に行くことにした。

 しかし外はとても肌寒く、朱に色づく木々の葉は風に散りゆき、この山里にももうすぐ冬が来ようとしていた。

 冴桐は主水の体調が心配だった。

「お体が悪くなるといけませんから、どうぞこれを」

 羽織物を一枚肩にかけたが、 生地は薄く、あってもないようなものだった。

「すまぬな。なにからなにまで、世話をかけてしまって」

「いいえ。わたくしたちはふたりでひとつですから」



 祭りの屋台を見てまわり楽しんで見ていると、ちらほら侍の姿が見えた。

 冴桐はもしや江戸の役人ではと肝を冷やしたが、どうやら違うらしく、杞憂に終わった。

 そう、江戸から逃げたあの日から、冴桐は周りが気になって仕方なかった。

 侍がいると江戸の役人かと疑い、自分が昼間に隣近所の手伝いをしに行って主水のそばにいないときは、主水にはできるだけ外に出ないよう頼んであるくらいだった。

 しかし、主水に至っても罪から逃げたという罪悪感と戦っているようで、時々悪夢にうなされている。

 そういう義兄の姿を見ると、あの日逃げたことが正解だったのか、本当に自分たちは幸せなのかと疑問に思えてくる冴桐だった。

「主水殿」

 冴桐はある夜、主水が寝つく前に提案した。

「明日、少しばかり遠出して、町へ行きませぬか」

 主水はいったいどうしたのだろうと思ったが、いつも冴桐ばかり働いて申し訳ないという気持ちもあり、冴桐にとって羽を伸ばせるよい機会になるだろうと了承した。

 翌日、久々に町に出てきたふたりは少し江戸にいた頃のことを思い出した。

 こんな活気あふれるところに以前はいたのだなと、主水は江戸が恋しくなった。

 冴桐は主水の手を引き「主水殿、わたくし、厠へ行って参りますゆえ、ここで少々お待ち願いたく……」と、茶店の表に座らされ、冴桐は店のひとに「茶団子三つと茶を一つくれ」と注文して主水が有無を言う間もなく姿を消した。

 主水は気持ちよく晴れ渡る空を見上げながら、雲が風に流されてゆくのをのんびり見ていた。

 そのうちに茶団子と茶が運ばれてきて、主水はそれを食べずに冴桐が帰るのを待った。

 しかし、半刻たっても一刻たっても冴桐は帰ってこないので、仕方なく先に茶団子に手をつけ、冴桐が戻ったのは団子は腹の中で茶も飲みきったあとだった。

 「遅かったじゃないか。体調がすぐれないのかい、平気かい」と、主水が心配して尋ねると冴桐は「いやはや、選ぶのに時間をくってしまって」となにやらわけのわからないことを言う。

 主水が首をかしげていると、冴桐は「どうぞ、これを」とある物を差し出した。

「これはっ」

 主水は息をのんだ。

 それは打刀だった。

「いったいどこでこれを……」

「実は育てた野菜を売って金子(きんす)(お金)に替えておりました。刀剣は侍の魂と仰っていたので、これがあれば主水殿の精神の支えになるやと思うた次第でござりまする」

 主水はほほえみながら照れくさくいう冴桐を抱きしめたくなる気持ちを抑え、礼を言った。

「ありがたき幸せ。恐悦至極に存ずる」

 冴桐は主水が今までにないくらい笑顔でいるので、贈り物をして本当によかったとこころから思うのであった。

 ふと、主水は冴桐がもう一本持っていることに気づく。

「おい、それはいかがした」

 冴桐が持っているのは竹刀だった。

「自分も腕がなまってはいけないと思い、素振り用にと思いまして」

 おおよそ主水に渡す刀剣の分で金子が尽きてしまったのだろう。そう予測した主水はなんだか心苦しくなって、うつむいた。

 「わたくしの腕で刀剣などまだまだでござりまする。まずは竹刀で特訓せねば」と明るく振舞ってみせた。


 *


 ふたりが幸せに笑いあっている頃、江戸を中心としてあちこちで、ふたりの人相書が配られ始めた。

 そして兄の仇討ちと立ち上がったのは、冴桐の幼馴染みの生賀(いおり)である。

 生賀は兄の相生を殺したのは、きっと主水と冴桐のふたりに違いないと、冴桐と幼馴染みのことなど忘れ、(おの)が手で葬るつもりでいた。

 生賀は四、五人連れ、ふたりの足取りを追っていた。

 そしてついに、ふたりが暮らすとうわさに聞いた山里にたどり着いたのだった。

「兄者の無念、必ずやこの生賀が晴らしてみせまするぞ」


 第二譚『逃避行』 終

第三譚に続く。

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[気になる点] プロの方ですよね(>_<)
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