逆蜘蛛の糸(三十と一夜の短篇第58回)
死語と差別語と時代遅れのダジャレでできた山を軽く掘ってみると、出るわ出るわ。
『ちんば』『アベック』『インディアン、嘘つかない』『当たり前田のクラッカー』『ちびくろサンボ』『ハイル・ヒットラー』。
金田一先生は言葉は生き物で生まれもすれば死にもするとおっしゃったそうだが、言葉たちがまさかこんなふうに捨てられているとは思うまい。
ここは言葉のゴミ捨て場。必要なくなった言葉や存在してはいけない言葉を捨てる場所だ。
こうして言葉の山を掘ってみると、おやおや、これは。『スチュワーデス』がでてきた。飛行機で客の面倒を見てくれるオネエサンたちの名前も必要ないってか? じゃあ、あのオネエサンたちはいまなんて呼ばれてるんだろう?
わたしは天を仰いだ。黒い空に固定されたひとつのまばゆい太陽。あれがゴミ箱の入り口。言葉はあそこから捨てられ、ここに落ちてくる。だが、そのプロセスは一方通行でこちらから外の世界を知るすべはない。
まあ、もともと人嫌いだからここにいるのもあるが、しかし、捨てられた言葉を見ていると、ときどき「おやおや、これを捨てて、世のなかをどうまわすつもりなのだろう?」といらん心配をすることがある。
とはいえ、ここから外の世界に働きかけることはできないし、見たいとも思わない。
ここでの暮らしは単純だ。こうやって言葉のゴミのなかをうろつき、気に入った言葉を家に持ち帰る。どうだい、『ナウ』で『ヤング』に大人気の暮らしぶりだろう? アハハ。
ここでは年月など意味をなさないし、富とか権力とかも意味をなさない。死んだ言葉、死ぬことを強制された言葉があるだけだ。ここには上の世界でひと言こぼしただけで、その人が破滅する言葉もあるが、わたしにはただの言葉、音の連なりに過ぎない。音に罪はない。そこに罪を感じるものだけに罪がある。
ここにいると、読み物に困らない。ときどき内容が差別的だとか、表現が差別的だとかで小説がまるまる一冊落ちてくることがある。ただ時代が古いだけのこともあれば、時代そのものを揺さぶってやるというただの偽善者嫌いの作もある。全部が全部面白いわけではないが、ただひとつ間違いないのはここに捨てられた小説に普通のものは存在しない。
あの日もこうした小説を読んでいた。題名は『テロルの息吹』という大正時代に書かれた小説で作者は忘れたが、内容はある右翼活動家の青年が実は同性愛者であり、極右組織のなかで男同士の恋だの愛だのがどーたらこーたらするもの。話の筋を追うのはとっくにやめていて、これの何がいけなくて、ここに捨てられたんだろうとぼんやり考えていた。
そのとき、窓の外で何かがキラッと光った。
また、何か言葉が捨てられたのだろう。天に開く穴は実際、ゴミ山全体を照らすだけの光量があり、捨てられた言葉はまるで最後のあがきでもするみたいにキラッと光る。ゴミに埋まるのを嫌がるようにだ。
さて、どんな言葉が捨てられたのやら。
ゴミ山のてっぺんへ上り、真新しい廃棄物を見る。
そこには『哀しい』が捨てられていた。
家に帰って、拾った『哀しい』を見る。
これは本当なのだろうか。上の世界で人類がまるっとハイテンションになり、全裸ではしゃぎまわっている画が浮かんでくる。いや、まあ、全裸はわたしのつけたしだが。
考えうるのはマリファナの全世界解禁だろう。ボブ・マーリーは言った。「これはハーブさ。ハーブを規制するのかい?」
わたしは哀しいを言葉四つ分、空きがある棚に飾った。ひょっとすると、四つ揃うかもしれない。
揃ってしまった。
『喜ぶ』『怒る』『楽しい』が捨てられてきたのだ。
これは上の世界でのっぴきならない出来事が起きているようだ。
だが、そんなわたしの戸惑いをあざ笑うように言葉が捨てられてくる。
『愛しい』『嬉しい』『仲間』『友だち』『親子』『空』『珊瑚』『のどか』『間違い』『自由』。
なくなったら困るであろう言葉、代替のきかない言葉が次々と落ちてくると、それと同調して、小説が落ちる量が異常なほど増えた。
『銀河鉄道の夜』『高慢と偏見』『羆嵐』『ぼくらの七日間戦争』『レ・ミゼラブル』『西遊記』『1984年』『ホテル・ニューハンプシャー』『ワーニャ叔父さん』『骨狩りのとき』『世界の果てのビートルズ』……。
上の世界は一年がかりで様々な言葉と様々な小説を捨ててきた。
人嫌いだが、気の小さいわたしはすっかり気味が悪くなって、いまでは新しい言葉が捨てられるたびに上の世界のことをあれこれ考えて、嫌な気分になった。
『哀しい』が落ちてきて、ちょうど444日後、ついにとうとう『わたし』が落ちてきた。
上の世界では『わたし』が必要ではなくなったのだ。
いったい、どうなっているのだろう。
そこで、わたしは捨てられてもおかしくないのに一向に捨てられてこない言葉たちのことに気がついた。『普通』『幸福』『全員』『管理』『制御』『正義』。
世界で何が起きているのか、その予想に血肉が付き、魂が宿ると、そこには大したディストピアがテクノカラーでわたしの目の前に広がった。
もう、この世界で『わたし』はわたしだけなのだ。ゴミ箱のなかを世界として数えたらのことだが。
そのとき、一冊の薄い本が落ちてきた。
『蜘蛛の糸 芥川龍之介著』
わたしは家と納屋のガラクタをかき集めて、ロケットの発射台のようなものをつくった。種子島宇宙センターとまではいかないが、わたしの目的を果たすには十分なロケット基地だ。
ロケットの頭には大きな錨が逆さについていて、長いロープが結んである。
百円ライターで導火線に火をつけると、ロケットはキチガイのような音をあげて、黒い空にかかる太陽へと飛んでいった。ロケットがみるみる小さくなり、ロープはキチガイのように暴れながら空へと伸びていく。
ひどく遠くから、かすかだが、カキンという音がした。
ロープが暴れるのをやめた。
わたしはロープを軽く引っぱった。次に強く引っぱり、次にそこいらじゅうの言葉をポケットに詰めてロープにぶらさがったが、ロープはびくともしなかった。
わたしはそのロープのそばで座り、煙草を吸いながら待った。
「降りてこい。ここに降りてこい。ここには言葉がある。なんでも言える。なんでも書ける。だから、降りてこい」