7. 私設秘書官の記憶と日記
電話を切ってから15分くらい経つと、独裁者が捕まったというコメントがSNSのタイムラインに溢れた。
命がけの鬼ごっこはどうやら終わり、我らが独裁者、私に言わせれば誇大妄想気味のアホなのだが、彼は捕まったらしい。
生け捕りなのか、それとも殺されたのかが問題ではあったけれど、最悪の事態を考えておいた方がいいだろう。
正直、うちのボスはアホだと思う。
独裁者とは違ったベクトルのアホだ。
独裁者は自分の能力を過剰に評価し、明日にでも世界を壊せるくらいの万能感にあふれているのだが、うちのボスはその逆である。
世襲議員としての性なのか、随所に甘さが見られて、物事を決められず、情に流される。
それでも10年近く議員をやっていられたというのだから、この国の指導者層の質が推して知れる。
独裁者と、目端の利くその取り巻きからしたら、この程度の連中に運営されている国を乗っ取ることなんて簡単だっただろう。
私設秘書官としての私が、自分の野心のために彼の政治家としての立場を乗っ取ろうとしているのと同じように。
「まだ生きているんですかね?」
執務室に据えられたテレビは首相官邸を映している。
さっき、うちのボスの前任者が落ちていった高窓に、小さく人影が右往左往しているのがわかった。
「どうだろうな。
生きていて、降伏を宣言し、革命軍に権限を委譲することを発表するかもしれない。
そうなれば、革命軍にとってお飾りの首相はもう用なしだろう。」
そう言って、ボスはため息をつく。
自己憐憫を感じさせる、何の役にも立たない大きなため息だった。
「とりあえず、革命軍の首領に電話してみてはいかがですか?
現状の確認をすれば、交渉の余地があるのかどうか判断するための材料が増えます。」
ボスは私の言葉に頷き、去年私がアメリカから密輸したスマートフォンを操作する。
ほどなくして電話は繋がる。
ボスは立ち上がり、窓際に寄って、カーテンの隙間から外を窺う。
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うちのボスの家が代々世襲議員だったのと同じように、私の家は代々私設秘書官を生業にしている。
仕えていた相手はその時々で違うものの、一貫して、お偉いさんが表立って動けない時に裏で手を回し続けてきたのだそうだ。
祖父の代からそんなことをやっていたせいか、長年の協力者がそこら中にいて、ひっきりなしに家を訪ねてくる。
アメリカに行く前までの私は、そんな家の中でうさんくさそうな大人たちに囲まれている父を見て育った。
父は祖父と言っても差し支えないような年齢で、母とは20歳以上の年齢差があった。
どうも、2回目か3回目の結婚だったらしい。
自分の他にも兄弟がいるのだという話を知ったのはアメリカに行ってからのことだったから、父に直接問いただしたことはない。
というより、アメリカに来てから、父と話した記憶がほとんどない。
毎年の短い帰省の際と、時々の電話くらいのものだろうか。
思春期だったのと、男親だったのと、色々なことが重なって、私は父と顔を突き合わせてじっくりと話をする機会を持たなかった。
だから、父のことについては、彼の後を継いで私設秘書官になってから、残された書類や領収書の束、それに毎日つけていた日記を通して知ったことがほとんどだ。
6歳の時に父と母が話し合い、母と私は一緒にアメリカに行くことになった。
母から直接聞いた時は、教育のためだったということだったけれど、日記や書類を見ている限りでは、どうもアメリカにある資産の管理のために代理人が必要だったというのが大きかったようだ。
母はアメリカで親戚と同国人のコミュニティに守られながら私を育てた。
おかげで私も母国語を話すことができる。
それでも、あれから20年近くを過ごしたアメリカと比べて、どうにも母国に対して心理的な距離があった。
帰省する母に連れられて、毎年必ず二週間はそこで過ごしていたのに、どうにも居心地が悪くて、本を読んだりラップトップをいじって過ごしていたのを覚えている。
誰かに会って話すような機会も、できるだけ避けていたのだが、ある日父に言いつけられた母が私を無理やりパーティーに連れ出した。
その時に、まだ20歳になったかならないかくらいの年齢のボスに会っていて、将来私を私設秘書官として雇うから勉強を頑張れと言われたらしい。
思春期に至るまでの私に行儀よくするよう言うとき、母がいつもその話をしていた。
私はボスに会って話をしたことを覚えていないのだが、父の死に際して私設秘書官として押しかける時に、体のいい言い訳として使わせてもらった。
どうもボスも覚えていないようだったので、本当にそんなことがあったのかどうかは今もってわからない。
父の日記にも、パーティーに私を連れていったことは書いてあったものの、そんなやりとりがあるとは書いていなかった。
父の日記はこれまでに何度も読み返した。
うちのボスが大学を卒業した後、訴訟を担当しない名ばかりの弁護士としてボスの父親の仕事を手伝い始めた頃からの部分は、特に念入りに。
当時のボスは、どうもボスの父親の秘書のような役回りをしていたらしい。
まだ歳若いボスが、秘書としては先輩である私の父に指示を仰いでいたとしか読めない記述がいくつもあった。
それに、私の父が経験の少ない秘書だったボスがやらかしたミスをフォローするエピソードも。
父からしてみれば、後輩として入ってきた上司の息子に教育をするというのは、やりにくくて仕方なかったようである。
その4年後、ボスが秘書をお役御免になり、外国資本の石油採掘会社の社外取締役として出向することになった際には、とても喜んでいる様子がかなりあからさまに書いてあった。
それからボスの父親である先代の世襲議員が急に亡くなるまでの3年、社外取締役という肩書のせいでスケールアップしたボスのミスのフォローに奔走されるのは変わらなかったのだが。
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感情的になっているのだろうか、さっきから何年前とか、そんなことばかりが頭に浮かぶ。
うちのボスは窓際から離れて執務机の横の椅子に座りなおした。
電話はまだ繋がっているようだ。
私は、革命軍首領と交渉することができたとして、今から何ができるかを考える。
身の安全を確保するという意味では、独裁者のアホが使うつもりだった脱出用のヘリか飛行機を確保して、うちのボスを空に逃がすのが一番現実的だ。
その手の場所は既に何か所か把握していて、移動するための車も手元にある。
移動の間の危険がなければ、今すぐにでもそうしたいところなのだが。
「話がまとまったよ。」
いつの間にか通話を終えていたボスは、考え事をしていた私に声をかけた。
「30分後に幹線道路の検問所手前のバス停で、西側の報道機関のチームと合流。
独立広場に移動して、革命軍と一緒に記者会見。
そこで首相から軍への権限の委譲を宣言。
その直後に独立広場をジャーナリストたちと一緒に脱出して、飛行場からヘリに乗って隣国に移動、その後はご自由に、という段取りになった。」
「随分きっちりまとまってる計画ですね。
どこで暗殺をしかけてくるつもりなのか。」
「一応そのつもりはないらしいよ。
お前ごときいつでも好きにできるって言われてしまったよ。」
そう言って、ボスは苦笑した。
もし、いたたまれない笑顔が似合う人の大会でもあったら、きっと今のボスはかなりいいところまで行けるだろう。