6. お父さんは故郷で革命を
仕事が忙しいのと体調を崩していてアップロードしそこないました。
大学を卒業し、海軍で働き始めてちょうど2年が過ぎた頃に、お屋敷で働いていたメイドの子と籍を入れた。
メイドの子を迎えに行きがてら地元に帰って、両親と、それから坊ちゃんのお父さんに報告に行ったら、結婚祝いだということで腕時計をもらった。
「スイス製の自動巻きの時計だから、どうしようもなく金に困ったらこれでどうにかするといい。」
何年か前、僕を見下ろしていた坊ちゃんのお父さんだったが、あれから急に背が伸びせいで、その時にはすっかり僕が見下ろす側になっていた。
僕が黒い革のベルトの腕時計をありがたくもらう横で、奥さんになったメイドの子も白っぽい金のネックレスを坊ちゃんのお母さんからもらっていた。
お暇しようとしたら、親父がこそこそ近寄ってきて、無言で包みを渡してくれた。
子供の結婚祝いを買うような親じゃないと思っていたので、随分びっくりしたけれど、包みを空けたら中には銃が入っていた。
スミス&ウェッソンのM&Pで、細かい傷が所々にあったので、中古だったんだと思う。
奥さんには見せずに、鞄の底にしまって任地まで帰ったけど、何だか落ちつかなかった。
まあ何ていうか、結婚祝いに相応しい品物じゃなかったよね。
新婚生活で銃が必要な局面とか、できれば起こらない方がいい。
そういう物をお祝いであげちゃうのが親父らしかったけど。
結婚したので海軍の独身寮を出て、任地最寄りの町で家を借りた。
寝室とキッチンダイニングが1つずつの、シンプルな家だったけど、僕はすごく誇らしかったのを覚えている。
メイドの子はそれからあっという間に妊娠して、子供を産んだ。
そのサイクルは6年の間に3回繰り返されて、あっという間に3人の子供の父になった。
そうこうしている間に僕も昇進して、気が付いたら中尉になっていた。
子供を育てるために収入が必要だから、もうその頃にはすっかり軍で一生を終えるつもりだった。
もし、もしも、2人目の子供が生まれる前に兄貴が軍を除隊になっていることを知っていたら、どうしていただろうかと考えることが時々ある。
兄貴が軍に入ったから、僕も軍に入った。
兄貴は結婚せず、僕は結婚して子供を設けて、軍に残った。
僕が知らないうちに、兄貴とは違う道を進んでいたわけで、それは正直僕としては納得がいかなかった。
と言っても、僕が納得しようがしなかろうが、兄貴は全く気にしなかっただろうけれど。
兄貴は軍歴7年目にして軍を辞めて、海沿いのリゾート地で限りなくグレーなサービス業を始めた。
僕がそれを知った時には、既に兄貴が除隊してから2年が過ぎようとしていて、リゾート地のチンピラどもにすっかり顔が利くようになっていた。
3人目の子供が男の子だったので、兄貴の名前を付けたいと思い、一応了承を取ろうと思って陸軍に連絡したのだが、あなたのお兄さんは2年前に除隊済みだと言われた僕は、親戚や知り合いに兄貴の行方を聞いて回った。
親父も坊ちゃんのお父さんも教えてくれなくて、これは探偵でも雇った方がいいんじゃないかと思い始めた矢先に、坊ちゃんから連絡が来て、兄貴のいる場所を教えてくれた。
合衆国を始めとする世界中の金持ち達が好きそうな、白い砂の真っすぐなビーチのある場所で、マイアミだったかサンフランシスコだったかからやって来るクルーズ船も泊まるのは、行ったことのない僕ですら、軍の先輩や同僚に聞いて何となく知っていた。
何とか休みを取って早速リゾート地に行って、片っ端からバーに入って、兄貴の写真を出して、この人を探しているんだが知らないかと聞いて回った。
そうしたら、何軒目だったかのバーで、何だか顔に傷のある胡散臭い奴らに絡まれて、店の中で乱闘になってしまった。
こんなことを言うのはあれだけど、ただのチンピラが軍人相手に何かするには、銃がないと無理だ。
きっと、兄貴のことを嗅ぎまわってるやつをちょっと驚かしてやろうとしただけだったんだろうけど、結果的には向こうが驚く羽目になってしまった。
乱闘が一通り終わった後、ほぼ間を置かずに店の入り口のドアが開いて誰かが入ってきた。
ジーンズに白いシャツ。
短く切りそろえた髪。
飾り気のない服装。
軍を辞めてからしばらく経つにもかかわらず引き締まったままの体。
「久しぶりに弟が来たって聞いたから、ちっとばかり歓迎してやろうと思って人をやったら、随分手加減なくやってくれたじゃねえか。
こいつらがしばらく使い物にならねえと、結構困るんだがな。」
「おかげでちょっと楽しかったよ。
この人たちにも楽しんでもらえたんじゃないかな。」
「海軍仕込みのマーシャルアーツをか?
我が弟は、ちょっと見ない間に随分口が達者になったみたいだな。」
「軍人には口の上手さは必要ないけどね。
それに、この人たちが先に絡んできたんだから、自業自得だよ。」
兄貴は後からついてきた若い男たちに、床で転がっている連中の世話を焼くように指示を出すと、カウンターの宿り木によじ登って腰を落ち着けた。
「で、何飲むんだ?」
「何でもいいかな。
兄貴は?」
「テキーラ、レモンと塩で。
昔話をするなら景気づけが必要だからな。」
「そういうもんかな?
とりあえず、僕も同じものを。」
兄貴と話すのは、5年か6年ぶりくらいで、近況を伝えるのに何十分も時間がかかった。
結婚した時に電話で話して、それっきりだったから、僕に3人目の子供が生まれたことを伝えたら、兄貴はすごく驚いていた。
「知らないうちに3人の子供の伯父さんか。
そりゃ俺も歳をとるわけだな。」
3人目に兄貴の名前を付けたいと言ったら、こんなチンピラの名前でいいのかよ、と照れ笑いを浮かべながら、兄貴は快諾してくれた。
「ま、子供がでかくなった時に、あんな犯罪者同然の伯父と同じ名前は嫌だって言い出しても責任は取らんから、そこんところはわかっとけよ。」
「そんなことにはならないんじゃないかな。
僕は兄貴が何か大きなことを成し遂げるって信じてるし、子供もそんな兄貴の名前を受け継いでるのを誇りに思うようになるよ、きっと。」
僕の返答に、兄貴は茫然とした顔をして、それからおもむろに僕の首根っこを掴んで脇腹を殴った。
もうその頃には僕の外腹斜筋はすっかり仕上がっていたから、別に大してどうということはなかった。
いつものトレーニングに比べたら軽いもんだった。
でも、痛くないのが、何だか寂しかったような記憶もある。
何で脇腹を殴られて痛くないのが寂しいのか、自分でもよくわからなかったけどね。
その時生まれた子供はもう7歳になった。
2年半くらい顔を見ていないけれど、今頃はマイアミ郊外の住宅地で、暖かくしながら眠っているはずだ。
2人のお姉ちゃんたちは、11歳と9歳か。
上の子は、もう分別もつく年齢だし、ひょっとしたらさっきの中継を見ていたかもしれない。
末の子が革命軍首領と同じ名前を嘆くよりも、上のお姉ちゃんが革命軍の幹部である父親を毛嫌いする方がありそうな話だ。
メイドの子は、再婚した相手と上手くいっているだろうか。
確か、再婚相手とは坊ちゃんの紹介で知り合ったと聞いた。
僕と一緒にいて、革命騒ぎに巻き込まれるよりも、ずっと平穏に暮らしていけるだろう。
これでいいはずだ。
お母さんと子供たちは、合衆国で幸せに過ごす。
お父さんは兄弟と一緒に、故郷で革命を起こす。
兄貴が大学に行ったから、僕も大学に行った。
兄貴が軍に入ったから、僕も軍に入った。
兄貴が革命軍に参加したから、僕も革命側に回った。
兄貴が革命なんて志さなければ、こんなところでこんなことはしていなかった。
不意に、坊ちゃんのことが無性に懐かしくなった。
もう少ししたらまた兄貴に電話をかけてくるのだそうだ。
兄貴の代わりに僕が電話に出たら、何かの間違いで、学生時代みたいに軽口を叩けたりしないものだろうか。
何でこんなことを考えてしまうんだろうな。
今や、気軽に楽しく話せる相手がいないのは、坊ちゃんじゃなくて僕の方なのかもね。
次話、3月3日(水)までには何とか更新したいです…