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5. スポークスパーソンの外腹斜筋がまだ柔らかかった頃

 電話を切った後、兄貴は僕の首根っこを掴んで、脇腹を殴ってくる。


「何を呆けた顔をしてやがる?

インタビューはそんなに面白かったか?

俺の顔はそんなに面白かったか?

ええ?

今度そんな間抜けな顔してやがったら、真っ裸でプレスリリースをやらせるぞ?」


 兄貴の拳に叩かれる痛みは、普段やってるドラゴンフラッグで外腹斜筋に入る刺激に比べれば、猫に撫でられているようなもの。

 むしろ気持ちよくすらある、と言ったら引かれてしまうかな。

 でも気持ちいんだから、しょうがないよね。

 僕は何でこんなに兄貴のことが好きなんだろうと時々不思議になる。

 兄貴が大学に行ったから、僕も大学に行った。

 兄貴が軍に入ったから、僕も軍に入った。

 僕の方は海軍だったから、陸軍に入った兄貴とは全然違うことをやってたんだけど。

 それに、兄貴が仲良くしてなけりゃ、坊ちゃんとも仲良くしてなかった。

 これについては、兄貴に言わせると、どうも違うみたいなんだけど。


 もう随分昔のことで、思い出すのも難しいけれど、坊ちゃんは兄貴たちがサッカーをやっている間、年下の子たちの面倒見てくれていた。

 僕もそんな年下の子たちのうちの一人で、坊ちゃんに何度かチョコレートをもらったことを覚えている。

 年上の子たちのチームに入れてもらえないから、そのうち僕らは僕らでチームを作ってサッカーをやろうってことになった時、どこかからボールを持ってきてくれたのは 坊ちゃんだった。

 まあ、ありがたいよね。

 その頃は、兄貴たちと毛色の違う坊ちゃんのことを、大人しくて分別のある近所のお兄ちゃんだとしか思っていなかった。

 だから、17歳になった坊ちゃんが、自分は来年から大学というところに行くのだと何気なく行った時、不思議な気分になった。

 その時の僕は14か15で、大学っていうのがどういうところなのかわかっていなかった。

 大人も含めた周りの人に大学はどこにあるのか聞いたんだけど、誰も上手く答えられなかったから、無理のないことだったんだけど。

 それでも、自分の周りの人が誰も経験したことのないことをするために、どこか遠くへ行くのだということはわかった。

 その考えは僕の頭の中に強く残ったんだ。

 なんでなのかはわからなかったけどね。


 どういうわけか、兄貴も坊ちゃんと同じ大学に行くと言って地元を離れたから、僕の毎日は途端に味気なくなってしまった。

 それで、何となく家に帰りたくなくて、夜に通りをブラブラするようになったら、去年まで兄貴と同じ学校に通っていた年上の女の子たちに声をかけられるようになった。

 最初は他愛もない話だったのが、何でかわからないけど家に来いとか、たまり場に来いとか言われて、ビリヤードをしたり、ダンスのステップの練習をしたりした。

 そんなことしてたら、そのうちに妙な気分になって、まあお察しの通り、彼女たちとなるようになった。

 今から思えば、避妊の手段もないのによくそんなことをしていたなって考えてしまうけど。

 もちろん、そんな甘い考えで、いつまでも中途半端なことなんてしてられないんだけどね。


 ある日、いつも通り夜に通りをブラブラしていたら、お屋敷で働いているメイドの子に会った。

 バス停のベンチの端っこに腰掛けている彼女の目が赤く腫れていて、明らかに泣いた後っていうのがわかった。

 僕は道端でおっちゃんが売ってるココナッツの実を2つ買って、殻を少しだけくりぬいた片方にストローを差して彼女にあげた。

 こういう時は甘いものがいいよねって言って、彼女の隣に僕も腰掛けた。

 しばらく一緒に座って、ココナッツジュースを飲んでいたら、遠くで雷が鳴って雨が降り出した。

 風も出てきたせいで、一応屋根が付いているバス停のベンチにも雨が横殴りで降ってきたから、これじゃ濡れちゃうってことで、どこかで雨を凌ごうって話になった。

 どっちが先に言い出したんだかもう覚えていないけど、お屋敷の中の勝手口を通り抜けた時、僕の手を引いていたのは彼女だった。

 守衛が僕らに何か言っていたけど、雨が止むまでと彼女が口角鋭く切り返して、勝手口から入ってすぐのところにあった使用人が待機するためのスペースに僕の手を引いて入った。

 後から振り返ってみれば、トレーラーハウスみたいなものだったんだと思うけど、中は結構広くて、ちょっとしたキッチンとソファ、それに簡易ベッドが2つあった。

 ようやく雨を凌げるところにこれて一段落と思ってたら、彼女がこっちにきて、風邪ひいちゃうから服を脱いで乾かそうって言ってきた。

 まあ、反対する理由もないからとりあえずシャツを脱いだんだけど、僕がもたもたしている間に彼女は下着まで脱いでいた。


「裸になる必要って、ないよね?」


 僕は彼女にそう言ったんだけど、彼女から返事は返ってこなくて、それから何も言わないのに小さく開かれた彼女の唇が僕の口を塞いだ。

 最初は捕食される小動物みたいな気分だったんだけど、まあやっぱりそこまでされると妙な気分になって、なるようになった。

 雨ですっかり冷えた体がくっついた傍から熱くなって、それが妙に心地よかった。

 今から思えば、自分の家でもないのによくそんなことをしていたなって考えてしまうけど、まあやっちゃったものは仕方ない。

 でも、事後にそのまま眠ってしまって、次の日の朝に彼女の上役のメイドに見つかって、お屋敷中が上へ下への大騒ぎになって、やっちゃったものは仕方がないでは済まなくなった。

 やっぱり、こんな甘い考えで、いつまでも中途半端なことなんてしてられなかったよね。


 そこから先の記憶は何だか曖昧なんだけど、いつの間にか親父に首根っこを掴まれながら、お屋敷のご主人である坊ちゃんのお父さんに謝っていた。

 2、3発頬をぶたれて、それから親父が思い切り脇腹を殴ってきた。

 その時はまだ鍛え始める前のことで、僕の外腹斜筋はすぐに悲鳴を上げた。 

 そんなやりとりが小一時間続いた後、坊ちゃんのお父さんはため息をついて、親父に僕を放すように言った。

 それから、こっちに近寄ってきて、僕を見下ろしながら、僕が学校を卒業したらどうするのかを聞いてきた。

 僕は大学に行っている兄貴が卒業したら軍に行くって聞いてたから、兄貴と同じように軍に入るって答えた。

 別に何か考えがあって言ったわけじゃないんだけど、どういうわけか僕の答えは坊ちゃんのお父さんの興味を引いたようだった。

 僕を見下ろしたままの視線が、頭のてっぺんから爪の先まで値踏みする。


「罰としてお前は、死ぬ気で勉強して大学へ行け。

出来がよければ卒業後に軍に入れるように便宜を図ってやる。

こんな年齢から女の足を開かせるのが得意なんてガキは、軍に入ったところで弾除けくらいにしかなれないかもしれないが。」


 それを聞いた親父が妙に嬉しそうにお礼を言って、また僕の首根っこを捕まえて脇腹を殴ってきたのを変な風に思ったのを覚えている。

 後になって何でそんなに嬉しそうだったのか聞いたら、坊ちゃんのお父さんが金を出して子供が大学に行けるなんて嬉しいに決まっているだろうと言われた。

 親父に学歴志向があるなんて知らなかったから、随分びっくりしたよね。


 僕が大学に入学した頃には、兄貴はもう既に大学の卒業を決めてしまっていて、就職先の陸軍の駐屯地で寝起きしていた。

 だから、学生の間は兄貴と全然絡めなかった。

 その代わり、大学に残って弁護士になるための勉強を続けていた坊ちゃんが月に2回くらいの頻度であちこちに連れ出してくれた。

 昔、サッカーに夢中の兄貴たちに放り出されて、手持無沙汰にしていた僕らにしてくれたのと同じように、面倒を見てくれたのが嬉しかった。

 でも、それ以上に坊ちゃんは僕の面倒を見るのを楽しんでいるようだった。 

 地元にいた時とは違って、自分のことを知る同年代や年上の人間がいないからなのか、随分リラックスしているように見えた。

 ただ、結構な頻度で僕とつるんでいたのはなんだったんだろうなとは、今でも思う。

 もしかしたら、友達がいなかったのかもね。

次回は2月17日(水)18時更新(目標)。

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