リリーの真意
石畳で整備された道を進んだ。区画が整備されているのか、左右対称に似たような石造りの家が立ち並ぶ。しかし、どの家にも生気が感じられない、というか、人の気配を感じない。仕事でほとんどの人が出払っているのか。もしくはかの疫病のせいだろうか?
まるでゴーストタウンを徘徊しているような錯覚すら覚えた。だから、数人の子供たちがボール遊びをしているのを見かけた時は、少しだけ安堵を覚えた。
遠くを見ると、整備されているかもわからない、羽部分が錆び始めている風車が見えた。そしてその向こうに、小高い丘が見えた。
「例のお墓のある場所だろうか?」
思い出したのは、今朝のリリーとの会話だった。あそこにエミリーの墓があるのだろうか。だとしたら、いつかあそこにも訪れてみよう。
道を進んでいくと、5mはあろう石造りの門が目に付いた。そこをくぐると、先ほどよりかは人の数が増えた。どうやらここは、商店街のようだ。ただ、熱気のある商店街では決してなさそうだ。客の足を止めようと声を張る店主は見当たらない。暢気に新聞を読んでいる人もいる始末だ。この時間は客入りが少ないからなのか。それとも疫病ですっかり商店街が錆び付いたからなのか。
ふと、大型スーパーが近所に立った田舎の商店街を思い出した。コロッケを買い食いしたり、おつかいで顔なじみの八百屋に行ったり。子供の頃は随分とお世話になったあの商店街も、僕が会社に入社した頃建ったその大型スーパーに客を取られて、気付くと廃れたシャッター街と化していた。シャッター街を通るたび、童心のことを思い出し寂しい気持ちに駆られていた。その時と似たような気持ちになっていた。
「おう、兄ちゃん。ちょっと見てかないかい」
急に肩を掴まれたものだから僕はとびきりに驚いた。見れば、屈強な男が僕を止めていた。
「僕、お金持ってないですよ」
「まあまあ、そういわずに少しだけ」
いい大人が無一文だとは信用されなかったようだ。致し方なし。
「冷やかしにしかならなくていいのなら」
そう断って、僕は店の商品を見た。少しの生臭さと並んだ鮮魚。どうやらここは魚屋らしい。
「うちはこの辺じゃ一番安く、新鮮な魚を取り扱ってるぜ」
「へえ」と適当に相槌を打つ。書かれた値段は通貨がわからず、相場がわからなかった。店主の言葉を信じるならば、この辺で一番安い魚なのだろう。
「最近は村の漁師もすっかり減って値段が釣りあがっていたが、交渉の末にここまで値段を下げられたんだ」
そりゃすごい。ただ、少し気になることがあった。
「漁師が減ったって、魚が減って失業でもしたんですか?」
「ああん?」
茶化しているのかと言いたげに、店主は眉をしかめた。
その様子に僕が怖気づいていると、どうやら本当にわかっていないようだと言いたげにわざとらしいため息を吐いた。
「疫病で皆死んだんだよ。まったく、おかげで昔はあんなに活気付いていたこの商店街もこの有様だ」
疫病で。
僕は背筋が凍った。街を歩いていた時から違和感はあった。人が少なすぎる、と。どうやらかの疫病は、僕が想像するよりももっと多く、数多の人の命を奪っていたらしい。
「で、買うの。買わないの」
肝を冷やしていると、業を煮やした店主が言った。怒気交じりの声だった。
「まさか、本当に無一文なのか?」
ようやく先の僕の言葉を信じたらしい。しかし、どうやら今や無事に僕を帰してくれる雰囲気はない。
「こ、今度はお金を持ってくるよ」
僕は強行手段に出た。店主に苦笑しながら手を振って、その場を後にした。
「おい、ちょっと……。お前どこかで……?」
店主の言葉に耳を貸さず、僕は商店街を進んだ。
丁度、その時だった。鼻先に、冷たい何かが滴った。
「雨?」
今日は朝から曇天模様だったが、降ってくるとはついてない。とはいえ、先ほどの店よりはもう少しだけ遠くに行きたい。あの店主にまた絡まれたら、小心者の僕には耐えられそうもない。
思惑と裏腹に、雨は少しづつ勢いを増していった。
「うわ、こりゃすごいな」
雨を弾くベレー帽を掴んで、僕は小股で早歩きした。
雨脚は増す一方だった。
「こりゃどっかで雨宿りするしかないな」
僕は目に付いた家屋に一目散に飛び込んだ。服、ズボン、ベレー帽についた雨を手でさっさと払った。一心地して、僕は家屋の中を見回した。
家屋には、黄色、青、赤、緑、紫。色とりどりの花が、所狭しと飾られていた。もしや。
「いらっしゃいませ」
物音に気付いたのか、店の奥から女性の出迎えの声がした。聞き覚えのある声だった。
冷たい汗が額を伝った。慌てて彼女から背を向けた。
ガラス越しに、彼女が僕の様子を不審そうに覗いているのがわかった。
「あの、今日はどのようなものをお求めですか?」
「あー」と言葉を濁した。こんな時、相手も微笑ませさせられる洒落の一つでも浮かんでくれればいいのに。「贈り物がしたんだ。えっと、お祝いの品、かな?」
「オリバー?」
どうやら、洒落は一切意味をなさなかったようだ。
「やあリリー。しばらく雨宿りさせてもらえないかな」
ベレー帽を外して、苦笑した面をリリーに拝ませた。彼女は尚不審そうに、僕の顔を覗いていた。
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ガラス越しに外を見る。雨は中々止みそうもない。
「そろそろ説明して、オリバー」
ただ僕は今、外の天気を心配している様子はないらしい。
リリーは、僕に対して、説明を求めていた。声は、少しだけ怒気を孕んでいるように聞こえた。
「説明って何を?」
「私、恥ずかしいからここには来ないでって言った」
「そうだっけ?」
「今朝の話だよ?」
うん。そうだな。とぼけても無駄らしい。
「君の職場に来たのは偶然だよ。散歩していたら、雨が降ってきたんだ。それで、手頃なお店に飛び込んだら、偶然ここだったんだ」
嘘ではない。偶然雨に打たれたことも。飛び込んだお店がリリーの職場の花屋であったことも。
ただ僕はわかっていた。彼女がそんなことを知りたいわけではないことを。僕は本質をずらしている。意図的に。
「そうじゃないよ」
リリーは、僕がどうして家の外に出たのかを聞きたいのだ。彼女は僕が仕事場に来るのを嫌がったのではない。僕が外に出るのを嫌がったのだ。
しかし、リリーは核心を突こうとはしない。家から出るな、だなんて、家主である彼女とて一方的に突きつけていい命令ではなかった。
「外の風景を見たかったんだよ」
しばらくの沈黙の後、僕は言った。言い訳は、外に出ようと決めた時から決めていた。
「昔住んでいたらしいこの街を見れば、何か思い出せるかもと思って。無駄だったようだけど」
肩をすくめると、リリーは酷く寂しそうな顔をしていた。
「私、あなたに街を見てほしくなかったの」
「え?」
観念したのか、リリーは心境を吐露した。どうやら僕を人体実験に使うとかではないようだ。ただ、イマイチ彼女の言うことがわからない。
首を傾げていると、彼女は「店の奥へ行こう」と促した。
「仕事は?」
「言ったでしょう。お客なんて滅多に来ないの。物音がしたら見に来れば大丈夫だよ」
花の間を通り、カウンターを過ぎ、休憩室に二人で入った。こじんまりとした部屋に、少し古びた机と椅子二脚が置かれていた。
「他に店員は?」
「いないよ。店主だったロックウェルさんも、先月亡くなってしまったの」
だから、椅子が二脚あるのか。
「ロックウェルさんの旅立ちの間近、色々と引継ぎはしたんだけどね。卸業者の方も人手不足みたいで、結構切り盛りが大変なんだ」
「卸業者の人も、疫病で?」
「勿論。どんどん皆いなくなる」
椅子に腰掛けて、リリーは窓越しに外を見ていた。幾度も葉に水が打ちつける音が耳に入る。その音は断続的に続き、どんどんペースが速くなっていっている。
「雨、止みそうもないね」
「そうだね」
雨音だけが響く。どれだけ無言でいただろう。判別する方法は何もなく、ずっとそうしていたような錯覚すら覚える。
「どんどん変わっていってしまう」
「何が?」
「ここ、昔三人でよく来たんだよ。少女趣味はないって、あなた嫌がったんだけど、私達に文句も言えずに渋々着いてきてたの」
「そう」
「楽しかった。ロックウェルさん優しくて、売り物に出来ない粗悪品を裏でこっそり私達にただでくれてたの。もらった色とりどりの花で冠を作って、エミリーと自慢しあったり、押し花にしたりして」
窓の外を見ているリリーは、随分と遠くを見ているように見えた。
「花って、心を穏やかにしてくれるでしょう? もらうと、幸せな気持ちになれるでしょう? だから私、皆を幸せに出来る花屋になろうと思ったの。でも、皆いなくなってしまった。お父さんもお母さんも。エミリーも。皆、幸せになんてなれなかったみたい。最近思うんだ。私、なんで花屋になったんだろうって」
リリーの声は、少しだけ震えていた。
「大切な人を亡くして、この街を見ると、昔見た街と全然違ってた。昔はあんなに鮮やかに見えた花が、少しくすんで見える気がする。夜はあれだけ人の声でうるさかったのに、今じゃ誰の声も聞こえてこない。公園の大きな風車も、管理者がいなくなってさび付いてしまった。もうここは、私のいた街ではない気がしてしまうの」
「そんなことないんじゃないかな」
「だったら、オリバーはここに来て、何か思い出せた? ここに来るまでの商店街で、何か思い出せた? 馴染みの街を久しぶりに見て、どうだった?」
僕はオリバーなんかじゃない。だから、何も思い出せはしない。だから当然の結果だった。僕は口を閉ざす。
「だから私、見せたくなかったの。オリバーにこの変わってしまった街を」
リリーはそれだけ話して、苦笑した。
「ごめんなさい。変なことを話してしまって。よく考えれば、あなたをずっと家に閉じ込めるだなんて、イケナイことだもんね」
僕は思った。リリーは本当は、この街が変わっていっていることを認めたくなかったのではないか、と。童心を過ごしたこの街が変わっていくことが耐えられないのではないのか、と。
僕を外に出したがらなかったのは、僕に変わってしまったこの街を見せたくなかったからではなく、僕がこの街を見て何も気付けずに、否が応でも街が変わったことを認めなくてはならなくなる状況を作りたくなかったからではないのか。
この街は彼女にとって生まれ育ち、大切な人と共に過ごした街なのだ。それが変わっていくことが、彼女は耐えられなかったのではないだろうか。
「……っ」
ふと、僕は思った。ここで僕が、この世界の住人でなかった僕が、何かを思い出した振りでもしてみればどうか、と。彼女の気持ちも少しは晴れるのはないのか、と。
でも僕はそれが出来なかった。それをしたことで、後々整合性が取れなくなることが目に見えていたからだ。目先の結果に囚われて、後先考えず動くことが怖かった。
それでも、悲しみ彼女を何とか慰める術はないのかと考えた。用いる手段を全て検討した。
そして、気付いた。僕は、彼女を慰める術を、何も持ち合わせていなかった。
無言の時間が続いた。雨音だけが、世界を支配した。
静寂を切り裂いたのは、店の扉につけてあるベルだった。カランカランと乾いた音と共に、拉げた老婆の声が店内に響いた。
「誰もいないのかい」
「お客が来たみたい。ちょっと待ってて」
そうして彼女は、接客に向かっていった。
僕はただ、走り去る彼女の背中を見つめることしか出来なかった。