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疫病の恐怖

 リリーとオリバーの関係を赤裸々告白された後、僕達はリリーの家で朝食をとることとなった。ここに来て初めての食事は、空腹感も相まってとても待ちきれない気持ちで一杯だった。しかし、どうやらリリーは僕を心配し一晩中付きっ切りでいてくれたらしく、まだ朝食は用意できていないとのことだった。


「朝ごはん準備するから、奥の部屋で服を着替えてきて」


 と告げられた。見ると、森を一日中回ったが故に部屋着だったスウェットは泥まみれで、僕ならそのままベッドに寝かせることも躊躇うくらいの汚さだった。なんだか申し訳ない気持ちを抱く。


「なんだかごめんね」


「何が?」


 リリーはかわいらしく小首を傾げた。


「こんな汚い服のままベッドで寝てしまって。無理やり着替えさせても良かったのに」


 そういうと、リリーは頬を染めて、


「そ、そんなこと出来ないよ。もう」


 と言った。どうやらリリーとオリバーの関係は随分と清いものであったようだ。思わず失笑した。


 僕の素振りにリリーは不服そうに頬を膨らませるが、言葉を飲み込んだみたいだ。


「いいから、早く着替えてきなよ」


「うん。そうさせてもらうよ」


 あまり茶化すのも酷いと思って、僕はそそくさと部屋を出た。言われた通りに突き当たりの部屋に入った。


 部屋は、少し埃っぽかった。あまり気管支が強くない僕は、思わず咳き込む。


 部屋中を見回して、右手に少し古めかしい箪笥を見つけた。開けると、男物だろうか、大き目の服が積まれていた。


 手ごろな服を手に取り、広げた。巷のファッションに疎い僕であるが、これが最先端のファッションでないことはわかった。布の手触りといい、なんだか一九〇〇年初頭の大衆服という印象を抱く。まあ、モノクロの写真でしか拝んだことのないような服、ということだ。


 服は少し大きかった。半袖シャツのはずなのに、五分袖みたいになってしまった。


「まあいいか」


 部屋を後にして、リリーといた部屋に戻ると、彼女の姿はもうなかった。左手に下りの階段を見つける。下に下りたのだろうか。


 階段を下りると、そこは木造のリビングとなっていた。生活観が溢れるリビングで、木製の机に椅子を見ていると、なんだか木こりになった気さえしてくる。


「着替えてきたみたいだね」


 リリーは、奥の台所で調理をしていた。といっても、朝ごはんだからか、僕の腕くらい太いパンを包丁でスライスしていく程度だった。


「そこに座ってて」


 促されるままに、僕は椅子に腰掛けた。


 まもなく、リリーはご飯を持って向かいの椅子に座った。


「はい、どうぞ」


「おおー」


 中世にタイムスリップしたようなご飯に、僕は思わず感嘆の声を上げた。


「どうしたの?」


 当然、リリーは僕をいぶかしんだが、


「ああ、二日ぶりのご飯だったからさ」


 と僕は誤魔化した。


「よし。それじゃあ、いただきます」


 そういって手を合わすと、リリーは不思議そうに僕を見た。


「何?」


「ああ、いや。何でもないよ」


 また、誤魔化す。どうやらこの世界では、僕のいた世界の作法や文化はないらしい。


「うん。美味しいよ」


 少し慌てながら、パンを齧った。うん、これは美味だ。香ばしい香りも、まさしくパンだ。


 久しぶりの食事に、行儀悪く、食事をどんどん喉に詰めていった。


 途中、前から視線を感じて、僕はリリーを見た。


「どうかした?」


「ううん。本当に戻ってきたんだなって」


 少し遠くを見ながら、彼女は言った。


「服、少し大きかったみたいだね」


 そして服の袖を見て、僕にそう言った。


「ああ、まあ少しだけね。これ、前は僕が着ていたのかい?」


 記憶喪失という設定も忘れて食事をしていた僕は、唐突に設定を思い出して言った。


「ううん。それはお父さんの。あの部屋、お父さんの部屋なの」


「ああ、そう」


 だから、少し大きかったのか。いや、僕も成人を超えた男なのだから、背丈で負けたことに悲観するべきか?


「お養父さんは? 仕事かい?」


 家にいない様子だったから、そこまで深く考えずに口にしたが、どうやら失策だったようだ。


「もういないよ」


 思わずパンを喉に詰らせそうになった。


「だ、大丈夫」


 咳き込みながら、リリーに背中を擦られた。少しして、つっかえが取れると、僕はもう大丈夫と伝えた。リリーは少し呆れた様子で席に戻った。


「ご、ごめん」


「いいよ」


「いや、お養父さんのこと」


「……ああ」


 リリーは無理して明るく振舞っているように見えた。


「大丈夫。お父さんもお母さんもいなくなって、もう随分経つから」


 リリーに哀愁が漂っているように見えた。慰めの言葉は、僕の口から出なかった。


「それも、あの女の子と同じ病気で?」


 思い出したのは、昨日森であった亜麻色の髪の少女。リリーと、オリバーと、三人の秘密基地だと言った洞窟内で忽然と姿を消した、少女。


「女の子?」


「うん。昨日、森の中であったんだ。亜麻色の髪の少女に」


 言葉を聞いて、リリーは涙を流した。


 僕はまた、自分が失策を犯したことに気付いた。あの亜麻色の少女は、あの洞窟の秘密基地を、リリー達三人の秘密基地と言ったのだ。あの少女もまた、リリーにとって深い仲だったのだ。


「エミリー」


 リリーは悔やむように言って泣いた。


 エミリー。


 それがあの、亜麻色の髪の少女の名前だったのだろう。


 しかし、この反応。もしや本当に、そうなのか?


「辛い中、すまない。僕は記憶がなくって」


 なるべく彼女の気持ちを荒げないよう努めて、僕は切り出した。


「エミリーは、死んだのかい? 突然、彼女がの周りが青白く発光したと思ったら、その光が強くなる内に、彼女はどこかに消えてしまった。僕は、彼女が僕を置いてどこかに行ってしまったんじゃないかと思ったんだ。だから正直、未だに彼女が死んだなんて信じられない」


「死んだよ」


 リリーは涙を拭いながら、僕の意見を切り捨てるように言った。


「この街の、ううん。この世界の住民は、皆そうやって死んでいくの」


「なんだって?」


 にわかには信じられなかった。


「エミリーの右手の甲に、蝶の痣がなかった?」


「あった。確かに」


「あれが、病気を発症したことを告げるサイン。潜伏期間も、感染経路も、誰もまだ何もわかっていない。発症したら最期。発症して丁度一ヶ月後に、発症者は死ぬ。ううん。いなくなる」


 淡々とリリーは語った。しかし、僕はどうしてもそんな話を信じられなかった。


「お父さんも、お母さんも、皆この病気で死んだの」


 そして……、




「あなたも」


 涙ながらに、リリーは語った。その様子は嘘をついているようにはまったく見えなかった。自分がこれまで味わってきた不幸を、ただ淡々と事実として伝えているように見えた。


 ただ、だとしたら、なんと惨い病気なのだろう。突然人の運命を決めて、余命宣告までしてみせるだなんて。


 目の前の少女もまた、この感染症に将来を狂わされた一人。自分はまだ感染していないが、大切な人を何人もその病気で失ったという。


 ふと、自分の身に同じ出来事が起こったことを想像した。僕は一体、その立場になった時どんなことを思うのだろう。取り乱して、泣いて、叫んで。最後はきっと、自棄になるのだろう。


 考えるだけでも、辛い出来事ではないか。


 そんな出来事が宿命付けられてしまっている目の前の少女に、僕は同情せずにはいられなかった。


********************************************************************************


 昼、リリーはエミリー捜索に協力してもらっていた自警団に彼女が旅立ったことを伝えてくると言って、家を出た。


 僕も着いていくと行ったのだが、彼女はそれに応じなかった。


『突然のことばかりで混乱しているでしょうから、休んでいて』


 彼女の好意に甘えて、僕は二階の寝ていた部屋に戻った。もう一眠りしようと思った。退屈が、意外と性に合わないらしい。


 ベッドに寝転がりながら、僕は今現在の自分の状況を整理してみることにした。


「まあ何よりまずは、ここだよな」


 真っ先に考えたのは、この世界のことだった。一昨日の夜、僕は確かに自分のアパートの部屋にいた。夜の記憶は曖昧だが、どうせ翌日の仕事を億劫に思いながらも、寝ようとしていたとかだろう。


 ただ、目を覚ました後は、見知らぬ森にいた。本当に、見知らぬ森だ。巨万の木々が立ち並ぶ、そんな森だ。近所にこんな森があった記憶は勿論ない。


 加えて、この家。リリーの住むこの家は、どうにもあの世界よりも科学、土木、諸々の技術が発展していないと抱いて仕方がない。まるでタイムスリップしたと錯覚を抱くレベルだ。


 となると、間違いないのだろう。


「ここは異世界なんだろうなあ」


 未だに半信半疑のところはあるが、そう結論付ける他説明出来ないことが多すぎる。まず間違いないのだろう。


「そうなると、もう仕事行けねえな」


 他愛事を考えるほどには仕事に行きたくないと思っていたのに、こうなると少し寂しい気持ちもある。まあ戻りたくない気持ちのほうが強いのだが。


「さて、これからどうするか」


 自分の置かれた立場を知ると、僕はこれからどうするかを考えた。といっても、この世界での僕は無一文。ほぼほぼ答えは決まっていた。


「リリーに甘える他、ないんだよなあ」


 文化も、人間も、地理も、この世界のことを何も知らないのに、この場を去って、うまく生活出来る自信は僕には更々なかった。そして、飛び出そうという勇気もなかった。


 そうなると、運良く見つけたこの環境に甘えることも致し方ない。


「ただなあ……」


 リリーは僕を恋人と思っているわけで、その恋人の振りをしてただ飯にありつくというのは、やはり良心が痛む。


「どうしたもんかなあ」


 ベッドに寝転がりながら、僕は悩んだ。しかし、妙案は出そうもない。それでも問答を続けていると、強烈な睡魔に襲われた。


 気付けば、僕はまた眠りについていた。


*******************************************************************************


「オリバー、起きて」

 

「くおっ」


 突然の声に、飛び跳ねるように目を覚ました。かすむ視界で状況を確認しようとすると、顔の前に誰かがいるのがわかった。


「もう、こんな時間まで昼寝しているだなんて」


「ああ、リリーか。びっくりさせないでくれよ、もう」


「びっくりしたのはこっちだよ。もう陽も暮れるような時間だよ。どれだけ寝てたの」


 え、と言って窓の外を見ると、確かに外は夕暮れで赤く染まっていた。どうやら相当の時間、惰眠に耽っていたようだ。


「ああ、これは申し訳ない」


 どうやらリリーはご立腹の様子だ。まあそれも致し方なし、か。ただ飯食らいが家主の留守の間、家の警備をサボってうたた寝していたとあっては。


 どうか、本物のオリバーとリリーの関係が悪化しないことだけを祈る。

 

 それにしても、朝ごはんを食べてこんな時間まで惰眠に耽るだなんて、前の世界では考えられなかったな、としみじみと思った。そう、僕はこんな生活を求めていたのだ。……ただのヒモと言って、なんら差し支えないが。


「オリバー?」


「ああごめん。考え事してたら急に眠くなってしまったんだ」


「考え事? どんな?」


 まさか、異世界転移したことについて、だなんて言えない。


「ど、どうすれば記憶が戻るかなって」


 リリーは一瞬寂しそうな顔をしたが、すぐに微笑んだ。


「それで、何か思いついた?」


「全然。これっぽっちも」


 肩をすくめると、リリーは「そう」とだけ呟いた。


「とりあえず今は、君の傍にいたい」


「え?」


「ん?」


 ん?


 リリーの存在に甘えて、ただ飯を食らいたい、と言ったつもりだったのだが、リリーの反応はどうもおかしかった。なにが悪かったのか考えると、僕はすぐに自分が求婚を求めるような甘ったるい台詞を吐いたことに気がついた。


「ああいや、そういう意味ではないんだ。ただ、記憶のない今の僕では、この街で一人暮らすのも死活問題だなと思って……。それで、君を頼りたいと言いたかったんだ」


 頬が熱い。弁明の言葉にも熱がこもった。


 リリーの顔は直視出来なかった。どうせ、変態でも見ている目をしていることだろう。


 少しして、リリーの笑う声が聞こえた。


「構わないよ、勿論」


 そう言ってくれて、僕はホッと胸を撫で下ろした。


「でも、何もしないのは駄目だよ。ちゃんと家事とか、色々なこと、手伝ってほしいな」


「勿論さ」


 そんなもの朝飯前だ。……ただ飯が食えないことに、異論はない。微塵も。


「じゃあ早速、夕飯の支度だね」


「ああ、わかった」


 夕飯、か。社会人になってからはずっと一人暮らしをしてきたが、仕事が忙しくてまともに自炊をしたことはなかった。果たして僕一人で、リリーを満足させられるご飯を提供出来るだろうか。


 夕飯一つに困惑している僕を他所に、リリーは赤い髪を束ね始めた。


「どうして髪を束ねているの?」


「なんでって、一緒に作るからだよ」


 手伝ってくれるのか。


 呆気に取られていると、リリーに手を引かれた。


「ほら、早く作ろう?」


 初めての体験だった。


 少女に手を引かれ、一緒に食事を作るのは。


 初めての感覚だった。


 誰かに自らのぶきっちょな料理を振舞うのは。


 苦笑しあい、なじられ、食器を洗いあって。全てが初めての体験だった。


 少しだけ、オリバーという男が羨ましく思えた。


 こんな健気な少女に、死して尚、未だ想い続けてもらっていて。


 そしてやはり、罪悪感もある。


 僕がオリバーでないと知った時、彼女は一体僕になんと声をかけるだろうか。


 想像するだけで、少し怖かった。

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