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青白い光は命の灯火のように美しく、消え果てた

 僕が生きている意味はなんだろう。

 

 そんな解のない問答を始めたのは、はて、いつからだっただろうか。数年前に二十二年にも及ぶ学生生活を卒業し、社会人となり、僕の視界に写る世界が淡いピンクからほの暗い灰色に変わったころだっただろうか。


 僕。大局的に言えば、人。人の生きる意味は、なんだろう。

 

 子孫を残すこと。それは本能ではあっても、答えではない気がする。何より、これだけ壮大なことを考えているのに、結局下半身に向かうのはあまりに下劣だ。

 

 富を得るため。それは承認欲求でしかない。巨万な富も、使う場面がなければただの紙くずだ。


 ならば、僕の生きる意味は。人の生きる意味は果たして何なのだ。


 終電間際までこなした仕事のことは遠に忘れ、僕は気疲れした脳で考えに耽った。答えは、今日も出そうもない。


 僕が生きる意味。その答えは出ない。でも、何故僕がそんなことを考えているかは、とっくの昔から答えが出ている。


 僕は、この現状から。仕事から逃げ出したかった。


 現在の会社に新卒で入社して早五年。入れ替わりの激しいわが社では、役職こそ平社員でも、会社にいた暦が長ければ、もう立派なベテラン。故に僕も、大ベテランとして他社員からは扱われた。確かにある程度の決断力や自己完結力は身につけたのだが、役職に似合わない責務、また重労働は、元々ストレス耐性が高くない僕にとっては、それはもうとてつもないストレスだった。それでいて、こなした業務に見合わない評価なのだから、仕事に嫌気が差すことは至極当然。


 毎日、思う。

 明日、熱が出ないかな。道中、病気にでも罹らないかな。でも結局何も起きず、惰性で仕事に向かう。ここまで自分に学習能力がなかったとは、僕自身驚きだった。

 

 死にたいとは思わない。死ぬ勇気など、僕にはとてもありはしない。


 何なら、今は底で、ここからは成り上がるだけと思っている自分もいた。それでも、成り上がるための最低条件はこの会社から去ることだと思っていることからも、自分がどれだけ今の会社に嫌気が差しているかは理解していた。


 そこまで思っても会社を辞めようとしないのは、やはり僕も訓練された会社の犬だということを暗示しているようにも思えた。

 

 だから僕は、生きる意味を考えだした。この会社から逃げ出す理由を見つけるために。


 でも、結局答えは見つからない。僕がこの現状から逃れる術は、ない。


「ああ、明日熱でも出さないかな」


 そんなことがあるはずないことは理解している。それでも僕は考えることを諦められない。まったく、惨めな生き物である。


 帰路、家から最寄のコンビニに立ち寄った。そこには、客は誰もいなかった。飲料水コーナーの上に取り付けられた時計は、十二時を回ろうとしていた。


 僕は弁当とビールのロング缶を2本買い、コンビニを後にした。


 帰宅すると、部屋はジメッとしていた。ネクタイを解きながら、クーラーのリモコンを操作した。冷たい冷気が額を冷やす。


 部屋着に着替えて、弁当をレンジで温めている間に、テレビを見ながら一本目のビールを開けた。ビールを飲み、テレビを見るこの時間が、多趣味でない僕のささやかな楽しみだった。


「また不景気だなんだと言っているのか」


 世間の不景気を知らせるテレビに愚痴りつつ、辟易とした気分を抱きながら、弁当が温まるのを待った。気付けば、ビールが一本空になっていた。


 なんだか、中々弁当が温まらない気がする。ぼんやりと天井を眺めた。皺の数を数えた。しかし、十五を過ぎたあたりから、どの皺をカウントしていたかわからなくなってしまった。


「しょうもない」


 気付けば随分と酔いが回っていた。まだ弁当は温まらないのか。空腹はあまり感じていないので、いいのだが。


 大きく息を吐いた。


 目を瞑った。


 僕はそのまま、眠りについた。


*******************************************************************************


 気が付くと、僕はどこかの森にいた。

 前日の記憶はなんだか曖昧だ。深夜まで続いた仕事を終えて、いつものコンビニに立ち寄ったところまでは覚えているのだが、その後の記憶は嵐の雲の中にいるかのようにモヤがかかっていた。

 

 僕は立ち上がって周りを見回した。巨大な苔むした木々が鬱蒼と立ち並んでいる。その木が邪魔で、数m先すらも覗けない。そんな木々が随分と立ち並んでいるようだ。少し歩を進めればたちまち迷子になりそうな不安を覚える。


「いや、僕はもう既に迷子か」


 置かれた状況に困惑していたが、思えば僕はどうしてここにいるのだろう。前日の記憶が曖昧なことはこの際もういいとして、それにしたって生まれてこの方こんな原始林のような景色を拝んだ経験はないし、近所にこんな壮大な森だってありはしなかった。だから、一瞬夢遊病でも患ったかと不安になったが、それも否定出来た。とはいえ、現状の解決には何も至っていない。


「見覚えのない景色にただ一人、か」


 現状を口にしてみると、迷子なんて可愛いものではないと気付いた。これは遭難だ。


「まずいな」


 命の危険が迫っている事実に気が付き、背中に冷たい汗がツーッと流れた。


「誰かー。誰かいませんかー」


 深い森の中声を張るが、返ってきたのは大声に驚いて飛び立つ小鳥達の羽音だけだった。


 絶望感が漂った。ここには人は寄り付かないのだろうか?

 そうなれば、当てもなく動き回って、運よく森を抜けることを願うほかないではないか。ただそうなると、結局疲弊するまでこの森をさまよい、道中力尽きる結果が見える。


「……何してるの」


 途方に暮れていると、後ろから声がした。

 振り返ると、僕を訝しげに覗く少女が立っていた。

 亜麻色の長髪を靡かせ、スンと高い鼻、藍色の目が目に付いた。少女から日本人の特徴は見当たらない。外国人だろうか。とすれば、僕の言葉が通じるのも少し不可思議ではあるが。

 少女は僕の顔を見ると、突然目を丸くした。


「あ、あの。怪しい者ではないんです。道に迷ってしまって」


 少女の態度から警戒されていると思い、僕は弁明を口にした。

 

「オリバー?」


 少女は僕の弁明に目も暮れず、呟いた。


「オリバー? あなた、オリバーなの?」


 少女の目の色が変わっていた。僕の肩を鷲づかみ、しきりに聞き覚えのない名前を僕に聞かせた。


 オリバー。


 果たして、誰のことなのだろう。ただ、彼女が今僕に対して、その名の人物であるかどうか質問している、ということは明白であった。


「人違いです。僕はその、オリバーさんではない」


「うそよ」


「いや、そんなことないんだけども……」


 初対面の少女に頭ごなしに否定されたものだから、少々気後れしてしまった。ただ、考えればこの少女の言うことも中々に奇怪だ。当人が違うと言っているのに、嘘だなんて。


「そんなに似ているのかい。その、オリバーさんと」


 少女は黙って頷いた。


「もう二度と会えないと思っていた」


 少女の目尻に涙が溜まっているのが見えた。言葉から察するに、かのオリバーとやらとは、死別でもしたのだろうか?


 ただ残念ながら、かのオリバーと少女は再会できたわけではない。僕はオリバーなどではないのだから。


「……ははは」


 僕は言葉に詰まって乾いた笑いを見せた。彼女の説を一蹴するのは憚られた。僕は今、遭難中の身。ここで彼女の機嫌を損ねて、この森でまた一人になるのは躊躇われた。


「君は、この森に何をしに来たんだ? 悪いが、僕は今道に迷っていてね。この森の外まで連れて行ってもらえないかい?」


 オリバーの話しをはぐらかして、僕は彼女にそう持ちかけた。


「それは出来ないわ」


 少しの沈黙の後、彼女は少し困った顔をして、首を横に振った。


「ど、どうして?」


「私、これから死にに行くの。だから、駄目」


 僕は、少女の思いつめた一面に、言葉を失った。


*******************************************************************************


「おい、待ってくれってば」


 太い木の幹を飛び越えて、頭のほぼ上の巨大蜘蛛の巣をよけて。もうどれくらいこうして少女の後を追っているのだろうか。

 

『私、これから死にに行くの。だから、駄目』


 悲痛そうな顔でそう言って、彼女は僕の前から立ち去ろうとした。


 ただの少女が抱くには大層すぎる感情に、僕は一時呆気に取られたが、少し木の向こうに消えていく少女の姿を視界に捉えた瞬間、思い出したのだった。

 

 このまま彼女を見失えば、本当に遭難しかねないと。


『待ってくれ』


 そういって駆け足で彼女を追いかけて、今に至る。


「死ぬだなんて、思いなおしたほうがいい」


 一向に立ち止まる気配のない彼女に、僕は諭すように言った。


「僕も精神的に参ったことが何度もあった。死にたいと思ったことだってあった。でも、大切な人の……そう例えば、両親の顔を思い出したら、その気も削がれた。親が必死に産んでくれたのに、その命を簡単に捨てるだなんて、そんな事出来ないって。それに生きていれば、いいことだって少しはあるんだ」


 なんとしてもこの森を抜けたい僕は、必死に彼女を諭した。


「親ならもういないよ」


「うっ」


 どうやら下手を打ったらしい。思わずうめき声が漏れた。


「親だけじゃない。弟も、友達も。どんどんいなくなっていく」


 辛い当時を思い出したのか、少女の声は震えていた。僕は思わず同情していた。ただ、すぐに目的を思い出す。僕とて、生きるために引くわけにはいかないのだ。


「オリバー。あなたもその一人だったんだよ?」


「え?」


「……何も覚えてないんだね。もしくは本当に、別人なのかな」


 だから、別人なのだ。

 

 ただ僕は、口を噤んだ。真実を言うことを躊躇った。雲行きが怪しい。


「だとしたら、本当に戻るわけにはいかない」


 やはり。

 どうやら僕がオリバーという男でないことは、彼女にとっては死を選ぶ更なる後押しになってしまうらしい。

 

「ど、どうしてそこまで頑ななんだ」


 まとまらない思考に苛立ち、僕は髪を掻き毟りながら苛立ちを孕んだ声で言った。


「若いのに、人生に絶望するのはまだ早いだろう!」


 遂に、僕は怒鳴ってしまった。


 少女は、


「私だって、生きれるなら生きたいよ」


 嗚咽交じりに、囁いた。


「でも、そういう運命なの」


「運命? 死ぬ運命だって言うのか?」


 少女は怒気を孕む声の僕に背を向けたまま、ゆっくりと頷いた。


「そんなものありはしない。そう思って、自分の心境を助長しているだけだ」


「そりゃ信じられないよね。でも、本当。順番が回ってきたの」


「順番だと?」


「そう。言ったでしょ。両親も、弟も、友達もどんどんいなくなっていくって。皆、同じ病気で死んだの」


「病気?」


 もはや僕は、ただ少女の言葉をオウム返しすることしか出来なくなっていた。


「そう。だから私は、村に戻らないの。猫と一緒だよ。猫も、死に際大切な人の前から姿を眩ませるでしょう? 大切な人に辛い思いをしてほしくないの。私も、一緒」


 少女の独白に、僕の脳は余計混乱していた。

 

 突如、ずっと止めることがなかった少女が、足を止めた。少女の眼前を覗くと、大きな洞窟が目に入った。


「見覚え、ある?」


 少女はこちらを振り返って尋ねた。


「いや、ない」


「そう」


 僕の答えに、少女は大層寂しそうにしていた。


 少女は、洞窟の中に足を踏み入れていった。勿論僕も、後を追うように洞窟内に入った。

 

 洞窟は、そこまで深くなかった。数m歩くと行き止まりにたどり着いた。まだ、外の陽の光も届いている。


「ここはね、あたしと、リリーと、オリバーの秘密基地」


「なにもないな」


「あなたは色々持ち込みたかったみたいだけどね。ものぐさだったから、掃除しないでしょ。不潔って何も置かせなかったんだよ」


「そうかい」


 自分のことではないのに、なんだか馬鹿にされた気分だ。僕はそっぽを向いた。


 すると、頬にぬくもりを感じた。気付けば、少女は僕に近寄っていて、頬に手を翳していた。


 急接近した少女に僕は頬を染めた。僕は女性経験に乏しかった。


「やっぱりあなた、オリバーよ」


「だ、だから……」


「ううん。オリバーよ」


 少女は、優しく微笑んでいた。


「最後にまた会えて、良かった」


 少女の笑顔に見惚れていると、少女はゆっくりと離れた。


「リリーはまだ、いるからね」


「……誰だ、それ」


「すぐにわかるよ」


 核心を突かない少女に苛立ちを覚えた。

 

「お前、いい加減に説明を……っ」


 突如、少女の右手の甲が光った。


 まるで太陽のように眩しくて、僕は目を細めた。かすかに、少女の右手の甲を覗くと、蝶の模様のような痣が青白く光っているのが見えた。


「またね」


 少女の微笑を残して、青白い光はどんどんと強くなっていった。目を閉じて、右手で覆っても、瞼の裏が明るかった。

 

 しばらくすると、青白い発光は収まったようだ。


 目を開けると、小さな青白い光の残滓が、名残惜しそうに洞窟内を彷徨っていた。


「綺麗だ」


 僕は、青白い光に魅了されていた。まるで誰かの命の輝きのように光るそれは、洞窟内を一通り彷徨うと、僕の方に近寄った。


 僕がその光を掴む前に、その光は少しづつ光を弱めていき、消え果てた。

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