第5話 異常とは最初の通常
翌日から、まだ日の登りきらない夜と朝の境い目程の時間に起こされ、体力訓練と称した走り込みと筋力トレーニングが始まった。
最初は訳が分からなかったが、ベルゴッドは「君ならできる」と繰り返し、ひたすら走ってトレーニングをした。
今まで修学舎での軽い体育しか経験したことの無い私に、ベルゴッドは大人でも辛いんじゃないかと言うハードメニューを平然と課してきた。
信じられないのようなトレーニング(もはや拷問)をなぜ行うのか聞いても、笑いながら「できる!」の一言でバカにするように煽ってきた。
トレーニングを終え、信じられないような疲労感と吐き気を抑えながら、店の開店時間になる前に水浴びして汗を流し、アンナの元で開店準備を手伝った。
ベルゴッドが帰ってくる前は開店準備が終わった後に、夜の仕込みも兼ねて朝食としてまかないを貰っていたが、トレーニングを始めて数週間は喉を通らなかった。
「食べないとぶっ倒れちまうよ?」
なんてアンナは言うが、食べたら吐いてしまいそうで食欲がわかなかった。
昼のピーク時までは、床の清掃、窓拭き、台拭き洗いに、自分たちの使ったシーツの洗濯など雑務をこなし、客が増えてくるとウェイターとして店に立った。
「君可愛いね〜なんて言うの?」
昼からすでに酔っている常連の男性客は「ヤラシイ目で見るんじゃないよ!」とアンナにゲンコツを貰い、これから港に向かう商人らしき身なりの男はもさもさと静かにサンドイッチを食べていた。
昼を過ぎて客が落ち着くと、ベルゴッドに連れられて、旧知の仲だと云うケナッシュと呼ばれる女性の元に連れていかれた。
ケナッシュは女性であるにも関わらず、髪を短く刈り上げており、顔の感じを見るに30前後といった感じの外見だった。
「あっはっはっはっ!何言ってんの!私今年で53だよ!あっはっはっはっ!」
何がそんなに面白いのかひと通り笑うと、顔を近づけてきて、「よく見な。目じりの方にシワが出てきてるだろ。」と自分の年齢の話を続け、最後にまた大きく笑っていた。
「君の若作り自慢はもういいから、本題うつっていい?」
初めて見るうんざり顔のベルゴッドをちょっと惜しく思いつつ、話に耳を傾けると、ケナッシュは元々、高等修学舎の教頭を務めており、旦那の死と共に職を辞したのだそうだ。
ベルゴッドがそんな彼女とどういう繋がりがあるのか定かではなかったが、ケナッシュにとってベルゴッドは命の恩人とでも言うべき人物らしかった。
「こんな小さい子を連れてきたってことは私に家庭教師の依頼?ベルゴッド。」
現在のケナッシュは、地域の子供らに修学舎で理解できなかったことに対する補足授業を行う言わば家庭教師をしていた。
「高等修学舎卒業レベルの学力と、一通りの礼儀作法やテーブルマナー、出来れば乗馬テクニックまで教えて欲しい。3年以内で。」
ケナッシュも自分も首を横に振った。自分が修学舎にいたのは4年と半年程度で、ウェーカー市の修学舎は6年制である。高等修学舎も同様に6年あり、実質7年半の勉強量が存在するのだ。それを半分未満の期間で学ぶなど無理にも程があった。
ケナッシュに一通りの勉強歴を話すと、うーんと低く唸り始めた。
「これはケナッシュ、君にしか頼めないことだ。」
唐突にベルゴッドが1歩踏み込んでケナッシュを見つめた。真剣み溢れる顔を装っていたが、私には目の前の男の顔は胡散臭さしか感じなかった。だが、ケナッシュには違う様に見えたようだった。
「そんなに頼まれちゃ断れないじゃない……♡」
(えぇ…)
先程までの大笑いは姿を消し、まるで恋する乙女のように頬を赤らめながら、小さくコクコクと頭を縦に振っていた。
「でも、それならこの子を普通の修学舎に編入させればいいじゃないか。」
顔をまだ赤らめながらも、ケナッシュが自分に目を合わせてきた。
「だめだ。間に合わない。3年しかないんだ。」
ケナッシュは首を傾げたが、ベルゴッドと目を合わせるとまた顔を赤くし、「キャー!!」とうら若き生娘のごとく顔を手で隠した。
「事情は知らないけど、ものすごいスパルタになるよ。ついてこれる?」
ケナッシュが初めて私に問いかけてきた。その顔つきは先程までとは違い、教師然としていた。気がする。
「はい。全力で取り組ませていただきます。」
私もそれに倣って、頭を下げた。
その姿に気分を良くしたのか、笑顔で頷くと、ベルゴッドと数言話して家の中へ戻って行った。
「少し古い教科書だけど、これを使っていくから。明日までにここまで読んでおいて。一問一答形式で授業進めるから予習しないと理解できないよ。」
3冊の教科書のページをそれぞれ示すと、ベルゴッドの頬にキスしてどこかへ走っていってしまった。どうも授業の時間が近づいていたらしく、ケナッシュはベルゴッドの来訪でそれを忘れていたらしい。
翌日からは、ケナッシュが昼過ぎぐらいにやってくると個人授業とマナーレッスンが行われた。自分が修学舎にいた頃とは比べ物にならない速さで進められたが、私自身が学ぶことが苦にならないタイプだったので、朝のトレーニングや走り込みに比べれば全然辛くなかった。いや、本当に。
授業が終わり、日が暮れてくると、カフェの方の客も落ち着き始める。再び、店の清掃やゴミ出し、食材の買い出し(最初はアンナが付き添ってくれた)を行う。
閉店作業も全て終えると、今度は厨房で翌日の仕込みを始める。残った材料で夕食を作るのは私の担当で、最初はアンナに「ゴミかと思った」と言われて泣きそうになったが、最近は「ギリギリ料理…かもしれない?」と言うレベルまで成長した。
食べ終わって一息つけるかと思いきや、ここでもう一度、ベルゴッドの対人格闘訓練を行う。朝とは違いベルゴッド相手の格闘訓練で、技や型は一切教えて貰えず、ひたすら実践を繰り返した。
気がついたら宙を舞っていたり、気を失って頭から水をかけられたりと散々だった。
ベルゴッドの配慮(?)のおかげで傷跡が残ることは無かったが、常に体のどこかしらには打ち身、擦り傷があり、筋肉痛は当たり前だった。
こうして、異常にハードな日をひたすら、そうひたすら毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日繰り返した。
最初の頃は、頭がおかしくなるかと思うほど疲れ果てた。しかし、異常とは通常の最初を示すだけで、それが続けばいつしか通常になっていく。
泥のように眠り、疲労で立ちながら寝そうになる日々にも慣れ始めた。それがベルゴッドと出会って1年目のことである。