第12話 ダーロッチ号
エルマドーラを出て左を向けば文明の潮風が髪を揺らし、右を仰げば下町情緒溢れる古い建物が郷愁を誘う。
南部に建てられた建物は他国から輸入された新たな建築方式により鉄骨をくみ上げた強固な建物が多い。見た目から受ける質素な印象に反し造りは堅牢。
南部から徐々に増えるそれらの建物は、既に市内を4割ほど飲み込み、時代の波を表現しているかのようだった。
(帰ってくる頃には、エルマドーラはもうあの姿ではないのでしょうね。)
ウェーカー市を北に歩いていくと、ちょうど街の中央で市庁舎行きあたる。市庁舎は3階建ての石造りの建物で、鉄柵を超えて玄関へ向かう敷地内の道には歴代市長の等身大の石像が並んでいる。
歴史を感じさせる市庁舎を回り込み北側にでると噴水が水を吹き上げる爽やかな音が聞こえてきた。
市内中央に建てられた市庁舎の北側に広がるエーベル広場は、北町に住む人々の待ち合わせ場所として有名だった。
「そんなチケットよく手に入りましたね。」
石畳を革靴でカツカツ言わせて歩く男の手には2枚のチケットが揺れていた。薄黄緑の羊皮紙には時間と集合場所が記載されていた。
「まぁ、たまたまね」
ウェーカー市から首都ヴェルゴーンに向けて走る高速バスのチケットだった。
ハンデンブルク王国は傾けたジョウロのような形をしており、そのハス口に当たる部分にウェーカー市は存在する。首都ヴェルゴーンの1/4程度の面積しかない陸の孤島であるウェーカー市は、南東部から北東部にかけて「東壁」と名指されるムデラント山脈と北西部に広がる「冥府の扉」と呼ばれる悪魔の群生区域がに挟まれている。
「バスは私が生まれる前に廃止になったと祖父から聞いていましたが、再開していたんですね。」
その為、筒部にあたるヴェルゴーン市とウェーカー市は幾度となく道の整備計画が勃興したが、その度に悪魔の群生区域から溢れた悪魔からの襲撃で工事計画は頓挫してしまっていた。
「いや、再開するための試乗チケットなんだよこれ。」
裏面見てみると、「特別優待者専用試乗チケット」と印字されていた。
「試乗チケット…ですか?」
「海上ルートは遠いからね。」
海上ルートとは、ヒック港から船で東に迂回して隣国・ホーリッジ共和国に入り、ホーリッジ国内を北上して再度ハンデンブルクに入るというものである。悪魔の群生区域の外周を回るように行くルートは、入国審査等が非常に煩雑で時間が掛かるだけでなく遠回りする分経費が嵩むが、命には変えられないと現在では主流のルートになっていた。
「確かに…でも、どうやって悪魔の群生区域を抜けるのですか?」
これだけのマイナスポイントがありながらも海上ルートが主流となるのは、ひとえに直線ルートには大量の悪魔が現れるからである。ウェーカー市では聖祈術を護身用として習得させられるが、それは大量の悪魔を知り遂げるのに有効な手段にはなり得なかった。
「僕も知らない。けど、大量の資金が投入されてるってことは間違いないよ。」
市長代理は元貴族で、市の予算だけでなく本人の私財を大量投下してこの計画を推進したらしい。丸1日掛かる海上ルートの代わりに、半日で安全に移動出来る陸路が出来上がれば、その利益だけで赤字回収が容易であることは間違いなかった。
「ま、乗ってのお試しってことだね。」
首だけ後ろにひねって、小さくウィンクして来る中年の顔は腹立たしいことこの上なかった。
ダーロッチ号と銘打たれた全面赤一色の華美な2階建てバスは、広場から更に北部へ歩いたところにある倉庫に眠っていた。
広場で待っていた私たちの元に、パンツスーツ姿の市庁舎の女性職員が挨拶に来たかと思うと、この倉庫へ案内されたのである。
倉庫内には、市民なら普段着にはしないドレスのようなものを纏ったいかにも金持ち然とした男女が何組か立ち話をしていた。わざわざ、倉庫ではなく広場を待ち合せ場所にするという手間をおかしたのは、一部の富裕層にのみ試乗券を配布した背景にある新事業への出資者を募る目的を隠す為だったと想像するのはそう難しいことではなかった。
「これは聖銀……しかもバス全体の装甲を鑑みるに数百キロは用いられていますね……。」
バス自体初めて見たので、その威容に少し驚いてしまった。バイクや車とは段違いなサイズ感に、正面にはめ込まれた中を見通せる大きなガラスは、初めて見る大きさだった。
だが何より驚かされたのが、バス全体を覆う赤一色の装甲、それが聖銀だったことである。
「最初の感想がそれかい?」
呆れたような目でこちらを見てくるベルゴッドを無視して、バスを眺めていると、不意に後ろから声をかけられた。
「ふふふ、すごいだろ?これが吾輩の自信作なのだよ!」
杖を着いて現れたのは、白髪のオールバックに赤のスーツというパンチの効いた服装の壮年の男性だった。
「これがこれからヴェルゴーンとウェーカーを繋ぐ架け橋となるバス、ダーロッチ号なのだ!」
クククッと笑うその男は、トニー・ダーロッチ。
翌月に新市長就任を控えた現市長代理の男である。後ろに従者なのか白いローブを来た人間を2人、モノクルに燕尾服という露骨に執事と言わんばかりの若い男性が1人控えていた。
「君はどこかの家の御息女なのかな?感動して見入っていた間にお父さんと離れちゃったかな?」
ニヤニヤと顔を近づけてくるトニーの息は中年男性特有の悪臭があり、眉をひそめないようにするのに手一杯だった。
「私の娘が飛んだご無礼を。申し訳ありません、何分人見知りの子でして。」
助けを求める私の目を見てもフッと笑って無視するばかりだったベルゴッドがやっと動いてくれた。
「いいんだ、いいんだ。女の子にはそういう年頃もあるだろう。君は外国から来た豪商であろう?自分の商いばかりではなく娘も見てやりなさい。」
再度クククッと笑うと、話は終わりとばかりに従者を引連れてバスに乗りこんでいってしまった。勝手にベルゴッドを外人豪商に思い込んだトニーの背中を見つつ、ベルゴッドへ向き直った。
「この市の行く末は暗いですね…。」
「黙っていた方が美しい事実もあるんだよ。」
そのセリフこそ失礼にあたるのではないか、と思ったのはきっと私だけじゃないはず。
幼少期編を終え、二人の旅が始まります。大まかな全体像も組み上がってきて、明日からコンスタントに投稿していきたいとおまいます。