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ベルゴッド・ヘルハウンド  作者: 橘 禅
第1章 ベルゴッド・ヘルハウンド
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第10話 コーデリアの夢

父は役人だった。


東に聳える「東壁」ムデラント山脈と、その手前に広がるムデラント湿原の管理が主な仕事だと聞いていた。

父はいつも忙しそうにしていた。家庭で文句を言うことは無かったが、その顔から疲労が見えない時はほとんど無かった気がする。副局長に就任してからは、家に帰ってこない日も度々あった。


そんな父の姿を見て寂しそうな顔をする私を慰めてくれたのは何時も母だった。もしかしたら、母も寂しかったのかもしれないが、私には見せまいと元気に振舞ってくれていた。交易で流れてくる香辛料を買うのが母の趣味で、家には珍しい調味料がいっぱいあった。


母は、暇そうにしている私を見ると、時々港に連れてきてくれた。小さい頃は潮風を感じる度に湿った変な匂いのする風だと思ったけど、自然と嫌な感じはしなかった。


(潮の香り……感じ方の変化に時の流れを感じますね…)


目の前を足早に歩いていく大人たちにぶつからないように必死に母の手を握って歩いた。色とりどりの服に、高そうなものから、何に使うのか分からない珍妙なものまで、目に映る全てが新鮮だった。


「ここでご飯食べよっか。」


初めて連れてこられたのは、カレーという香辛料を使った変わった料理屋だった。

その頃は背伸びがしたくて、母と同じものがいいと駄々を捏ねて注文したら、最初の一口であまりの辛さに泣いてしまったのを覚えている。


そこ以外にも色んなお店に連れて行ってくれたけど、特別な日や落ち込んだ日は決まってカレー屋さんだった。店主のジェイは、父や祖父よりも大きくて強面な人だったけど、話してみると親切で優しい人だった。

2年ぶりに訪れた私に何も言わず、何時もの甘口カレーを出してくれた。カレーの味が、ふと母の顔を思い出させた。


「うっ……」


目頭が熱くなる。ジェイは何も言わず、空になったコップに冷えた水を注ぐと、数枚のナフキンを隣に置いてくれた。


ひとくち食べる事に、母の顔が通り過ぎっていた。


公園で遊んでもらった事も。


カレーを家で作ったら、家中がカレーの匂いになったことも。


父と喧嘩した私を迎えに来てくれた事も。


泣いている私の額に優しくキスしてくれたことも。


無言でカレーかき込んだ。

品のない食べ方だって母には怒られてしまうかもしれないけれど。

手を止めたら涙が溢れてしまいそうだったから。


「美味しかったです。」


カレーの味は、涙のせいでよくわからなかった。


綺麗に食べ終えた皿をカウンターの1段上に置くと、ジェイは受け取ってそれを流しに置いた。


「コーデリア。僕はここを離れることになった。」


ジェイは振り返らず突然切り出した。


「え?」


一瞬、何を言っているのか理解できなかった。


「経営が厳しくてね。両親に帰ってくるように言われてしまったんだ。」


ジェイは、元々商船に乗ってきた外国の商人だった。


黒色の肌に彫りの深い顔、チリチリの短く切った髪はこの国の人間ではないことを示していた。


「僕がここに来たのは20年も前になるけど、ウェーカー(ここ)はいい場所だよ。」


ジェイは、流しで洗った皿を水切りかごに置くと、左の棚からリンゴを2つ取り出した。


「アネッサが初めてこの店に来たとき、僕はまだ21歳だった。」


シュルシュルと慣れた手つきでリンゴの皮を剥きながら、ジェイは昔話を始めた。

皿の上には瞬く間に綺麗な形の兎が8匹並んだ。


「一目惚れしてね。僕は直ぐに彼女に告白したよ。」


ジェイの昔話は初めて聞いたが、母は元々綺麗な人だったので別段驚くようなことでは無いと思った。

兎を1つ頬張りながら、耳を傾けた。


「好きな人がいるの、ごめんね、って言われたよ。初恋は呆気なく散ったけど、その後ハストとも一緒に来てくれて、3人で仲良くなれた。最初は悔しい気持ちなんかもあったけど、お人好しのハストに、僕の前では見せない顔をするアネッサ、そんな2人を見ているのが、異国で知り合いのいない僕にとって、この上なく幸せなことだったんだ。」


もうひとつのリンゴを剥きながら、ジェイは涙を流しながら薄く笑った。

おそらくその涙は、私の瞳を歪ませるものと同じ意味を持つのだろう。


「火事は残念だし、2人はかけがえのない大事な友人だった。だけど、君だけでも無事でいてくれたことが何よりも嬉しかった。」


涙は止まることがなかったが、その笑顔は本当に嬉しそうに見えた。

ジェイの大きな手に握られていたリンゴは、1玉るまる美しい花に姿を変え、一種のアートのように皿の上を飾っていた。


「君は親戚の誰の家にも行かなかったって聞いた。もし良かったら、僕と一緒に行かないか?」


ジェイの瞳は真剣そのものだった。

父と母の親友で、思い出の味の人。

彼が伸ばす手を取るのは決して悪い選択では無いような気がした。


でも、その手を取る気にはなれなかった。


「ごめんなさい。私には夢があるの。」


「夢?」


この話は誰にもしたことがなかった。


口に出してしまうと陳腐になってしまう気がしたから。


でも、父と母を思って泣いてくれる人になら話してもいい、そんな気がした。


「父も母も、ウェーカー(ここ)で生まれました。父は気弱でしたが賢い人でした。母も気が強く、いつも私の背中を押してくれる人でした。」


言葉が自然と紡がれる。

父の頼りなくも優しい後ろ姿が。母の自信に溢れる心強い後ろ姿が。

私の後ろから現れて、私を置いて立ち去ってゆく。


「2人は、ウェーカー(ここ)で育って、ウェーカー(ここ)で愛を育み、私が生まれ、そしてウェーカー(ここ)で死んだ。」


この街は私にとって全てだった。

街を歩けば見える母や父、祖父の面影。

その度に胸が張り裂けそうになった。

なんで私を置いていってしまったのか。その問いかけに答えは出なかった。


「この街に居れば父と母、祖父との繋がりを感じることが出来る。もう居なくなってしまったけれど、この街にさえいれば、また会えるそんな気がするんです。」


それでも、私の決意は揺るがなかった。


「だから、いえ、だからこそ私は、両親が見れなかった、外の風景を見てみたい。もう私を守ってくれる家族はいません。でもそれは悲劇ではないんです。私を包む両親の抱擁から抜け出し、両親のいない地で、両親の知らない物を見て、聞いて、感じて。そして成長した私を、空で待つ家族にみせてあげたいんです。」


自分で言ってても、なんと壮大で馬鹿げた話だろうと思う。漠然として、何処までも曖昧で、終わりが見えない。そんな夢を本当に実現したいと思ってしまうのだ。

「そう、そうか。」


ジェイは涙を拭うと、花のリンゴを皿を私の前に置いてくれた。


「僕の国で取れるシューパの花だよ。花言葉は『未来への祝福』。君の前途に明るい未来が広がることを願うよ。」

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