第1話 序章の福音
粉雪舞う半壊した礼拝堂。
空へと繋がる吹き抜けた天上は曇天を覗かせる。
石畳には至る所に苔や雑草が生えており、長らく手入れがされていないのが見て取れた。
右肩の欠けた聖母像の背後のステンドグラスはほとんど割れて全体像を見ることは出来なかった。
まるで時代に取り残された、そんなうら寂しさすら感じる。
「貴方はこれで満足ですか?」
その問いかけに答える者はいない。
彼は言っていた。
人は常に戦い続けなければならない。
真なる平和など実在しない。全ては夢現に過ぎない。
自身の我を通すことこそが人間の本懐。
全てを蹂躙し、ねじ伏せ、打ち砕く。
思いやりも、信頼も、希望も、道徳も。
立ちはだかるなら。目障りなら。
自分だけの道、自分だけの価値。自分だけの夢。
あらゆる全てを排除し、破壊して、自分という名の則を敷く。
「あなたが言っていた言葉は終ぞ理解できませんでした」
震える。
目の前に眠る男の腰に手を回す。
自然と涙は流れなかった。
私は彼に聞いた。
何故◼◼◼◼◼◼のか?
彼は答えた。
◼◼◼ことに意味などありはしない。
意味がない、ということに意味があるのだと嘯いた。
無意味であることの意義を理解し、有意義であることの無価値を噛み締めることができる人間を探し求めているのだ、と彼は述懐した。
「きっと、きっとみんな分かっているんだと思います」
彼は誰よりも強かった。何よりも強かった。
故の◼◼。故の◼◼◼◼。
自身の抱える欠落を、自身の決定的な欠陥を、自身の噛み締めた絶望を。
理解する友人が欲しかったのかもしれない。
共感する隣人が欲しかったのかもしれない。
共に涙する他人が欲しかったのかもしれない。
「それを示すのは余りに簡単で。当たり前で。だから誰も気にも留めなかった。
誰しもが、貴方ほど強くないんです」
雪が頬に触れる度に溶けていく。
それは泣けない私の代わりに空が泣いているように。
そんなに難しいことでは無い、と彼は言った。
執着とは弱さであり、証明なのだ。
あっては何もなしえない。なければ何も持ちえない。
最強が追い求めたのが最弱とはなんとも皮肉な話である。
私は。
私はいつか。
この血に濡れた親指を肯定することが出来たのだろうか。
「どうか。どうか教えてください。」
彼が求めた◼◼。彼を求めた◼◼からの解放。
恐らく。何も解決はしていないのだろう。
幾多の戦いを経ても残ったのは屍の山だけ。
これが彼の敷いた道。これが貫いた自己。
「貴方は、この世界を愛していますか?」
それは雪に溶けて聞けなかった質問。
彼の物語の終幕を告げる福音だったのかもしれない。