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大山くんと出会って何度目かの昼休み。今日も私は大山くんと部室で待ち合わせた。
だいたい同じくらいに昼ご飯のお弁当を食べ終えると、私達は境界線の謎に迫る実験を始めた。とはいえ実験なんて表現は大げさで、ほとんど遊び半分みたいなもので。
大山くんは、どこから持ってきたのかもわからないピンポン球を、手のひらでころころと転がしている。しかも、よく見てみると表面にはやけにしょんぼりした顔文字が書かれていた。
「よーし、それじゃあ投げるけど、中里は準備いいか?」
「いつでも!」
一方の私は、野球のバッターになった気分で定規を構える。大山くんはそれを確認すると、ピンポン球を軽く放り投げた。境界線に向かって。
確かに、白色の球体は大山くんの手元を離れていた。放物線を描いて、私まで届くはずだった。
ところが、球は一瞬にして消えてしまった。
「消えた!」
それは境界線に触れた途端、跡形もなく。まさに、消える魔球だった。
すると、今度は床を伝ってころころと、さっきと同じピンポン球が境界線から再び忽然と姿を現した。球は大山くんの足元に戻ってくる。ますます謎を呼ぶ境界線の不思議に、私は定規を構えた格好のまま固まった。
「この球、中里のほうも見えなかったか?」
「うん、境界線のところで消えちゃった……本当、何なんだろうこれ」
大山くんは、足下に転がっていたピンポン球を拾い上げる。
「ということは、世界そのものは切り離されていると考えて問題なさそうだ」
「それから、私達が直接触れなければ境界線は消えない、ってことだね」
「ご明察」
やっぱり、大山Aくん(話し合いの末、私の世界にいる大山くんを「大山A」、大山くんの世界にいる私を「中里A」とすることにした)は直接の関わりがないという説が濃厚になってきた。でも、今の私にとって、それは些細な問題だった。
だって、こっちの大山くんとこうして楽しく話せているっていう今が、確かに存在しているんだから。
「じゃあ、次の実験行ってみようか」
「えーっと、次は反対側から撮影するんだっけ?」
「そうそう。打ち合わせ通り、境界線が消えて10秒数えたらいつもと逆方向から撮影で」
「了解っ」
次の実験の手順を確認すると、私達はお互いに愛用のカメラを装備する。
「それじゃあちょっとの間、お別れだな」
「うん、バイバイ」
バイバイで上げた手と同時に足も一歩踏み込んで、目を閉じて、境界線の向こうに。
触れた瞬間、肌にほんの微かな冷たさを感じた、ような気がした。
目を開く。
いつも大山くんと出会う、線対称の向こう側へ移動。そこには、何の変哲もないがらんとした部室があった。日常のリズムで、空気が流れている。もちろん、大山くんの姿はない。ここまでは、予定通り。
後はカメラを構えて10秒後の未来を待ちかまえるだけなんだけど、ここで私は一つ遊び心でやってみたいことがあった。
机の中を手探りして、しまわれていたそれを掴む。
それは、ダースベイダーのお面だった。
昨日の放課後、埃っぽくなっていた部室の掃除をしていたとき、机の中からたまたま発見したものだ。誰がこんなところにベイダー卿を置いていったのかは知らないけれど、ふとひらめいたのでここで使わせてもらうことにした。いわゆる、ちょっとしたドッキリである。
いつもと反対側の席についてお面をつけて、インパクトを出すために境界線が出現するぎりぎりのところまで、顔を近づける。視界が、かなり窮屈になった。それでも一応ファインダーを覗きつつ倍率を調節して、レンズを部屋の中心に向けて、心の中で残り時間をカウントする。いつもとは正反対の方向で、大山くんを待った。にわかに緊張感が沸き起こる。3、2、1。
シャッターを切る。
境界線のギリギリ、超至近距離に馬がいた。
ちょっと想像してみてほしい。緊張している状況下で、もし目の前に突然馬の顔が現れて、無表情でじっと自分を見つめていたとしたら。
こんなの、驚かないほうがおかしい。
「ひゃあっ!?」
「うわぁっ!?」
そんなわけで、ダースベイダー(のお面をつけた私)は悪の親玉らしからぬ情けない声を上げて飛び上がった。
一瞬ふわっと浮き上がった感覚。それから、椅子ごと重力に背中を引っ張られる感覚。そして、背もたれもろとも床に後頭部から墜落した。
「痛った~……」
するとわずかに遅れて、前方からも聞こえた同じような衝撃音。どうやら、飛び上がっていたのは私だけではなかったらしい。
境界線の向こうから聞こえる「うぉぉ……」という痛みを伴った声と、もぞもぞと床を這う音。頭をさすりながら、お面を取って起きあがってみると、案の定悶絶している大山くんがいた。言うまでもなく、頭は馬のままで。
「だ、大丈夫……?」
「べ、ベイダー……?」
「うん、もう元に戻ったけど」
「うぅ……」とくぐもった声で呻きながら、のっそり起きあがる。しかし、こうして落ち着いて遠巻きから見てみると、馬はかなり間抜けなツラだった。こんなのに腰を抜かしてしまったさっきの自分が、ちょっぴり悔しい。
「どこにあったの、そんなかぶり物?」
「こっちの机の中でぺったんこになって入ってたから、ちょっとびっくりさせてみようかと」
「何で私と同じこと考えてるのよ!」
と、言ってから思い出した、大山くんの仮説。
「あ、そっか。行動パターンが一緒なのか」
しかしまさか、こんなとこまで同じだなんて。
「……それで、大山くんはいつまでつけてるの、それ」
「大山クン?」
芝居がかった片言の日本語で話し出す馬。何か始まった。
「ワタシハ、大山クントイウ人間デハアリマセン。科学ノ結晶ニヨリ生ミ出サレタ、サラブレッドト人類ノ融合、スナワチ、究極ノ生命体ナノデース」
私も再びお面を被って対抗。
「ソウカ、ソレハ失礼シタ……シカシ、ワタシハコノ無限ノ宇宙ヲ支配スルモノ。貴様ヨリモ遙カニ高等ナ人種ナノデアール。シュコー、シュコー」
ダースベイダーのキャラなんてよくわかってないけれど、とりあえずそれっぽく乗っかってみた。
「…………コレ、イツマデ続ケルデスカ?」
「振っといてネタ切れ!?」
真面目そうに見えて、意外と大山くんは面白い人なのかもしれない。
「いやー、まさか中里が乗ってくるとは予想してなかったからね」
ぷはー、と馬の被りものを脱いで一息ついた大山くん。私もお面を取る。思いのほか暑かったのか、額には汗がにじんでいる。でも、どこか満足気。
「もしかして、中里がボケに乗ったのも行動パターンが一緒だからかな?」
「あー、なるほど。そうやって考えることもできるのよね」
大山くんが言うことも一理ある。しかし、細かいところを見ていくと、そう単純なものでもなさそうな気がする。
「だけど、細かいところで微妙な違いがあるでしょ?」
「そう、そこが実は僕も引っかかってる」
「私のほうではダースベイダーのお面があったのに、大山くんのほうでは馬の被りものだった」
「僕と中里で、使ってるカメラの機種が違う」
「部屋の中での立ち位置が違う」
「そもそも、僕と中里Aのポジションが逆になってる」
「私は大山Aくんと逆になってる」
そうやって考えると、やっぱり私達が向かい合っている世界は似て非なるものだった。確かめれば確かめるほど、大山くんの言うパラレルワールド説がしっくりくる。
「うーん、これはリアル間違い探しだな」
「そうだねー、しかも探せばもっと間違いが出てきそう」
「よし……じゃあこうしよう。明日会うときまでに、お互いが過ごした一日の流れを記録しておく。それで、どこが共通していてどこが違うのかを確かめる。もちろん、記録したくないこともあるかもしれないから、そこは無理しなくてもいい。記録できるところで、大事そうな部分だけ記録する。そんな感じで、どうだろう?」
大山くんの提案を、私は承諾した。
「わかった、やってみる」
こうして、私達の謎解きは少しずつ前に進んでいた。
「それにしても本当にこれ、不思議だよな。この境界線が何なのか、早く正体を確かめたいな」
その言葉を聞いて、不意に私は大山くんが心配になった。
真相を知った先で私達が待ち受けるのは、ハッピーエンドじゃないのかもしれない。
正直、私は謎解きなんてどうでもよかった。大山くんが近くにいて、言葉を交わすことさえできればそれでいいんだ。
それでも、境界線の真相を探ることでしか、今ここにいる大山くんとは繋がれない。
だから私は、「そうだね」とだけ言って、小さくうなずいた。
湧き上がった小さな不安は、無理矢理自分の中に閉じこめた。