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翌日。
もう一度、例の不思議な現象を確かめないといけない。
昨日の部室で起きた出来事が心に引っかかったままで、私はずっと上の空だった。
あまりにぼーっとしていたから、サエちゃんには「あんた本当に大丈夫?」と本気で心配された。でも、サエちゃんに昨日の出来事について話すことはできなかった。あの現象をどう説明すればいいのか、そもそもあれが本当に現実で起きたものだったのか、さっぱりわからなかったから。
だからこそ、もう一度確かめないといけない。
昼休み、お弁当とカメラを持って、私はサエちゃんに内緒で部室へと向かった。
旧校舎の2階、軋む廊下を進んで突き当たりの扉を開く。まだ陽光が直接差し込まない昼の部室は、なんとなく暗く感じた。
ここで、また大山くんに会えるのかな?
期待と不安を抱え込んだまま、私はカメラを構える。時間以外は立ち位置、角度、全てがあの瞬間と同じ条件になる。
手に汗が滲む。ごくり、と生唾を飲み込む。
そして、シャッターは切られた。
「あ……」
流れていた空気が、変質する。それが、肌でわかった。
ファインダーの向こうに、やっぱり大山くんはいた。気のせいや夢なんかじゃなかった。カメラから目を離しても、瞬きをしても、目をこすってみても、やっぱり彼の姿は視界の真ん中に残っている。
「中里……なのか? そうだよな?」
私達は、真ん中の机が置いてあるところまで近づく。本当はもっと近づきたいけれど、そうしたらまた、大山くんは消えてしまう。
「うん、えっと、その……大山くん、だよね」
「あ、ああ」
やっぱりいざ会ってみるとなると、何もできなくなってしまう私だった。何から話そう。どうすれば、大山くんと楽しく会話をすることができるだろう。どうしたら、大山くんと仲良くなれるだろう。
「な、中里っ」
「は、はいっ」
変に力んだ返事のせいで、声がくるっと裏返ってしまった。恥ずかしい。
「中里はこの現象、何なんだと思う?」
そうだ、大山くんと再開した喜びで忘れそうになるけれど、私達は今、不可解すぎる現象に真正面から遭遇しているわけで。
「さあ、私には何がなんだか……」
「心当たりとか、あるわけないよな?」
「うん」
「そうだよな……」
大山くんは堅い表情で、思考を巡らせている。一方の私は、自分の気持ちを落ち着かせようとするので精一杯だった。2度目とはいえ、この空間は慣れない。
「さっき中里はカメラを持ってたけど、部屋の中を撮ったのか?」
「うん」
「今そっちの時間は?」
「えっと、12時45分」
「12時45分……こっちと同じか」
そして、大山くんはじっと手に持っていたカメラの液晶画面を見つめる。私も、それにつられて自分が今さっき撮った写真を確認した。でも、そこに大山くんの姿は映っていない。何の変哲もない、がらんとした部室が映っているだけ。
……やっぱり、ここの大山くんは幻なのかな?
「中里、ちょっと協力してくれないか? いろいろこの件で試してみたいことがある」
「う、うんっ」
私は、まだ事態を飲み込めないまま、こくこくとうなずく。大山くんの声ははきはきとして、はっきりと私にまで届いている。これが全部幻だなんて、私は到底受け入れられない。数秒前に、にわかに沸き上がった疑惑を私は打ち消した。
「まず、今の状態をリセットする。仮にこの境目の名前を『境界線』として、昨日はこの境界線に触れたら消えたよな?」
「そうだけど、消しちゃうの?」
「ああ、それでここからが重要なんだけど」
そう言って、大山くんはカメラを構える。
「10秒経ったらもう一度、写真を撮ってほしい。それでまた会えるかどうか、試してみたい」
「それで、本当にまた会えるのかな……?」
「100パーセント、とは言い切れない。でも、お互いがまたこうやって会える条件は、できるだけはっきりさせておきたい」
「でも……」
私は、躊躇した。今の状況がイレギュラーだとはいえ、せっかくこうして大山くんと会話ができている。その今を自分から手放すのは、勇気がいる。
「大丈夫」
だけど、そんな私の背中を押したのは、他ならぬ大山くんだった。
「もし会えなくなっても、また会える方法を見つけるよ。僕が」
「大山くん……」
冷静に考えれば、その言葉にきっと明確な根拠なんてなかったと思う。
でも、私はその瞬間、大山くんの言葉を信じてみることにした。
「わかった、やってみる」
「ありがとう」
大山くんは、にっこりと笑った。部室で遭遇して初めて見せた、柔和な、優しい笑顔だった。
「あっ……」
「ん? どうかした?」
「い、いやっ、なんでもない!」
その表情一つで、私の胸の真ん中あたりが飛び跳ねそうになったってこと、言えるわけない。
「それじゃあ、一旦切るよ」
「……うんっ」
大山くんが、手を伸ばす。決断した後で、やっぱり撤回してほしいという衝動に駆られる。だけど、そんな気持ちは声に出さないで届くはずもなく、大山くんは、境界線に触れた。
弾けて、跡形もなく消える境界線と大山くん。どうやら、どちらか一方だけ触れたら消える仕組みらしい。今は彼の気配すら残っていない。
大丈夫。たった10秒。それだけ待って、シャッターを降ろすだけ。そうすれば、また大山くんに会えるんだから。
私は、心の中でカウントする。
1、2。
でも、もしこれで大山くんに会えなかったら……?
3、4。
いや、だめだ。私は強引に、最悪のシナリオを振り払う。
5、6。
だって私は、彼の、大山くんの言葉を信じたんだから。最後まで、信じなきゃ。
7、8。
カメラを構える。持つ手が、じわっと湿っぽくなる。
9、10――