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境界線はファインダーの向こう  作者: 染島ユースケ
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「きゃっ!?」


 旧校舎中央。階段を上がって左に曲がろうとしたところで、誰かにぶつかった。尻もちをついた私と、ふらついた相手の視線が交差する。相手は男子。灰色のブレザー。黒髪で理知的な顔立ちと、四角いレンズの黒縁メガネ。腕に黄色の腕章。首からぶら下がった一眼レフ。


 大山くんだ。かつてのクラスメイトで、今はクラス替えでまともに話す機会もなく離ればなれになってしまった、憧れの人。その大山くんが、すぐそこにいる。


 何か言わなきゃ。声かけなきゃ。


「あっ! ……ご、ごめん」


 だけど、大山くんはやけに慌てて、同時に私の姿を見てひどく驚いた様子で、足早に階段をかけ降りて外へと出て行ってしまった。


「行っちゃった……」

「行っちゃった、じゃないでしょ!」


 立ち上がると同時に、背後からかかるサエちゃんの声。


「今、うまくいけば大山くんとお近づきになれる最大のチャンスだったじゃない! 何でチナミはこういうチャンスをみすみす逃すかな!?」

「いやいやサエちゃん、そんなの無理だよ~。さっきのは突然すぎて考える余裕もなかったもん」

「そんなんじゃダメダメ。ぼーっとしてたら、愛しの彼も撮りたかったベストショットのチャンスも見逃しちゃうよ! 写真部の副部長たるもの、常にアンテナを張っとかないと」

「写真部、かぁ~」


 そうだ、今日から私は写真部の部員なんだ。しかも、副部長。なんだかとってもいい響き。2人だけの写真部の、副部長!


「ねえチナミ、今私が注意したそばからぼーっとしたでしょ、したよね!?」

「……はっ、しまった!」

「はぁー。私、創部するにあたっての人選ミスったかなー」

「やめて~! リストラだけは勘弁して~!」


 と、微妙に世知辛い話題になってきたところで、私たちは突き当たりの部屋の前までやってきた。ぎしっ、と規則的に聞こえていた床のきしみが止まる。


 今では弱小部のたまり場となっている、木造旧校舎の2階。左端の角部屋。そこが、今日から発足される写真部の部室だった。


 高校1年の時から同じクラスで、学年が上がった今年も運良くクラスメイトとなった私とサエちゃん。私達は、カメラという共通の趣味でつながっている。週末になると、2人であちこち写真を撮りに出かけていた。時には絶景を求めて、泊まりがけで旅に出ることもあった。そんな私達から「写真部を作ろう!」という話がでたのは、ある種の必然だったのかもしれない。


 ただ、私にとってその話は「できればいいな」ぐらいの願望だったんだけど、その一方でサエちゃんは本気だった。


 来年春になったら創部。それを目標に動き出したサエちゃんは、生徒会に申請を出し、形だけでも顧問になってくれそうな先生を説得し、あっという間に願望を現実のものにしていった。一方の私はといえば、最低2人は必要な部員の名簿に、名前を登録したぐらい。そんなわけで、いろいろと準備をしてくれたサエちゃんには感謝しきりだった。


 そして、目標にしていた来年の春。つまり、現在。こうして念願の創部にまでこぎ着けた。


「よっしゃ、それじゃあ開けるよ、チナミ」

「うん……」


 ごくり、息をのむような緊張の後、私たちは初めての部室とご対面。一気に、引き戸を開け放つ。


「……広い! でも何もない! まぶしい!」


 そのサエちゃんの第一声が、開いた部屋の全てを言い表していた。


 まず目に入ったのは、傾いた陽光をありったけ取り込んだ大きな窓。それから部屋の真ん中、グループワークをするときのように、向かい合って置かれた机と椅子が4つ。部屋の奥には、左右の隅に置かれた空っぽの棚。手前側には黒板と、こっちとは別に裏の廊下へと繋がるドアがある。


「まあでも、最初はこんなもんじゃない?」

「そうね。ただ、この日差しでカーテンがないのはちょっときついかな。後で生徒会に頼んでみるかー」


 部室を見ての感想を言いながら、椅子の上に鞄を置く。


 窓の反対側、出入り口の死角になっていた場所には、チョークの粉で白くくすんだままの黒板が壁に埋め込まれていた。その右端には「日直」の文字。かつてここが教室として使われていた名残だった。夕日に照らされるその2文字は、時間の流れに取り残されているようで、どこが寂しげに映る。


「それじゃあチナミ、この書類に名前書いといてもらえる? これから提出してくるから」


 サエちゃんがファイルから一枚の書類を差し出す。私はいつもより丁寧に名前を書いた。


【副部長:中里千波】


 その隣には【部長:堀江彩絵】の文字。いよいよ副部長の実感が本物になってくる。


「ありがと。んじゃ、職員室に出してくるから、留守番よろしくね~」


 そう言って、くつろぐ間もなく颯爽と部室を出ていくサエちゃん。ドアは開いたまま、サエちゃんの足音が遠くなる。なにもない部屋の中で、1人きりになった私。

 それにしても、不思議な部屋だと思う。


 黒板から真ん中に置かれた机、そして大きな窓、それぞれの中心を線で結ぶと、見事にぴったりと線対称になる部屋だった。さらに言うと、私達が入ってきた扉の逆側にも別の扉があり、そこからもう1本の廊下が続いている。


 まるで、鏡写しみたい。


 差し込む夕日の黄金色が、その神秘的な面をさらに強く浮かび上がらせている。


 早くも、写真部副部長の血が騒いだ。


 私は、鞄からデジタル一眼レフを取り出す。太陽の光できらりとレンズが光る。高校入学と同時にお年玉貯金で買った、かわいい相棒。最初はそのずっしりとした重みと大きさに違和感があったけれど、1年たった今ではずいぶんと私の手に馴染んできた。むしろ、この重みが心地いい。


 部室の隅っこ、ドアの前からファインダーをのぞき込む。小さく切り取られた世界の中、夕日が燦々と教室の空気を輝かせていた。


 慎重に狙いを定める。シャッターを、切る。


 1秒に満たない、世界の断絶。


 その一瞬で、映像が差し替えられたかのように。


「うそ……」


 さっきまでいなかった、彼がいた。


 大山くんが、そこにいた。 


「中里……なのか?」


 呆然とした様子で、大山くんがつぶやく。


「大山くん、だよね?」


 私も、同じような様子でつぶやいた。


 シャッターを切る前、この部屋には私以外誰もいなかった。それなのに、今は右側の棚の前、私が立つ場所の対角線上、同じようにカメラを構えた彼がいる。


 大山くんのもとへと、歩み寄る。彼も、吸い寄せられるように部屋の中心へと近づく。そして、私達の間には境界線があることに気づいた。ちょうど部屋が線対称になる形で、薄いフィルターがかかっている。ファインダーから目を離し肉眼で見ても、境界線はそこにあったし、大山くんもそこにいた。


 大山くんは、さっき階段を降りて外に出たはずだ。ということはその大山くんと目の前にいる大山くんは違う人なのかな。だけど、別人というにはあまりにも外見が一致しすぎている。


「これ……どういうことなの?」

「さあ、俺にもさっぱりわからない。こっちが、訊きたいぐらいだ」


 彼自身、私と同様困惑しているようだった。


 突然現れた境界線の向こう側を前にして、ふと、好奇心が芽生える。


 私が境界線を越えたら、どうなるんだろう。


 大山くんのいる空間へと、私は手を伸ばした。大山くんも、それに同調するように手を伸ばす。真ん中にある机が煩わしい。身を乗り出す。ちょっぴり怖い。だけど、好奇心が勝った。


 そして私の指先が境界線に、大山くんの指先に、触れる。


 消えた。


 まるでシャボン玉のように弾けて、消えた。


「大山……くん?」


 名前を呼んでも、もうそこに彼の姿はなかった。


 ほんの一分にも満たない、夢のような邂逅。


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