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境界線はファインダーの向こう  作者: 染島ユースケ
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 ようやく、心の整理がついた気がする。


 サエちゃんとチーズケーキと紅茶を食べながら、心に溜まっていた澱みを言葉にして吐き出した。サエちゃんはただ、それを静かに聞いて、受け止めてくれた。何かはっきりした解決策を提示してくれたわけじゃない。でも、サエちゃんに話していると、自然に自分の必要とする答えが見えてきた。


 だから、私は学校に戻ることにした。別れ際、サエちゃんは「頑張れとは言わないけど、幸せになんなさい!」と、サエちゃんらしい言葉でエールを送ってくれた。もし上手くいったら、何かお礼しなきゃ。


 時間は午後5時。また学校に戻ってきた私が向かった場所は、部室だった。ちゃんと、境界線の向こうにいる大山くんとのけじめをつけないといけない。また会えるかどうかはわからないけど、今なら会える気がする。根拠はないけど、なぜか大丈夫だと思えた。


 首から下げていたカメラを構える。ファインダーを覗く。


 外はすっかり晴れていた。夕日から注がれた暖かい日差しは、部室の中一杯に満たされている。ほのかに太陽と木の匂いがした。どこか、懐かしさを感じる匂い。


 真ん中の机を中心に、ピントを合わせる。大山くんが座っている姿を想像する。


 そして、私は大きく息を吸って、祈りをこめて、シャッターを切った。


 世界が、瞬いた。


「……久しぶり」


 私の正面、同じくカメラを構えたシルエットがあった。


 黒縁眼鏡に、理知的な顔立ち。冷たそうに見えて、時に笑顔を見せてくれたりもした、彼がそこにいる。


「……ひどいよ」


 自然に出た、私の第一声。


「私にも、ちゃんとお別れの言葉くらい言わせてくれたっていいのに」


 境界線が見える。


 大山くんが、そこにいる。


「それは、ごめん」

「でもいいよ、またこうして会えたから。会えてよかった」

「……そうか」


 伏し目がちになった大山くんの瞳。その中に、見えそうで見えない葛藤が宿っている。


「私、ちゃんと話しておきたいことがあるの」

「うん」

「私も何とか気持ちの整理がついて……私が決めたこと、最後に話しておきたかった」


 伏せていた彼の視線が、私を見る。


「私、大山Aくんのことがずっと好きだった。だからそのことを、こっちの世界で本人に伝えようって決めた」


 その言葉が、私の見つけた答えだ。


「でも、私は大山くんのことも、好きだった。最初は正直、大山Aくんの代わりだった。でも今は違う。大山くんと出会って一緒にお弁当を食べて、いろんなことを話した日々は何にも代えられない。だから、忘れてくれって頼まれても、絶対に忘れられないと思う」


 再び思い返す、彩りに満ちた大山くんとの日々。お別れは悲しいけど、2人で歩んだ時間のことを無駄にしたくなかった。


「だから……できることなら、記憶の片隅でいい。大山くんも私がいたこと、私と過ごした日々のことは、覚えていてほしいな」


 ふと、大山くんの固くなっていた表情が少しだけ和らいだ。その淡い笑顔に、光が差し込む。


「ありがとう。そう言ってくれると、僕も嬉しい。……それから」


 一瞬、大山くんは言葉に詰まった。迷い、それを断ち切るように一度、深呼吸。彼の息づかいが聞こえる。


「それから、僕のほうもまだ話してなかったことがある。もしかしたら結構驚く話かもしれないけど、落ち着いて聞いてほしい」

「うん、わかった」


 そして、大山くんは大事な言葉を1つ1つ拾い集めながら、話し始めた。


「僕は、ずっと中里のことが気になっていた。あ、これは別に変な意味じゃなくて……ある程度の好感を持って、僕は中里のことを意識していたんだ」

「つまりそれって……私のこと、好きだったの?」

「まあ、厳密には中里Aのことだけど。だから本当に、僕らは同じだったんだよ。僕にとっても、中里は中里Aの代わりで、この現象の調査というのは口実でしかなかった。僕は純粋に、中里に会いたかった。そして、中里がもはや中里Aの代わりではないことに気づいた。お互いにとってこのままじゃいけないと思った僕は……中里を、突き放そうとした」

「そうだったんだ……」


 次々に明かされていく、真相。驚きと同時に、それほどまでに私を想ってくれていた大山くんに、最大級の愛おしさを感じた。


「でも、どうしてまた会ってくれたの?」

「後悔したんだ。僕は、中里に対して冷徹になりきれなかった。資料室での別れ際、中里が叫んで僕を留めようとした。その瞬間の表情が焼き付いて離れなかった。……それから僕は自分を責めた。だから、もし出会えるなら、全てをちゃんと正直に話した上で謝ろうと思った。本当に今日、会えてよかった」


 すると、大山くんは最敬礼の角度で頭を下げた。


「中里、ごめん! それから、こんな僕と出会ってくれてありがとう! 僕も、中里と過ごした日々は絶対に忘れない!」


 初めて聞いたかも知れない、大山くんの叫び。真正面からぶつかってきたその言葉は私の心を震わせた。


「……大山くんって、意外と不器用なんだね」

「かもな。僕は、不器用だ」

「でも、そんな大山くんも、私は嫌いじゃないよ」

「そうか、嫌いじゃない、か。なんか照れくさいな……」


 大山くんが、手を伸ばす。その伸ばした手は私の目の前、境界線からわずか数センチのところで止まる。決して触れることのできない、空間をなぞる。


「一度でいい、中里に触れてみたかった」

「それは、これからの楽しみに取っておきなよ。たぶんそっちの私も、大山くんのことを待ってるから」

「そうだな……僕も、頑張らないと」


 伸ばしていた手を下げる。そして、改めて大山くんは宣言した。


「僕も、告白する。ちゃんと思いを伝える」


 私も、続けて宣言する。ちゃんと、まっすぐに大山くんを見て。


「うん。私も告白する――」



「――大山Aくん……いや、大山純哉くんに告白する」



 刹那、一気に空気が緊張した。


 まるで見てはいいけないものを見てしまったかのように、大山くんの瞳が見開かれた。


「……今、なんて言った?」


 一転して、張りつめた声。最初、それが大山くんの声だとは思えなかった。驚愕の色で塗りつぶされている。

「僕の名前は……大山純哉じゃない」

「え、ちょっと待って、それじゃあ、あなたは……?」


 常識。固定観念。大前提。全てがひっくり返る。大山くんが、何を言っているのかわからない。そもそも、大山純哉でなければ――


「あなたは、誰?」

「……僕は、大山建哉。大山純哉は双子の弟で……小学校の頃、事故で死んでいる」

「そんな……」


 こっちの世界と、向こうの世界。これまで調べてきた中でも、少なからずズレはあった。それが今、最も根底を揺るがす形で、現れた。


「なあ……何でもういない弟の名前を知っているんだ? そっちの世界に、弟がいるのか?」


 そして、信じられない仮定が浮かび上がる。大山純哉は、双子の弟だった。境界線の向こう側では、大山純哉はいない。代わりにそこにいたのは、兄の大山建哉という別人。


「じゃあもしかして、君も違うのか?」


 それをもし、私自身に当てはめたとしたら。


「君は――中里穂波じゃないのか?」


 中里穂波。


 その名前を聞いて、じっとしていられるわけがない。


「私、会わなきゃ……お姉ちゃんに会わなきゃ!」


 私は、部室の扉に手をかけた。


「待て、中里!」


 境界線を越えて、大山くんの声が響く。私の手がぴたりと止まる。


「……いや、止めようと思ったが、やめた。ただ1つだけ訊きたい。……君の名前、教えてほしい」

「私は、千波。中里千波」

「チナミ……」


 大山くんが初めて、私の下の名前をつぶやく。大山くんが呼ぶ「チナミ」の響きは、まるで私の名前ではないような気がした。


「お姉ちゃんに会えたら、また大山くんと……いや、建哉くんと話がしたい。いいかな?」

「ああ、もちろん」

「よかった……それじゃ、またね」


 それだけ言い残して、私は部室を出た。


 そして、彼に会った。


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