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大山くんから怪談話を聞いた、その日の放課後。
サエちゃんは今日は歯医者の予約があるとかで、一足早く家に帰った。だから、今日の写真部の活動はお休み。その代わりに、私は1つだけ試してみたいことがあった。
いつもの部活へ行くように、旧校舎の階段を上がる。その1段1段を踏みしめて軋む、床の音。外から聞こえるかけ声と、グラウンドを走る足音。そして、身体の芯を震わせる、心臓の鼓動。
いつもの部活へ向かうはずの足は、途中で止まる。向きを変え、今にも外れそうな引き戸を開く。
私は、1人で資料室にやってきた。今日ここへ来ることは、誰にも話していない。サエちゃんにはもちろん、大山くんにもこのことは伏せてある。
相変わらず資料室は埃っぽくて、薄暗い。でも太陽の傾きが変わったせいか、昼間よりも光が射し込んでいて明るく感じられた。甘酸っぱそうな、マンダリンオレンジの光。それに照らされて、鏡は資料室の片隅にある。限りある、ありのままの世界を映して。
境界線が出現する部屋の中心を越えないように、私は鏡に挟まれる形で立った。向かい合う鏡の間に、今はまだ私しかいない。だけど。
『資料室にある鏡の前で死んだ人に会えるらしい』
もし、大山くんの言った話が本当なのだとしたら。
私が好きだった、お姉ちゃんに会えるのだとしたら。
カメラを構える。大山くんとは、カメラのファインダーを通して繋がった。お姉ちゃんは、カメラが大好きだった。だから、繋がれるとしたらやっぱりカメラの世界でだと思う。
鏡よ、鏡。
どうか、私の願いを。
そして、私はカメラのシャッターを切った。
「……あれ?」
「……え?」
結論から言うと、私がお姉ちゃんに出会うことはなかった。
その代わり鏡の中に現れたのは、もはや日常の一部になりつつある境界線。それと、同じように鏡に向かってカメラを構えていた、大山くんだった。
「中里? なんでここに?」
「それはこっちの台詞だよ。まさか大山くんも来てるなんて、どうして?」
「僕は、ほら、昼に言ってた取材だよ、取材」
「また抜け駆けしたら怒られるんじゃないの?」
「今回はちゃんと許可取ってきたから、大丈夫」
改めて前後の鏡を確認する。やっぱりそこには大山くんがいた。いつも通り。私達にとっての日常。お姉ちゃんには会えなかったけど、こうして大山くんに会えるとほっとする。
「いきなりこの部屋で遭遇するって、初めてだね」
「そうだな。でも行動パターンが一緒なら、不可能なことじゃない」
そう言って、大山くんは傍らに置いてあった椅子に腰を下ろした。彼の姿は平然とそこにある存在だけど、決して手に届くことはない。触れることはできない。
「私達、パラレルワールドじゃなくてこっちの世界で出会ってたら、どうだったのかな?」
「……どうだった、って?」
「私達の行動パターンが一緒なのって、定められた法則のせいだけなのかな、って。……正直、私はそれだけじゃないと思う」
行動パターン。規則性。そんな形に私達の関係をはめ込むことに、いつしか違和感を覚えている私がいた。
「きっと私達が同じ世界で出会っていても、私達は気の合う2人だったんじゃないかな、って思う。だから……」
資料室の中で、時間が止まっているような気がする。動いているのは私と大山くんの2人だけで、空気を泳ぐ埃や粒子の1つ1つさえも制止しているような。
私の中で眠っていたはずの感情が今、静かに燃えている。
「だから私――」
「やめよう」
言葉を遮って、大山くんは言った。
「もう、この話はやめよう」
沸々と沸き上がっていた気持ちが、一気に冷める音がした。
「……僕らは、もう会わないほうがいいのかもしれないね」
「そんな、どうして」
「実はずっと、考えていた」
大山くんの冷静で澄み切った瞳が、どこかを見据えている。それがどこなのかは、読みとれない。動揺して言葉を失っている私とは、似ているようで全然違う。
「僕たちは、元々お互い出会うべき存在じゃなかったんだ。住む世界が違うんじゃ、どんなに言葉を交わしたって、距離を縮めたって意味がない。どんどん苦しくなるだけだ」
大山くんの言葉は、正論だった。返す言葉は、見つけられない。
「僕らはお互い、自分の世界を生きるべきなんだ。こんな偽りの関係は、どのみち続けられない。だったら、すっぱり忘れたほうがいいんだよ。もう、これ以上踏み込んじゃいけない」
ゆっくりと、大山くんは立ち上がる。
「ねえ、待ってよ――」
手を伸ばす。指先が、境界線へ。
「さよなら」
触れた。
「待ってよ!」
風に舞う砂みたいに、大山くんは消えた。
最後に綺麗な、だけど寂しげな笑顔だけを残して。
大山くんは、私の前からいなくなってしまった。




