異世界転生(社会復帰)するなら、ギグエコノミーが最強説
元はこのタワマンに住んでいたこともあったのにな。保守センターの入口を小走りに探しながら、俺は思った。保守センターからでないと、俺のようなウーバーイーツ(Uber Eats)のデリバリー配達員は、マンションの中に入れてもらえないのだ。普通のオートロックマンションのように、正面玄関からピンポンして入ることは俺のような下流国民には許されないのである。
まあでも、配達は配達だから、ヤマトや佐川の人たちと同じ扱いになるのは仕方のないことで、引っ越し・納品・配達業者はことごとくこの保守センターでいちいち名前やら電話番号やら訪問先やら用件やらを書かないとタワマンの中に入れてもらえないのだった。自分が住んでいるときは、そんな勝手口的な入口がどこにあるかなんて気にしていなかったから、余計に苛立ちが募る。くそ、俺はここに何年も住んでいたんだぞ。もうすぐ年越しだというのに、少し汗ばんできた。余計に焦る。汗が背中にジワリとにじむのを感じる。背負っている配達リュックの中には、新橋駅前の古臭い昭和感炸裂のビルの1Fの狭いスペースに店を構える、バカ高いスムージーとサラダが入っている。これを早くたぶんマダムなんだかお水の姉ちゃんなんだかわからんが、多分絶対にこの平日の昼間にこんなのを悠長に頼むのはその手のやつだ、とにかくこのタワマンの43階に住んでいるお客様に渡さないと、俺は次の配達店へとピックアップに行けないのだ。ウーバーイーツは配達数が稼ぎのほぼ全てを決める。配達までにどれだけ時間がかかろうと、もらえる報酬はいっしょなのだ。だからタワマン案件はウーバーイーツ配達員の間で忌み嫌われている。クソのように無駄な時間を使うからだクソったれが。
まあでも確かに『(いうまでもないがコナミから独立した初のA kojima hideo gameのタイトルであるところの)デス・ストランディング』を思わせる、あまりにも巨大なウーバーイーツの配達リュック、通称ウバッグは、たしかにダイナマイトでもたっぷり詰め込んでタワマンに突入すれば、さながら村上龍の『半島を出よ』のラストのように、ビルを瓦解させるのには十分なだけのボリュームがあるから、保守センターを通したくなる気持ちもわからなくはない。いうなれば、このリュックひとつで9.11に匹敵するようなテロリストになれるというわけだ。
いやでもそもそも本当にその気があるやつなら、保守センターを通ってもタワマンにはすいすいと侵入できそうだ。だって荷物検査もろくにあるわけじゃなし、こんな形だけのセキュリティチェックに意味があるのか? せめて荷物の中身を空港みたいに金属探知機なり非破壊検査する必要はあるんじゃないのか? じゃなきゃ本気のテロリストなんて止められないじゃないか。だったらこんなセキュリティは本質的に意味がない。それどころか配達員にとっても受け取る客にとっても受け取る手間・無駄・コストが発生しているわけでLose-Loseの罠でしかない。セキュリティの語源はそういや se(離れる)+care(配慮する)で、つまり配慮の喪失を意味するのだといったことを社会学者の本で読んで記憶がある。あれは誰だったか。肝心の自分も配慮と関心を喪っていたのだった。
というのも俺はつい1年前まで、酒にどっぷりと浸かり、自らのニューラル・ネットワークをボロボロのズタズタに破壊し、リアルに前頭葉と海馬が萎縮していたからだ。ARP、通称アルコール依存症・リハビリテーション・プログラムで学んだことの1つで興味深かった話がある。酒を飲んで酔いつぶれるて記憶を失うのは、パソコンでいうところの突然電源バチンを落としてシャットダウンするようなもので、必ずハードディスクなりSSDなりに破損が生じるようなものらしい、という比喩だ。そりゃそうだ、突然そのニューロンに血液が行かなくなるのだから、その細胞は死ぬのだ。つまりはデフラグ(死語だな)が必要なほどに寸断された自分の二次記憶であるところの海馬が、記憶を適切に呼び戻すことなど不可能なのだった。確か『社会』というタイトルの本だったと思うのだが、「社会 社会学 選書」とかでググっても一向にその本が出てきやしない。なんとまあSEOにミスったタイトルにしたものだ。こんなトートロジカルでググリアビリティの低い書名があるか。
保守センターで入館証を受け取り、俺はスマホを片手に書名をググりながら、非常用エレベーターが1階に降りてくるのを待っていた。いや待てよ、齋藤純一の『公共性』だったかもしれない。ハンナ・アーレントがタワマンを見たらどう思うんだろう。一見それはセキュリティ、つまり安全性に満ちた古代ギリシャのポリス(要塞都市国家)のようでもある。しかしそれはプライバシーに満ちた、つまりアーレント風にいうならば「公共性(公的なもの)」が奪われた空間でもある。だからアーレントはタワマンなんて毛嫌いしただろう。ここには『人間の条件』で彼女が称揚したような公共空間におけるアクション、あるいは「現れ」がない。つまり人前でスピーチするといった公共的行為のためのスペース(アゴラ的な広場)がない。あるのは、俺みたいな現代の奴隷、アーレントがもっとも人間の条件として格下にみなした動物的な労働、Laborのための非常用通路だけだ。
でもそれでいいと俺は思っている。むしろアーレントやマルクスにドヤってやりたいよ。21世紀には、資本主義と情報化の発達の末に、新たな労働力の搾取形態(交換様式)がスマホアプリとUberのようなプラットフォーム企業を通じて生み出されているのだから。流動的なプロレタリアートという意味の造語で、プレカリアートなんて言葉もあったが、ウーバーイーツの配達員はまさにそれだ。スマホアプリ1つで、自由にいつでもデリバリープロバイダとして働けるのがウーバーイーツの売りだが、それは実際には、要はアルバイトとして雇用しないことで(いわゆる「非正規社員」ですらないってことだ)、個人事業主との業務委託という形で、企業が肩代わりして払うべき社会保障やらの税金納付コストをカットするこのビジネスモデル。それが「ギグエコノミー(Gig Economy)」だ。ギグエコノミーってのは、ググると「インターネットを通じて単発(Gig)の仕事を受注する働き方、あるいはそれによって成り立つ経済形態」っていうんだそうだ。ギーク的エコノミーだからと勘違いしていたよ。すまんね。あ、ちなみに俺もこの配達で得るのは配送距離がだいたい2kmくらいだったからまさに500円程度の「単発仕事」の「業務請負」だ。確かにこりゃ資本側のコスパはいいに決まっている。つまり労働力の搾取という意味でのコスパが極まっている。
よってこれはいまだに化石のように残っている格好のリベラル左派の批判の対象なのだった(ロスジェネなんて言葉もあったな)。なかにはウーバーイーツ配達員の労働者としての権利を守るべく、ユニオン(労働組合)なんかを組む運動もあるようだが、俺にとってはそんなもの知るか。社会的信用のほぼ全てを失った人間が、すぐさま労働者として働き口にありつけるだけで、むしろ慈悲深きかなウーバーよ。ニーチェが夢想した「ウーバーメンシュ(超人)」という形而上学的存在は、まさにインターネットとスマートフォンとプラットフォーマーによって形而下の実在として現前しているのだから。マンセー、ウーバーイーツ。さようなら、ギャングたち。ようこそ、ギグエコノミーの世界へ。俺の、俺による、俺のためのリアルな異世界転生は、ウーバーイーツが可能にしてくれたのだ。
ということで、あとで招待コードを教えるから、ぜひ自分もやりたいと思ったら連絡をくれ。いまなら君が俺の招待コードでウーバーイーツ配達員としてノルマを達成すれば、インセンティブとして8万円が俺に入ってくるから、その半額の4万円をキックバックするからさ。副業でも十分まあ小遣い程度は稼げるんだ。悪くない話だと思わないか。や、ぶっちゃけ俺はこの小説を通じて、この招待コードのインセンティブでさらにコスパよく稼ぎたいと思っているんだ。どんどんウーバーイーツがやりたくなるはずだから楽しみにしてくれよ。
――といった勧誘活動は、おそらく規約違反だろうな、と思い、俺は自分の中での妄想をやめた。次の店に急いでピックアップに行かねばならぬ。