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学校で教えられる学問の一つに歴史学というものがある。
昔、ここは死の世界で、鬼たちの棲む巣窟だった。人々は鬼たちに虐げられる毎日だった。そこへ一人の乙女が現れた。乙女はその圧倒的な力をもって、鬼たちを小さな森の中へ封じ込めた。乙女は人々に自らの力を分け与え、人々は幸せに暮らすようになった……。
確か、このような内容だった。教員はうっとりとした顔で、まるで聖書を読むみたいに、繰り返しこの話をした。この創作のような話に出てくる乙女の子孫が、現在の女王陛下だという。彼女は時々、丘の上の小さな城から降りてきて、民衆の暮らしをご覧になる。
僕もその姿を一度だけ見たことがある。まだ幼いころ、村の長老が亡くなった。人が死ぬと、村総出で葬式を上げることになっていた。その葬式に女王陛下も参列された。名もなき老人の死を、女王陛下が自ら悼みに来られたのだ。彼女の優しい心遣いに感激し、人々は涙を流した。
また、女王陛下は鬼を退治した乙女の子孫であり、強力な魔力を有しているとされている。この世界の平穏は彼女の力によって保たれている。人々の平穏が崩れるときがあるとすれば、彼女に何かあったときである。女王陛下は民衆にとって、自分の命より重い存在であった。
あの恐ろしい森から逃げかえると、母から鬼の形相で怒鳴られた。あまりに怖くて、森で出会った鬼が何でもないように思えた。
「二度と、あの森に近づかないこと。それから、森で見たことは誰にも言わないこと。早く寝て。全部忘れて」
ぴしゃりと言われて、反論する気力もなく、僕はご飯を食べると2階に上がった。
暗い部屋に明かりもつけないまま、ベッドに寝転がり、窓から見える星空を眺めた。こうしていると、昼間に見た鬼の、あの恐ろしい顔が浮かんできそうで身震いした。
まさか、鬼が本当に存在していたなんて。この世界の歴史学は胡散臭くて、鬼もフィクションだと思っていた。そうなると、乙女が鬼を封じ込めたというのはあそこの森なのだろうか。
身を起こせば、その森は目に入る距離にある。今は暗くて何も見えないが。
急に怖くなってランタンに火を灯した。部屋の中に柔らかな光が灯る。
……あそこにいるんだ。あの恐ろしい鬼が。この家の、すぐ近くに。
森には近づいてはいけないと言われていた。母だけでなく、学校や送り迎えのおじさんからも。しかし、そこに鬼がいるからだと教えてくれた人はいなかった。それはなぜだろう。大人たちは鬼の存在を知っていたのだろうか。それとも、想像上の生き物だと片付けていたのだろうか。
それから、あの女の子。まだ幼くて小柄だった。あの細い腕で、一瞬にして、鬼の心臓をもぎ取った。どうして、あの子はあそこにいたのか。彼女は一体何者なのか。
女王陛下の身が安全ならば平穏な生活は守られると、学校で何度も聞いた。しかし、それは間違いだと暗闇の中で考える。少なくとも今日、僕の平穏は乱された。今は自殺願望も湧いてこないほどの恐怖に苛まれている。僕はひょっとすると、取り返しのつかない過ちを犯してしまったのではないかと、そんな気がしてならないのだ。
そして、そんな予感は的中してしまったのである。僕は朝、学校に行くために瞬間移動おじさんを待っていた。そのときに、例の少女と再会した。
眠れなくて、早くに家を出てしまったので、周りには誰もいない。広い平地には牛すらいない。
少女は小さな影法師を伸ばしながら、まっすぐ、僕に近づいてきた。顔が見える距離まで近づいてきたので、この間助けてもらったお礼でも言おうかと思った。改めて見ると、その子の顔はますます幼かった。5歳くらいは年下なのではないだろうか。
ところが次の瞬間、目の前の女の子が牙をむいた。そして、そのまま僕の首筋へと噛みついた。