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ヒロインが登場します。
魔法が使える世界に転生して、だいぶ時が流れた。もはや、前の世界こそが夢だったのではないかと思い始めている。僕はいまだ魔法が使えず、友達もできないまま、うっすらとした自殺願望を抱えて、依然として生きている。
入ってはいけないと言われる森がある。
土地はほとんど開拓され、平坦な大地に畑や集落が広がっている。だが、その森だけは一切人の手が加わっていないのである。人々は誰も、そこに近寄ろうとはしない。
僕はその言いつけを破って、一人、森の中へと入った。12歳の夏休みのことである。入ってはいけないと言われるほど入りたくなってしまう天邪鬼の精神と、未知の領域への好奇心のためである。
そこは鬱蒼としていて、太陽の光があまり入らない。じめじめとして、薄暗い。妖怪でも住んでいるのではと思われるほど不気味である。外はこんなに光で満ちているのに、一歩踏み出すだけで、まるで別世界に踏み込んでいるような気になった。
奥に行くほどますます生気がなくて、振り返ると出口がやたらと眩しく見える。一歩奥に進むと生の世界から遠ざかり、死へ近づく。森を進んでいるうちに、漠然とそういう感覚に陥った。それが、疲れ果てた僕の心を癒した。
日常生活の忌々しさは暗いところに心を沈めているとやがて消え去る。そして、空洞になったところに、恐怖がじわじわとしみだしてくる。
森をある程度進んだところで、僕は引き返すことにした。こうして、また頑張って生きていけそうな気がした。母のところに戻らなければいけないと思った。
黒いもやのような忌まわしい気持ちが消え去ると、その森はいよいよ不気味だ。太陽の光はもっと温かいもののはずなのに、何かの抜け殻のような生気のない木々を通したそれはすっかり魂を抜かれてしまったようだ。ここは生者が来てはいけない場所なのだ。
僕は家路を急いだ。早く森を抜けなければ死んでしまう。そんな予感がなぜかあった。あたりは不気味なほど静寂で、草むらを踏み分ける自分の足音と早く打つ鼓動が恐怖を煽る。
出口はまだ遠い。光の満ちた世界がずっと遠くにあった。早く、帰らなくちゃ。だが、出口は一向に近づかない。こんなに走っているのに。
こころなしか、足音がもう一つ増えているような気がした。いや、これは気のせいだ。自分の足音を別のものだと勘違いしているのだ。
そのとき、足を何者かに引っ張られる感触があり、僕は頭から地面に突っ伏した。地面は腐葉土でフカフカしていたので大した衝撃ではなかった。
しかし、足首を何かにがっしりとつかまれて離れない。僕はぞっとして、おそるおそる、後ろを振り返った。
心臓が止まるかと思った。全身の感覚が抜けて、冷たい汗の感触だけが残っている。
それはしわしわの手だった。死にかけの老人のような。ところが力は大変強く、足首はがっしりとつかまれたままだ。その手の赤さは、この世の生物とは思えない。血の沼でも泳いできたのではないかと思われるほどだ。
顔は、とてもじゃないが恐ろしくて見られない。しかし、きっと人間ではないのだろう。
足を引っ張られ、抵抗してもむなしくて、胴体は地面を擦る。
もうおしまいだ。母さん、言いつけを破ってごめんなさい。
今まで死にたいと何度も思ってきた。前世では自分で命をあっさり絶った。でも本当は死にたくなんかなかった。まだ生きたい。くだらなくても、かっこ悪くても、僕はまだ。
けれど、そんな願いはもはや虚しい。万力のような握力で足を握りしめられ、逆さに吊るされた。そのときになって、僕はようやく敵の素顔を目にした。
予想通り、それは人間ではない。血のようにドロドロと赤い顔。しわだらけの額からは牛のような角が生えている。口からは鋭い牙。黄色くて小さな目は、肉食獣のようにギラギラしている。
世にも醜く、恐ろしい姿。こんなものが存在していたなんて。
血の色のつま先が、僕の左胸に触れた。頭に血が上り、反対に背筋は凍った。僕は目を閉じた。次に来るであろう激痛をこらえるために――。
ところが、その瞬間はいつまで経っても訪れなかった。おそるおそる目を開ける。そして、またぞっとした。目の前に、血の滴る心臓があったのである。
足をとらえていた力が緩んで、僕は地面に落下した。背中をさすり、後ろを振り向いた。
そこには、赤い鬼の死体と、その心臓を握りしめる少女の姿があった。