(3/23後書きに追記あり)『すげどう杯』という企画をやった結果の、主催者としての感想
早速だけど。
本当は、こんなタイトルみたいな件で筆を執るつもりはなかったんだ。一昨日くらいまではね。
だけど、そうも言っていられない事情が出来た。ことは僕だけに留まる話ではないということを友人が助言してくれたからね。
そして、これから語る内容はこれを読んでくれているみんなに対して意見を押し付けようというものでも、賛成・反対の意見を募ろうというものではない。
ただ、僕がこう思ったという感想をつらつらと述べていくだけだ。それでも構わなければ是非、今後企画というものに参加したいだったり、開催したいなんて思っている君には特に、読んでもらいたいなと思っている。
①事の発端
さて、まずは事の経緯をかいつまんで語っていこう。
事の発端は、適当に思いついた『ジャンル問わずに作品をみんなで持ち寄って、出来を競おうぜ!』というノリの企画『すげどう杯』を僕が開催したことだ。まあ、実は要項を見れば内輪だけには伝わる『裏ルール』が記載されていて、それをもとに競い合うっていう内容の、完全に内輪向けの企画だったんだ。募集も活動報告で行ったしね、当初はよくやり取りのあるお気に入りユーザーからしかエントリーはなかったよ。当然だね。
そうして運営様には企画開催する際の注意事項なんかを頂きつつ、こういう条件であれば開催OKだよという確認が取れた後、万全を期した状態で開催された本企画。投稿期間は3月9日から17日まで。開催初日には4つくらいの作品が投稿されていたかな? 僕としては開催期間中に10までいったら御の字だなと思っていたから、順調な滑り出しだと思っていたよ。
そして、僕は主催者としてもちろんそれら投稿された作品を読み、『企画の趣旨にあっている』ことだったり、『単純に読むに値する』ことだったりであったことから、評価を入れた。全部短編だったからブクマは入れなかったけど、評価マックスの10ポイントだ。
僕は元々あまり読むタイプのユーザーではないけど、読んだ作品に対しては評価を入れるようにしている。そしてその作品がガチで書かれていてガチな評価を求めている『本気』の作品だったり、気に食わないことがない限りは基本的に5・5を入れる主義だ。それは僕のユーザーページから見れる『評価した作品』一覧を見れば分かってくれると思っている。
さて、そうして初日に投稿された作品のうち1個かな?(僕自身はランキングを確認していないから当時の順番がどうなっていたか知らないんだけど)
それがどうやらエッセイジャンルで日間ランキング5位圏内に入っていたそうだ。うん、まあそれも当たり前かなとは思っていたけど。
僕もちょいと前まではよくランキングを覗いていたんだけど、エッセイとかその他みたいな過疎ジャンルって、大体50ポイントくらい取れば5位くらいには入る―――というのは、これを読んでいる人なら大体知っていることだと思うけど。
50ポイントっていうのは、5人の人が10ポイント入れれば届く数字だ。単純に新着から拾ってもらうしかない他の人の作品と違って、こっちは企画作品。逆お気に入りが100くらいある僕が『こういう作品がアップされていました!』って活動報告で告知すれば、結構な数の人が流れ込んでいくと思っていた。
ちなみにどのくらい僕の活動報告から飛んで行ったのか、その数を何となく検証することが出来た。
今から挙げる作品をエントリーしてくれた作者さん、彼を仮にAさんと呼ぶことにしよう。
Aさんは元々僕とは接点のなかった(と、僕は思っている)作者さんで、この企画がランキングに上がっていたから参加してくれたんだ(と、僕は思っている)。Aさんが投稿してくれた作品は現時点で確認できるポイントも十数ポイントしかないから、企画開催期間中ランキングに載っていなかったと推測できる。
さて、このAさんが上げた作品。いくつユニークPVが入ったかというと掲載初日で40、2日目で28ついていた。ちなみにこの作品は昼の時間帯に投稿されていたから日をまたいで新着欄に載っていたという可能性は皆無だ。
このユニークPV数と比較するために、このAさんの作品の直後に投稿された、企画とまったく関係ない作品のユニーク数を見てみた。掲載初日は24、2日目は1だった。まあ、こういった埋もれ方はよくあるよね、僕も経験がある。
―――さて、これらの作品について、すごいPVの差が出てると思わない? 片や68、片や25。このユニーク数43の差が、僕の活動報告を経由した読者の数そのものを表しているんじゃないかって僕は思っている。(もしくは企画に興味を持ってくれた人が検索してくれたかだね)
ただ、このAさんにコアなファンがついていた場合は別だ。その場合は企画の力でも僕の力でもなく、単純にAさんの交友関係が広かっただけという見方も出来る。なろうではお気に入りユーザーを非公開にできるし、はたまたツイッターとか外部でのやり取りが主である可能性もあるし、その交友関係を客観的に見ることが出来ないからどこまでいってもこの話は推測の域を出ない。あくまでそういった見方も出来るという風に解釈してくれたらいい。
というわけで、ここで言いたかったことは、『誰がどんな作品を投稿しようと、企画に参加した時点で他の作品より40人くらいは多く人の目に留まる』ということ。
つまりは『読者の絶対数が多いから評価されるに足る作品であった場合、50ポイントくらいはすぐにいく』ということ。
うん、つまりはこういうことなんだ。
【企画に応募すれば高確率でランキングに載る】
そう、僕は企画というものの力を軽視していた。この事実があった為にこの後、本企画は予想外の方向へと動いていくことになる。
②ランキングに企画作品が載りまくる事態に
僕は当時、企画作品がランキングに載ったらしい(相変わらず自分では見ていなかった)ことを聞いて、喜びの声を上げていた。それはそうだろう、そういった形で企画が盛り上がっていることを周知できれば、参加を見送っていた友人たちも参加を表明してくれるかもしれない。そうすればより盛り上がれる。そう期待していた。
ただ、予想外なことにこんな内輪な企画に新規参入してくれる人も出てきた。しかもそれが面白い。残念ながら『内輪にしか分からない裏ルール』が、当然ながらその人には通用していなかったけど、それ抜きでも面白い作品だった。僕は感想を残したし、僕の友人たちもその作品に感想を残した。もしかしたら、その人には作品投稿後、『あっ、これ身内の企画か…』と気づかれて、すごい気まずい思いをさせてしまったかもしれないけど…もしそうなら、本当に申し訳なかった。
まあ、そんな予想外もありつつも、ランキングに載ったおかげもあり、見込み通り日ごとに次々と身内から作品が投稿されていく。それらを僕はいつものように『企画の趣旨にあっている』あるいは『単純に読むに値する』場合には5・5の評価を入れていった。
そんなこんなである日―――何日だったか忘れたけど、友人から知らされたんだ。『エッセイとその他ジャンルのランキング上位がほとんど企画作品になってるよ』ってね。
僕がそれを聞いて確認した時には、2カテ・上位5位の計10作品のうち、8個が企画作品だった。
それを見て当時の僕は―――まあいいか、と思った。
だって、わりとそこに載っている人たちって、普段エッセイを書いたら高確率でランキング上位に上がってくる人たちばかりだったし、そもそも僕なんかより交友関係が広い人もいる。そうでない人もいたけどその人の作品は単純に面白いものだったし、ランキングに上がっていることは至極当然のことだった。
つまりは、ある意味エッセイ・その他ジャンル常連であった僕たちにとってすれば見慣れた光景だったんだよね。(一時、企画でもなんでもないのに身内だけでエッセイカテ上位5位を独占したこともあったし)
そしてそのランキングに企画の盛り上がりが顕著に表れている気がして、僕は大いに喜んだ。
でも、残念ながら喜ぶだけで事態は収まらなかったんだよね。
③怒りのメッセージが飛んでくる
僕はツイッターもやってるんだけどね。そこに対してメッセージが飛んできたんだ。
『お前がやってる企画のせいでランキング5位に届かなかった!』みたいな趣旨のメッセージだ。このメッセージを送ってきた人を仮にBさんとしよう。
まあ、Bさんもそこまで怒っているわけではなく、『企画やってるんだったら投稿時期ずらせばよかったよ、くっそー!』みたいな感じで言ってくれたから和解出来たんだけどさ(と僕は思っているけど、いいよね?)。
それ以外にも、『企画作品が相互評価の温床になっていて、ランキングとして不健全なものになっている』という指摘を頂いた。このメッセージ主を仮にCさんとしよう。
Cさんから送られてきた内容については、まあ正直、個人的には『企画に限らずいつものこと』だと思ったから、別にどうでもいいやと思ったんだけどね。
だって『企画だから相互評価』ではなくて、『いつでも相互評価』なのが現状じゃない? 有名作家の書いた作品にはどれだけ下らなかったり名前がいけてなくても評価がつくし、交友関係を広く持っている作者が書けば毒にも薬にもならないような作品だろうとそれなりの評価が入るし、どれだけ素晴らしい作品だろうと逆お気に入りがいない&新着の運がなければ埋もれていくし。
もしこの『相互評価』っていうものが気に食わないのであれば、運営様に直談判してみるといい。お気に入りユーザーという制度や活動報告という機能、あるいは思い切ってユーザー機能そのものを削除してくださいってね。そうすれば君が望む、純粋に作品のタイt―――げふんげふん、質で勝負ができる健全なランキングというものが出来上がるんだと思う。
現状、逆お気に入りや活動報告なんてSNSに似た機能がついているなろうにおいて、身内・仲間・友人を作ることがランキング掲載の確率を大きく上げる手段になっている。それを僕は『悪用』するつもりで活用したつもりはない。多分、普通に行われていることなんだと思っている。
―――という不毛なやり取りを、実は開催期間中に裏でしていたわけなんだ。
それでもって、起こった出来事がそこまでだったら、僕はこんなエッセイを書こうと思わなかっただろう。自分の手と目が届く範囲で起こった些細な出来事だ。
ただ、そうも言っていられないなと思う出来事があった。きっかけは、知人から貰ったとあるメッセージだった。
④悪意は作れる
これまたツイッターでのやり取りで申し訳ないんだけど、企画を終えた今週の月曜日。最近知り合った知人からツイッター上でメッセージを貰ったんだ。すんごく長い奴をね。しかもエクセルで作ったと思しき表まで添付してきて。かなり本気な奴だったよ。このメッセージを送ってきてくれた人を仮にDさんと呼ぼう。
Dさんから貰った内容を要約すると、『君のやっていた企画は、こんな悪意ある形で世に公表されてしまう可能性もある』っていうことだった。
詳細は省くけど、僕が開催した企画内で行われている相互評価について、『データの抽出の仕方や条件次第ではこんな悪事を働いていたように見えるよ』といった内容だった。そしてそのデータに付け加えられていた文章はもう嫌悪感で画面を叩き割りたくなるほど醜悪なものだった。(もちろん、その文章がDさんの本心ではないことは事前に確認した上で読んだから、僕がDさんに対して敵意を抱くことはなかったとだけは言っておくよ)
つまりは、企画主催者である僕や参加してくれた友人たちを晒し、なろうや外部サイトでつるし上げるような内容がそこに書いてあったとだけ言っておこう。僕はそれを見て、気分が非常に悪くなった。と同時に恐怖した。
もちろん、そこに書かれているものに対しての反論はいかようにも出来る。データの抽出の仕方も悪意溢れるものであり、少しデータのとり方を変えれば、あるいはそういうデータになってしまった事情を鑑みれば、それが不正でもなんでもないことは説明できる。
ただ、それはあくまで説明であって証明ではない。そこに悪意や不正を働く心がなかったことを証明することは誰にも出来ないからね。
つまり、僕が恐れたことは次のことだ。
【悪意は作れる】
Dさんが作った例文とデータを他人が読んだ場合、半分くらいの人は『何言ってるんだこいつ』って思ってくれると思う(と、勝手に僕は思っている)。それくらい、悪意が分かりやすい文章だったからね。
でも、そうでない人は? 少しでも僕が開催した企画に対して思うことがある人は、この文章を読んで賛同するんじゃないかって僕は思ったんだ。
それはとっても、恐ろしい事態だよね。③で語ったCさんは間違いなくそこに賛同するだろうし、もしかしたら割と譲歩してくれたBさんですら賛同するかもしれない。そして賛同した彼らは僕たち企画側の人間にとってのアンチとなる。彼らサイドでは僕たちこそ現在ランキングを荒らしているアンチとしてしか見ないだろうし。
一回火がついた輩を押さえるのは難しい。それは感情論でしかないけど、何となく納得してくれるんじゃないかなと思っている。
……まあ、とはいえ全てが後の祭り。もう企画は終わってしまった後だし、ランキングから『すげどう杯』の名前が消えて5日くらいが経っている。今更、今回の企画に対して僕ができることは何もない。
ちなみに。
僕自身は悪いことをしたというつもりは一切ないので、謝ることはしない。でもBさんみたいに『惜しいところで6位だったんだよ、くそがっ!』みたいに言ってきてくれたら『タイミング悪くてごめんね!!』くらいは言えるかもしれない。該当する人がもしここまで読んでくれているのだとしたら、そういう意味では謝りたいので連絡してもらえると助かります。
⑤このエッセイの意味
最後に、こんなすげーどうでもいいエッセイを書いてしまった一番の趣旨を語っておこうと思う。
僕自身は前述したように悪いことをしたつもりがないし、企画自体もすごく楽しかった。
新しい人と出会えたし、今までは友人の友人みたいな繋がりでしかなかった人とも繋がれたし、企画の中からすげぇいい作品も出てきてくれた。当初の予想をはるかに、大幅に超えた大成功だった。
だからこそ、『また次も企画をやって欲しい』と願う人がいたり、『今度は俺が企画主催してみようかな!』と思う人が出てきたりするだろうと思う。
そんな人たちに、僕がDさんから助言を貰ったように、アドバイスを残しておきたい。
企画は成功すればするほど目立つ。目立てばそれだけ不快に思う人もきっと出てくる。
その不快に思った人たちからの圧に耐えられる自信がなければ、企画は立ち上げない方がいい。その圧とはきっと、参加してくれた人にすら飛び火する可能性のあるものだ。直面すると意外と悶々とするぞ。
ちなみに僕は、次回企画を開催するときは評価受付禁止というルールでもってやった方がいいかなと思っている。世の風潮が変わればその限りではないけどね。
まあ、そんな感じの、つらつらーと語るだけの、企画を主催した感想でした。
こんな取り留めもない話を最後まで聞いてくれてありがとう。おやすみなさい。
追記:途中で僕があげた『相互評価』という言葉を拡大解釈し、「内容読まなくてもお互いに作品へ評価し合うことを約束した仲」みたいに、わざわざ悪い方へ読み違えている輩がいたので言っとくけど。
それは明確な規約違反だ。僕が言っているのはそういうことじゃない。っていうのはまあ、読んでくれた大半の人が意図を汲んでくれているんだと思うけど。
君たちはお気に入りユーザーを登録しないのか?自分と感性が似てるな、この人の作品はどれも面白いな、こいつ僕には書けない作品書いているな。そんなふうに思った相手をお気に入りユーザーに、登録しないのか?
僕はする。お気に入りユーザーにしておいて、そいつが最新作を投稿したらすぐに見れるようにしておいて、『ああ、やっぱり面白かった』って思えば評価を入れて、『んー、今回のは微妙だったな』と思えば入れない。
そんな当たり前のことを指して、『相互評価』っていう言葉を使って言っただけ。そこの関係性において僕は一度たりとも『僕の作品に評価入れてよ!』なんて言ったことはない。もちろん、相手側からもね。もしそんかことを言われたら逆に僕は見限ってお気に入り解除するよ。
もしこの『相互お気に入りからの作品追っかけ→面白かったら評価』という行動すら否定するようであれば、君たちのやろうとしていることは相当にストイックなことだ。僕が本文中で冗談として言った、なろうが用意しているユーザー機能というものを完全に排除しなければ、『真に作品の質によってのみ評価される世界』は訪れないだろうからね。
「感想を貰った!こんな感想を書いてくれる人はどんな作品を書くんだろう?読んでみたいな」
「あ、前に面白い作品を書いてた人がまた新しい話を書いてる!見に行こうっと」
「この人の作品は、作者のことを知れば知るほど深みが増すし説得力も出てくるんだよなぁ。追っかけようっと」
君たちの言っていることは、上のような動機でもって読みに行くことを良しとしないと言っているのも同然だ。もしそうであれば、読みに行って、それがどれだけ面白くても『いや、それじゃあ悪しき相互評価になってしまう、ぐぬぬ…』って歯噛みでもしていればいい。
そういう風にあえて、なろうなりの楽しみ方(というかネット小説なりの楽しみ方かな?)を捨てるのは勝手さ、宣言するなら好きにやってくれ。
僕は宣言しないけどね。好きな人の作品を読みに行って、面白ければ評価をポチるし、なんだこれわけわからんってなれば評価を入れない。企画中だってその姿勢は貫いている。
以上。