「人生は素晴らしい」らしい
督促状がポストに入っていた。
権力を少しも隠そうとしない督促状という文字の下に
国民年金という文字があった。
国には国のルールがある。
平等だけど統一されたわけではないルールを守り
不満をこぼしながらも多くの人がそれに従っている。
それを守らなかった私は、正しい国民じゃない。
私はどんなに短い横断歩道の信号も無視しないけど
イヤホンをしながら自転車をこいだりもしないけど
仕事を休憩なしで6時間以上働かないけど
国民年金は払わなかった。
これは私なりの、罪の帳尻合わせだ。
人を守るためにルールができ
ルールを守ることで人も守られるという
とても理にかなったシステムだと思っていたけど
どういうわけか、ルールを守ると損をした気分になる。
私の友人はあまり頭のいい方ではないけど
目標が決まれば努力をする可愛い奴で
猛烈に勉強をし始めていたことがあった。
私はそんな友人をこっそりと応援していたけど
試験を終え、結果を言うとダメだった。
しかし後日、何となく見ていたネットの動画サイトで
自分は努力もせずにコネで試験を通過した話を
面白おかしく話している人気者がいた。
それは友人が受けた試験と同じだった。
その話がどれほど信憑性があるかは分からないけど
少なくともそういう人がいるのは事実と思えるような
具体的な内容だった。
その人気者はコネで試験を通過し
そしてそのネタを動画サイトで稼いでいる。
誰が頑張っているとか、楽をしているとか
そんなものを比べるつもりはないけど
どういうわけか、私は感情を乱した。
かといってできる事はその動画に
低評価をつけることぐらいしかない。
怒りを過ぎて、虚しくなった。
信号を無視しても
イヤホンをして自転車をこいでも
労働時間をオーバーしても
多くは罰せられることは少ないけど
国民年金を払わなければ
どこまでも追いかけられてしまう。
私は正しい国民ではない。
「そんなルール無くなってしまえ」
そう思っているからだ。
あの日、結果を知った友人が私に電話をしてきて
「ずっと前から努力してる人には追いつけなかった」
と、友人らしい軽やかな声を出していたけど
その語尾がほんの少し揺れていたのを
私は聞き逃さなかった。
私が入れた低評価は少数派で
多くの視聴者はあの動画を
高評価に入れていた。
私たちの自由は誰が作っているのだろう。
あらかじめ決まっていたルールを
わけも分からず従って育った子供は
途中で気付いた時には、もう抜け出す手段は限られている。
それでも私たちは、健康で裕福で恵まれている方なのだと
NHKのドキュメンタリーが感動的に伝えてくる。
「人生は素晴らしい」
まるで、台本を読まされているようだった。