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第九十七話

 シギュルーの登場で俺の役目が減ると危ぶんだのだけど、ただそれは杞憂に終わった。

 シギュルーは空を飛び、広域での警戒を行うだけで、今まで通りに物見要員は必要だったのだ。そりゃそうだよな、幾ら賢かろうと危険を知らせることが可能とは言い切れないもんな。


 そして開拓団一行は道中に何か起きることもなく、都市国家フェルニアルダートに到着した。

 このフェルニアルダートでは一泊するのみで、あとは食料を少々補充するだけか。

 今回はそれこそ宿の部屋が足らないということもなく、全ての人員が宿に宿泊することができた。

 護衛に見張り、不寝番といった役割がない開拓団員にとっては都市での宿泊くらいしか骨休めできる場がないのだ。

 ただ馬車に揺られているだけと、侮ってはいけない。暇を持て余し、やることがないということがどんなに苦痛か。俺にはやることが多々あるので、そこまででもないけれど、その気持ちは十二分に理解できているつもりだ。

 だからこそ、短い一日ではあるけれども十分に心と体を休めてほしい。



 それで以て、俺のやることといえばアレだ。

 そう! ブドウ液がやっと俺の満足のいく段階まで発酵してくれたことだ。

 今、ライアンに予め挽いておいてもらった小麦粉にブドウ液を流し込んで作った種が俺の手元にある。

 これは水を吸って膨らんだ干しブドウや細かいクズを取り除いたりという、実に地味な作業だった。

 その上で、予め挽いてもらっておいた小麦粉もパン一斤くらいは焼ける量が、同様に手元に残っている。

 買い物に出るというミラさんとリスラを送り出した手前、何とかして成果を出さねばなるまい!


 帝都で手に入れた小麦粉は店頭で軽く水に溶き、粘り具合を確認している。

 パンを焼くには基本、小麦粉は強力粉。フランスパンとかバゲットで中力粉。中力粉は確か、うどん粉とも言うって話だった。

 聞き齧りなのは例の如く、俺の脳内にある兄貴の知恵袋を参照しているからだ。はた迷惑な好奇心の塊である兄貴だけど、ここに来て一番役に立っているということがまた感慨深い……。


 やべ、兄貴の話はもう良いとして。

 ライアンに石臼で挽いてもらってある小麦粉は、俺個人の判断で恐らく強力粉だと思われる銘柄だ。もし間違っていたら目も当てられないが。

 ただ、一般的に流通している小麦粉の挽きが甘いのは本当に困る。セモリナ粉と呼ばれる挽き方に近いのだと思う。パスタに使われる小麦粉の挽き方だったはず、あれはデュラム小麦のセモリナだけど。

 しかも、だ。ライアンの石臼は勿論のこと手回しの代物なので、大量に細かく挽き直すという工程は圧倒的に時間が掛かってしまうため、今のところ、少量しか存在しない。酵母の種自体は出来たけど、ここで失敗してもライアンはキレかねない。

 小麦粉の挽き直しに関しては、子供たちや暇を持て余している大人たちにお願いしてみるというのもアリかもしれない。


 宿の厨房の片隅をお借りして、大事な小麦粉に少量の酵母種と、これまた少量の砂糖を加え、こねこね。砂糖は厨房にあったものを使用させてもらっている。

 低糖パンなど作れる見込みは俺には皆無なので、酵母の栄養に砂糖が必要なのだ。

 そして、厨房は火が焚かれているだけあって室温は高めだ。やや涼しい北国の夏でも、これだけの熱量があれば発酵に問題はないと思う。いや、発酵が進んでくれないと困るのだ!


 俺の作業を邪魔しないように工夫しているのだろうが気が散る。

 その原因はライアンとアグニの爺さん、それと宿のご主人とその奥方。

 好意で貸してくれている宿のご夫婦に関しては許容しよう。ただ、ライアンとアグニの爺さんは何でここに居るのだろうか?


「そんなにそわそわしてても、まだまだ時間は掛かるよ?」


「出来るんだな? 出来るんだよな?」


「ゆ……ではなく、カツトシ殿の手柄であるからの。とくと拝見したく」


 生地の表面に徐々に張りが出てきているので、問題なく発酵が進んでいるのだろう。このままだと表面が乾燥してしまうから、布巾でも被せておくか。


「たぶん、出来る」


「たぶんじゃ困るんだよ! 俺はあの硬いパンで歯が欠けたんだ!」


「若いのに軟弱だのう」


「うるせー、爺」


 俺はまだ歯が欠けたりすることはないけども、確かにあの硬いパンにはうんざりである。アグニの爺さんはどういう顎をしているのか、バリバリと齧るからな。


 翻って、宿のご夫婦はというと。


「あの、もし宜しければ、試食など、させていただけたら?」


「元よりそのつもりです。無償で厨房をお借りしていますからね」


 しかも砂糖まで勝手に使っているのだ。味見くらいする権利は当然のことだろう。



 やたらと真剣な目で生地を見守るライアンを除いて、雑談を交えながら発酵が進むのを待った。

 最初の工程でこねこねしていた状態の約三倍にまで膨らんだだろうか?

 本当なら、食パンの型みたいなものに入れて焼きたいのだけど、存在しないのだから仕方がない。


「二つほど切り込みをいれて、卵は希少だから水で良いか。パンを焼く窯はどこでしょうか?」


「はい、こちらです。先ほどまで使用しておりましたので、余熱の必要もないでしょう」


 あっ、やべ。余熱のことなんて、すっかり頭から抜けてたわ。ご主人、グッジョブ!


 窯の中を覗き込んで、息を吹き込む。返ってくる熱気から大体の温度はわかった。

 適度に打ち粉もしたあるので生地は無駄にくっつくこともなく、窯に投入。

 俺の家のオーブンだと四十分掛かったから、この温度だともう少し短めでもイケルはずだけど。でも、標準的な時間を見ておく必要もあるか。

 実際につい先ほどまで、硬いパンを焼いていた温度なのだ。ここは宿のご主人に任せてしまえ!

 その上で逐次監視をしていれば、失敗して焦がすということもあるまい。

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