第九十一話
昨夜は本当の意味で危機一髪だった。いや、マジで!
造血剤の効果が表れ始めたとはいえ、血が足らない状態でミラさんの狂乱に付き合うなど、死を覚悟するようなものでしかない。
そこで俺は考えた。何も正直に全ての持ち札を晒すことはないのだ、と。
ライアンから託されたスクロールの存在は伏せたままとし、訓練によって血が足らないということを真摯に訴えた。そして、師匠が外出先からいつ戻るかもわからないことを説明することで、ミラさんの理解を得ることが可能となったのだ。
それにあの場にはリスラも存在もあった。
俺は彼女に対して、対応を決めかねている部分がある。それは彼女が当初、打算の塊であったことが原因ではない。
俺の勘違いでなければ、今の彼女からは淡い恋心のようなものを感じることが出来ているからだ。但し、致命的な問題が横たわっているため、どうしようもない。
それは何かといえば、寿命の問題だ。
俺の寿命がどのくらいかは大体の想像はつく。リスラの寿命に対し、俺の寿命は恐らく十分の一程度でしかないだろう。
その問題を前にして、俺は俺自身の気持ちと彼女から向けられている感情に素直に答えて良いものか、迷いがある。
ヘタレだとも思うし、臆病だと評価されるかもしれない。だけど、彼女の幸せを考えると、そう簡単に決断してよいというものでもないはず、だ。
物見台に座りつつ、そんなことを考えていた。
運よく、たまたま、ローテーションの順番が今日だっただけのこと。
まだ出発前で、それぞれの馬車に乗り込む開拓団員たち。同時に家畜たちは放牧地から俺の乗る荷馬車のへと押し込められている。
欠伸をする牛と目が合った。どう贔屓目に見ても外見は虎なのだが、その口内に生える歯は臼状で猛獣らしくはない。
天井を踏み抜いて落ちたら噛みつかれかねないぞ。しっかりと足元を確認して移動するように心掛けないとな。
午前中はライアンとアグニの爺さんの鍛錬風景を眺めるのが、物見台での定番となっている。ライアンもだが、アグニの爺さんも飛んだり跳ねたり、殴ったり蹴ったりと元気なものだ。
昨日、師匠に教えてもらった魔物除けの匂い袋を入れる小箱。これ、大まかに俺の感覚でだけど約五百メートル間隔で設置されている。
その最も効果が薄くなる部分では中型の魔物に遭遇することがままある。
今日最初の魔物は牛だ! バッファローみたいに体全体が筋肉質で、頭に生える角も顔もゴツく毛むくじゃら?
ちゃんと牛の形をしたの、いるじゃないか。でも、魔物なんだよな。
突っ込んできた二頭のバッファローは運悪く、アグニの爺さんとライアンの蹴りにより天に召されることに。二人は二人で、臨時に魔物の肉が手に入ったと大喜びだ。
確かに肉らしい肉を最近食べてないよね。特に馬車での移動中だと、簡易な食事ばかりだもの。
そんな大事なお肉たち、もといバッファローは相棒が『収納』することに。まぁ、呑み込むだけなんだけどさ。
バッファローを『収納』したのとは別の触手が俺の前で止まる。
差し出されたのはステータスプレートだった。
ただ、なぜ、このタイミングで? とも思うが、その疑問は見れば解決するだろう。
まず目に留まったのは結成式の祝砲以来、掠れていた『びぃむ』の文字が元に戻っていたこと。
要因はたぶん、開拓団の馬車を襲撃してくる魔物を『収納』していることだろうか?
ライアンは魔素を活性化されるのに血液を触媒に用いている、と。どうやら相棒は魔物の血液か肉か皮かは判然としないけれど、それを用いている可能性がありそうだ。
「相棒やい。さっきの肉は食肉にする予定だから、使っちゃダメだぞ?」
一応、釘を刺しておくことにした。
返答はサムズアップで、器用に猫手の親指を立てている。
ただ今回はそれだけではなく、加筆された項目がひとつ。
それは『射程+1』だ。相棒の今までの最大有効射程は三十メートルだった。
裏技的な方法で数メートルなら延ばすことが出来てはいたが、それはそれ。
今回のこの『射程+1』ではどの程度延長されたのか、気になるところ。どこかで一度試して、把握しておく必要がある。昼食の時にでもやってみようかな。
剣に魔力を通す訓練は物見の当番でない日にやる。俺にとっては、ながら作業で出来るほど甘いものではないからな。
就寝前にやるというのも難しい。子供たちと兼用になっている馬車内で、武器を広げるというのも、中々に空気が読めていないだろう。子供たちには健やかに過ごしてもらいたいからね。
あっ、そうだ! 今日はまだブドウ液、見てないや。
そろそろ、ちょうど良いはず。




