第八十六話
宿へと戻ってきた。
昼食は買い食いでの食べ歩きで済ませたから、中途半端な時間にお腹がすきそうだけどな。その時はその時で、宿の食堂で何か作ってもらうとしよう。
「おかえりなさい。どうでした?」
「少しまだ落ち込んでいるような所もありますけど、大丈夫だと思います」
部屋で待っていたのは勿論師匠だ。ミラさんのことが余程気になっていたのだろう。
まぁ、俺としても師匠が居るというのは実に都合が良い。ライアンにもらったスクロールの解析に助言してもらえると思えるからだ
「師匠、これなんですけど」
「スクロールですね。購入したのですか?」
「いえ、ライアンにもらった物です」
もらった物ではあるが、押し付けられたに近い。でもライアンのことだ、無駄な物を寄こしはしないだろう。
では早速、スクロールを閉じている紐を解き、その中身を確認しよう。
これは魔法陣と呼べるものだろうか? 全て同じに見える魔法円が三つ描かれているものなんだけど。
「循環の魔法陣の基本形ですか。この筆跡はライアンのものですし、自作でしょう」
ライアンにもらったスクロールの魔法円の記述はこうだ。
『息吹を留め、その伝達を断つ』
じっくりと解読すると、同様の記述がある三つの魔法円が描かれているのがわかる。その魔法円それぞれの中心を線で結ぶと正三角形を描くように配置されている。
「そういえば、魔法陣の記述に関することは教えていませんでしたね」
師匠は今まで俺に魔法陣の描き方を指導したことはなく、俺が見様見真似で作り上げたものがあるだけだった。
「良い機会です。循環の魔法陣について、少し説明しましょうか。
カットス君、どこから魔力を流しますか?」
えっ、いきなりですか? 魔法円が三つならんでいるけれど、それはすべて同じ。ならば、どこから流しても同じ、かもしれない。
試しに一つの魔法陣を選び、俺の数少ない魔力を流し込んでみる。
俺の魔力が流れることで一筆書きのように記述された魔法陣の流れに沿い、光を放っていく。効果はよくわかりません。
「この魔法陣に関しては正解です」
「不正解もあると?」
「循環の魔法陣は幾つかのパターンがありますからね。その場合には、よく魔法陣を観察し解析する必要があります」
俺が用いる魔法陣は魔法円一個が基本だ。あまり大きくすると魔力不足で発動しない上に、魔力枯渇でぶっ倒れるという危険性もあり得る。
魔物と対峙している最中にぶっ倒れるものなら、即ちそれは死を意味するだろう。俺はそんな間抜けな死に方は御免被りたい。
だからこそ、今回は魔法陣の理解を得るのに必死だ。
「それにですね。この色といい、この塗料、間違いなく吸魔石をしていますね」
「吸魔石?」
「ええ。結論から言いますと、吸魔石を使用した塗料で描かれた魔法陣は魔力の消費が少なくなるのです。
ただ、吸魔石は非常に高価ですからね。ライアンはどのように手に入れたのか、自作したとも考えられますが」
「作れるんですか?」
「方法そのものはそう難しいものではありませんが、熟練の技術を必要とするでしょう。魔石を燃料とする魔具をも用いるだけですが、魔石内に収められている魔力の消費を限界ギリギリで保つ必要があります。そうでないと魔石は灰のようになってしまいますからね。
僕も何度か挑戦してみましたけど、一度も成功した試しがありません」
なんだ? 師匠、話の途中で少しだが落ち込み始めたみたい。
「魔石というのは、そもそも他者の魔力を弾きます。この性質は他者との魔力の授受が不可能であることと同義です。
『魔力には質があり、それは個体により様々である』
これは義母の教えですので人族の社会では異端視されますが、その概念自体は人族やエルフ・ドワーフの社会でも根付いています」
「魔石には新たに魔力を流し込むことができない、と?」
「その疑問はカットス君自身で試してみてください。あとで、ね。
で、吸魔石の話に戻りますが。
魔石には魔力を吸着するという性質があるというのを覚えていてください。何故と訊かれても僕には答えようもないので、そういうものだと思ってください。
内包していた魔力をギリギリまで放出した魔石は魔力を貯めこもうとします。ですが極微量なれど元の魔力の性質を有するために、結局は極弱い反発により新たに得た魔力は流れ出してしまう特性を持っています」
師匠の説明で吸魔石が貯めこんだり、吐き出したりという正反対な性質を持っているということは理解した。それがどう作用するのか。
「循環の魔法陣は魔力を無駄にせず、記述に伴い隣り合う魔法陣の発動に利用するという特徴があります。更には吸魔石にて魔力のロスが限界まで抑制されている。
このスクロールは少量の魔力を一切無駄にせず、延々と魔術の効果を現し続ける。それでも消費された魔力は戻らないので、いずれ効果はなくなりますが」
師匠の説明を聞きながらスクロールの魔法陣に目を向けると、俺の流した魔力は未だに魔法陣の上を流れていた。ただ、師匠の説明通り、魔力の流れる勢いや魔法陣そのものが放つ光の加減は弱くなってきている。
「それで師匠。これは何の魔術を記したスクロールなんですか?」
「確かにこの記述ではわかりにくいですね。……これはたぶん、防音のスクロールではないでしょうか?」
なんだと……、師匠もイマイチわかってないだと……。
本当に防音のスクロールなのか? 疑問だ。
でも、久しぶりの師匠の授業は随分と為になったと思う。
俺は魔力の量が少ないらしいからな。もう少し勉強して、ぜひ自身の力へとしたいところだ。




