第八十四話
予定というのは、早々に狂うから予定なのだろう。
帝都を出立後、二晩を馬車の車中で過ごし翌日の午前中にはルファムという名の宿場町に到着するはずであったはず。しかし開拓団の馬車列は、夕暮れも間近となった街道を未だに進み続けている。
旅程を組んだミラさんに計算違いがあったとするならば、それは農耕馬の脚に他ならない。
大型の農耕馬の常歩は俺が軽く走るのと変わらない。周囲を警戒する軍馬に比べると、どうしても劣る。多少の雨でも苦にしない力強い歩みには感動を覚えもするが、その歩みの遅さには辟易とさせられるというのもまた事実だった。
また、地政学上の問題も浮き彫りとなる。
まず、帝都を軸とした開拓地は存在しない。
過去に併合した都市国家の郊外にのみ、開拓村が発展した宿場町や農村規模の開拓村が複数存在している。概念としては衛星都市と呼べるのだろうか? 町や村規模なのだが。
そも、衛星都市とう概念をミラさんは理解できなかった。星は空に輝くモノとされ、衛星は勿論のこと、惑星などという概念は理解の範疇にはないらしい。
客観的に自分の居場所を確認できる人工衛星でもない限りは、この大地も含めた星が惑星であることの保証はない。さらに水平線を臨むことも適わないこの地方では、ここが本当に惑星なのかという疑問は当然のように存在する。
そして天文は俺の苦手分野のひとつであり、義務教育課程を超える範疇の教養を示すことは不可能。それもまた所詮は中学生レベルの浅知恵でしかないので、余計な知識は披露しないほうが良いと判断し、適当に切り上げた。
但し、ダリ・ウルマム卿が星座早見盤を手にしていたのには大いに驚いた。小学生の頃に理科の授業で使った、アレだ。
白磁に描かれた星と月、それと対になるように黒く塗られ一部がくり抜かれたガラス板を中心の鋲で組み合わせたもの。
今はまだ街道があり、辿れば都市や開拓村には到着できる。ゆえに星座早見盤を使っていたのは予行練習のようなものらしい。
これから複数の都市や開拓村を超えた先では、街道が敷かれていない場所が多々あるそうで、進行方向を見失わないために用いるのだと教えてもらった。
ただ、彼の持つ星座早見盤に俺の知る星座はひとつたりとも記されてはいない。実は未来の地球なのではないか? という淡い希望を抱き、夏の大三角を探したがなかった……。うん、現在は夏真っ盛りなのだ。北国だからそんなに暑くないけれど。
そんなことは端から期待していない。こちらで初めて夜空を眺めた折、小月と大月と呼ばれる二つの月が存在していることを確認し絶望したからだ。
夜空を仰ぐと見える小月は、日本でいうところの北極星だったか金星だったか? 星を見る上での基準とするものであるらしい。あとは大月と分かり易い星の並びを利用し、方向を見極めるのだと。
あぁ、ファルムにはそろそろ到着するだろう。幌を捲り、顔を覗かせると遠目にだが確認できた。
宿場町規模でも外壁は塀にしか見えないが、門を護る兵士の姿もちらほらと観える。開拓村の規模だと塀というより柵だし、魔物や野盗の襲撃に対して安心できるほうだろうか。
正直なところ、開拓団の構成員は皆疲れている。
到着し次第、宿のベッドでゆっくりと眠りたい。風呂などという贅沢を言うつもりはない。
毛布代わりにしている毛皮を折りたたみ、クッションの代わりとしていても尻がもげるのではないかと思うほどに痛い。ただ座っているだけという苦痛。痔になったら、どうしようか?
しかしながら、俺たちのような護衛や監視の任につくものはまだマシだ。何もせず、馬車の中で過ごす者たちは苦痛を堪えるのに随分と苦労していた様子だった。
まぁ、真っ先に飽きたのが子供たちであることは言うまでもないだろう。
そして、その生贄となったのは俺とライアンだ。
俺は物見の任務がない日は子供たちと同じ馬車で毛布の上に転がり、ずっと寝たふりをしていた。放っておいても相棒が子供たちの相手をしてくれるからな。
悲惨なのはライアンだろう。アグニの爺さんとの稽古が終わると馬車に戻り、子供たちの遊び相手となる。
ライアンは外見だけなら、子供たちの中で最年少。ゆえに、おままごとでは赤ちゃん役に抜擢されていた。
サリアちゃんの膝枕されバブバブと発声するライアンに笑いを堪えるのが非常に困難で、寝たふりがバレ双子のパパ役をやらされる始末。
孤児だからなのか、平穏な家庭に憧れでもあるのだろうか? それはもう楽しそうなサリアちゃんと双子の妹ミジェナちゃん。反対に長男役のガヌ君とペット犬役である双子の兄タロシェル君は淡々と無表情のまま役に徹している。
で、翌日の今日も非番だった俺はライアンを連れ、子供たちの乗る馬車から逃走した。子供の相手というのは短時間なら楽しいが、長時間となるとこれまた苦痛に変わってしまうからだ
逃げた先の馬車は開拓団のものでは最後尾に位置し、師匠と武具屋兄弟とゴブリンさんたちが乗り合わせるものだ。
「――あっと、何か来ますね」
「速いナ」
皇帝陛下から貸与されている兵士の乗る馬車を躱した二頭の馬。いや、馬じゃなくてホバースケイルだな。
「御無沙汰しております、ゆう……魔王殿!」
「遅参して申し訳ございません。ところで妹の婿殿はどちらに居られるか、ご存じありませんか?」
この二人はあれだ、キア・マスの兄で名前は……申し訳ないが忘れてしまった。が、イケメンの二人だ! 確か、開拓地まで同行していただけるという話だったかな?
で、捜しているのは間違いなくライアンなのだろう。しかしライアンの素性は秘匿されているもので、如何にキア・マスの兄とはいえ素直に教えてしまうことはできない。
特例でアグニの爺さんが加わっているが、あの尖塔の深夜会議に参集した面子のみに明かされている事実であるのだ。
師匠が辺りをわざとらしく確認後。
「最前列に乗り合わせているやもしれませんね。ダリ・ウルマム卿ならご存知かと」
「左様でございますか。でしたら、父に直接伺うとしましょう。お手数をおかけいたしました」
二人はホバースケイルに騎乗したまま、前方の馬車列の影へと消えて行った。




