第五十四話
「……」
「どうしたんです、ミラさん?」
「陛下たちのことを想うと、理不尽にすぎないかしら?」
「狩りなんて鮮血が乱れ飛ぶだけで、俺もミラさんも楽しめることはありません。それならば早く危機を脱するべきかと」
「そ、そうね。ル・リスラたちの元へ急がないといけないわ」
相棒の協力の元、右側から襲撃する予定だったウータンは駆逐された。残るは皇帝陛下率いる護衛たちが相手をする左側からの襲撃者と、正面に居ると思われる大型の何か、だ。俺の買い被りだったのか、変態エルフメイドは未だ後方へと合流してきてはおらず、少しでも早くこちら側から救援に向かう必要があった。
後ろを振り返り、一度皇帝陛下たちの様子を窺う。2体のウータンはその容姿からは想像できないほどに俊敏で前衛を翻弄してはいるが、中衛の槍のお陰か一方的に押し込まれるといったこともなく善戦していると判断できた。
「ミラさん、ちゃんと座っていてくださいね。移動します」
「問題ないわ。急ぎなさい」
担がれていた獲物たちが散乱する場を超え、リスラや変態エルフメイドの元へと急いだ。
「ご主人様!」
リスラを脇に抱えた変態が俺の右側へと、飛び込むように転がり込んだ。リスラの手にも背にもクロスボウはなく、気を失っているかのようだ。
「姫様が突進を、直撃は避けたようですがこの有様です」
「敵は?」
「あれです!」
変態エルフメイドの右手の指の先。
そこには高さ10m近くはありそうなゴリラが……。ゴリラ・ゴリラ・ゴリラで、シルバーバック! 但し、超デカい個体。
「おいおいおいおいおいおい、なんだよあれ?」
「グレートウータン。この守護の森の主と呼ばれるほどの魔物です」
「森の主なのに殺しても良いの?」
「そのように呼ばれているだけで、狩ることに何の問題もありはしません。ウータンの変異種であるらしく、稀に発生すると言われています」
デカすぎて遠近感がおかしい。それりに距離があるはずなのに、見上げなくてはならないのだ。
「わたくしはこのまま姫様を連れ、後方に下がります」
「いや、俺の傍に居ろ! 相棒の射程範囲なら、そちらの方が安全だからな」
「でも、カットス。あれは流石に大きすぎるわよ?」
「ミラさん、俺はあれよりも遥かに巨大な地竜の相手をしたこともあるんです。あの程度、どうということもありませんよ」
あの時は林の木々に隠れながら、こっそりと後方から近寄ったんだけどな。今回は真正面からとはいえ、相棒の触手の本数も増しているから大丈夫だろう。たぶん。
――ガンッ
「クソッ、あの野郎、知恵もあるのかよ。相棒、盾は全部使え!」
まだ50m以上は離れているというのに、投擲された石というか、ほぼ岩は物凄い速さで盾に直撃した。相棒が石の正面にラージシールドを構えたからなのだが。
「ご主人様! 奴は動きが良いので気を付けて――」
「ただのウータンもかなり俊敏だったようだが、それ以上かよ! この図体で」
「姫様をお願いします。わたくしが牽制に回りますので」
それだけ言い残すと、変態エルフメイドは霞のように消え去った。直後、巨大ゴリラの左脇腹に雷を纏う刃が突き刺さり、ほぼ同時に振るわれた鞭がその刃を抜き去る光景を目に飛び込んでくる。
「なんなんだ、あのメイド!」
「引き付けてくれているのよ。なんとかしなさいよ」
「射程に捉えるには近づくしかないが……」
「ル・リスラは私が抱えるわ。カットスは思うようになさい」
リスラを待機中の触手でミラさんの元へと運んでもらい。俺は、変態エルフメイドを標的としている巨大ゴリラの元へと速やかに近づいていく。
なんとか射程圏だと思われる位置に移動し終えると、相棒は俺の頭を一撫する。何か、考えがあると判断すべきなのだろう。
相棒は弓を取り出し、鉄矢を番えている。引かれている弦を見るに、いつでも射てる状態にあるようだ。
「下がれ、メイド!」
俺が変態エルフメイドを呼ぶ声と相棒も強弓から鉄の矢を放つのは、ほぼ同時。矢は至近ということもあり、丸太のような腕の筋肉をも突き破り貫通すると後方へと消えていった。だが、強烈なダメージを負った巨大ゴリラの意識は俺たちの方へ向くことになるのも当然のこと。
――グラアアアアァァァァァァア
悲鳴なのか、雄叫びなのか? 貫かれた傷口から血を吹き出しながらも、俺たちへと突進してくる巨大ゴリラ。もはや恐怖以外の何物でもなく、ミラさんなど慌てふためき抱えていたリスラを落っことす。俺はといえば魔法構築の始めるだけで精一杯。
巨大ゴリラは一瞬の内に距離を縮めてきた。振りかぶった拳を俺へと叩きつけるべく、渾身の力を込めた大きな踏み込み――
「キャアァァ」
だが、それは彼のものが存在した最期の姿。
「あれ?」
「どこいった?」
俺たちの目の前の地面が一部だけ陥没している。巨大ゴリラの強烈な踏み込みで凹んだにしては、範囲が異常に広い。10m近い大きさを誇るゴリラの足でも精々が2m無いくらいの太さで、直径10m以上もの歪な円形に凹んでいるのも不可解だった。
「ご主人様、触手様が地面に」
そっと振り返れば、俺の背中から伸びた触手が一本、地面へと突き刺さっていた。
じっと観察していると、しばらくしてスポッと抜け出てきた触手。今の今まで突き刺さっていた個所を見ても、何の変哲もない地面でしかない。
相棒の有効射程は30m。それは何も地上や空中に限ったことではなく、地中でも有効らしい。恐らくはだが、落とし穴にでも擬態していたのではないだろうか? 『収納』で土を格納しながら、巨大ゴリラの踏み込みに合わせ触手で飲み込んだのではないだろうか? そして『収納』した土を戻しながら、地中を戻ってきたと考えれば何もおかしくはない。広範囲に陥没したのは巨大ゴリラの強烈な踏み込みなどではなく、『収納』した土を戻す際に目が詰まっただけなのではなかろうか。
「相棒、よくやった。でも俺、また魔法使う暇がなかったよ……」
「以前言っていた、実践できないってこういうことだったのね」




