第四十四話
この部屋の主であるミラさんを置き去りにして、俺と姫様ことル・リスラは静かに見つめ合うこと暫し。ル・リスラの瞳の色は淡く緑掛かった水色で、ミラさんの貸し与えたワンピースに良く映える綺麗な瞳だ。そんな瞳に魅入られ、今にも吸い込まれそう――。
「ちょっとカットス、どうしたのよ?」
「あ、ああ、すみません。少し思うところがありましてね」
「でも、急いでいるときとか、どうしても呼び辛いと困るのよね」
「ご主人様、私のことはキアでもマスでも、メイドでも好きにお呼びくださいね」
変態エルフメイドのことなどどうでも良いのだが、ふと疑問が湧いてきたので質問してみることにした。
「ル・リスラやキア・マスという名前はどういう形式なのかな? 皇帝陛下のお妃様も確かそんな感じの名前だったよね?」
「畏れながらも私がご説明いたしましょう。現皇帝の正妃様はル・リスラ様の姉上にあたる第3王姫ラ・メレア様であらせられますね。
リンゲニオンの命名方法は独特のものでして、他の地域に住まうエルフともまた異なります。他の地域に住まうエルフですと、本人の真名+父の真名+祖父の真名+住処とする森の名を足すことで個人名を示します。エルフには基本家名が存在しませんが、これは他では森の名を冠することでその役目を担っていると考えられています。しかし、このような命名方法ではエルフの都市としては巨大すぎるリンゲニオンに於きまして最終的に『リンゲニオン』の名を冠する者たちで溢れてかえってしまうが故、私たちの祖先は命名方法を変えたと伝えられております。
キア・マスという私の名を例に挙げますと、『キア』とは一つ目の名であり、それに足される『マス』もまた二番目の名となります。
一つ目の名である『キア』または姫様の『ル』につきましては、その音が少ないものを高貴なるものとするという新たな命名方式であります。ゆえに、ラ・メレア様やル・リスラ様はリンゲニオンの王族のみに許される一つ目の名が単音、私のようにその血に連なる家の娘で二音、それ以降は三音、四音と増えていく傾向にあるのです」
「そうなんだ。ありがとう、変態メイドさん」
「ご主人様、お聞きになられましたか? 正妃様にもメイドと認められましたよ!」
結構長い話ではあったけれど、一応はリンゲニオンの命名方式について理解できた。が、「どうですか?」と胸を張る仕草の変態エルフメイドの感性だけはこれからも理解できそうにはないな。
「でも確かにミラさんの意見通り、緊急を要する際は申し訳ないけど、どうしようもないんだよね」
「……カツトシ様。以後、アタシのことは常にリスラとお呼びくださって結構ですわ」
「ええっと、それだとちゃんと呼んでいることにはならないよね?」
「妙な言い回しをされるよりは単名で呼ばれる方がずっとマシですの。それにカツトシ様限定ですから」
「じゃあ、これからはリスラと呼ばせてもらうね。俺のことも様なんてつけなくていいからさ」
どうしましょう、この子、凄く可愛い! エルフだから年齢は当然遥かに上なんだけど、抱きしめたくなるくらいの妹キャラなのだ。実際にミラさんと並べてみるとその差は歴然で、ミラさんは13歳とは思えない見事なスタイルをしていて姉にしか見えず、翻ってリスラはミラさんの胸の辺りまでしかない身長とペッタンコ具合が相まって妹にしか見えない。ミラさんが早々に陥落した理由が手に取るようにわかるというもの。
たださすがにこの流れで抱きしめてしまうのはマズイ、なんたってミラさんの目の前だ。俺はリスラの頭を撫でることで逸る気持ちを収めることにする。俺が彼女を認めたことで相棒も猫の手を伸ばし、俺の手に並ぶようにリスラの頭を撫でまわす。その時、気持ち良さそうに目を細めるリスラの表情がとても愛おしく思えてしまった。
「どう? カットスの触手は怖くはないでしょう」
「はい、お姉ちゃん。柔らかくてプニプニしてて、気持ちいいですわ」
「カットスもル・リスラを妻として迎えられそうね」
くっ……、痛いところを突いてくる。だが、それに関してはガツンと言っておきたい。
「ミラさん、俺は……。俺の懐はそんなに広くも深くもないんです。ミラさんを俺の胸に抱けば、それだけでもう精一杯だ」
「まったくもう、頑固ねえ。私だって父上がカットスを利用するために必要だから押し込んだ政略結婚なのよ? ル・リスラが如何に打算的であれ、私が成人するまでの時間があれば愛情も湧くでしょうに。私だってまだあんたと出会って1年も経っていないのだから、ね?」
「わかってはいますよ。だから、抱きかかえたミラさんが大人しくしていてくれるのであれば、片手くらいはなんとか自由になるでしょうね。その空いた片手でなんとかリスラの手くらいは握れるでしょうか。それが俺の、今の俺の限界ですよ」
キザッたらしい台詞を吐いたことに自分でも驚きを隠せないが今は堪え、そっと右手を伸ばす。掌を上に向け、踊れもしないダンスに誘うかの如く、リスラの目の前に差し出した。
リスラは俺の伸ばした手にそっと小さく可愛らしい手をのせた。今にも壊れそうな小さな手だ、なるべく優しく握りこむ。そうするとリスラは顔を挙げ、俺を見つめると力強く握り返してきた。
「大丈夫そうね」
「ミラさん、俺を誰にも渡さずに独占するという宣言はどうなったんです?」
「そ、それは……。ル・リスラ以外にはもう誰にも渡さないわ! ル・リスラにも貸してあげるだけだもの。勘違いしちゃダメよ」
「お姉ちゃん、可愛い」
そうだろう? ミラさんはテンパると、とても可愛いんだ。わかっているじゃないか、リスラ。
「あの~、私はご主人様の触手が良いので、その、お貸しいただけませんか?」
「キア・マス、それは許されないわ。カツトシ様はお姉ちゃんとアタシのものだもの!」
「ええ、ですから、触手だけでそれだけで良いのです」
折角、上手く纏まりそうだったのに、台無しだよ! この変態エルフメイド。




