第四十三話
「そろそろ昼餐ですな。今日はこれで時間切れといたしまして、お暇しましょう」
「ル・リスラ、キア・マス、そなたたちにもこの迎賓館に部屋を与えよう。明日改めて話を詰めようではないか、なぁライス殿」
「そう、ですね。立て続けに色々ありましたから、精神的な疲れもあり、正常な判断が下せないといったこともあるでしょう。カットス君もゆっくりと休むことをお勧めしますよ」
ミラさんがゴネたお陰で、交渉の場は台無しになった。試験という形で姫様に引導を渡すことが不可能になったのだ。脅すという案を捻りだした師匠も、それを実行した相棒も、そしてその裁定を下した皇帝陛下の手間さえなかったことにされたのだ。
そして俺は更なる無理難題を申し付けられることになり、困惑の只中にある。
宰相閣下の意見が通り、今日の交渉はこれで終いとなった。俺は仕方なく部屋に戻り、ゆっくりと今日の出来事を振り返ることにする。
「おい! なんで変態エルフメイドが俺の部屋に居るんだ?」
「侍従騎士様の真名はメイドと申しますのね、そして私はご主人様のエルフメイド!」
見事に『変態』という最も重要なファクターを無視しやがった。
部屋を出る際、姫様はミラさんの服の裾を掴んだままだったこともあり、ミラさんの部屋か姫様自身に与えられた部屋に戻ったはずで、こいつもそれに付いて行ったものと考えていた。だが、蓋を開けてみればどうだ……、俺の部屋の扉のすぐ横で壁際にひっそりと佇んでいるではないか。というか、いつの間に入ってきた? ベッドに腰掛け、のんびりとしていた俺には一切の気配は感じられなかったぞ。
相手にすると、こいつを喜ばせてしまうだけだ。しかし、そうはいっても一応見た目だけは可憐な女性なので、俺の部屋に無視して置いておくというのもマズい。それに一時的に追い払ったとしても監視がなければ、ここに舞い戻る可能性も否めない。
「お茶」
「はい、ただいま準備いたします。ご主人様」
このメイド、仕事は出来るのだ。それも申し分ないくらい、阿吽の呼吸で。
だが、俺を見る目がいつも笑っていて怖い。いつか、襲われそう。
ミラさんや姫様のことをゆっくりと考えようと思っていたのに、先にこいつの処理を考えなくてはならなくなった。さて、どうするべきか……。
まず、師匠に預けるという案。結局のところ師匠も男性、しかも既婚者なのでメイドとはいえ、エルフだから若くもないだろうが女性の面倒を押し付けるのは気まずい。それはそれでミラさんの怒りを買いそうな気がする。うん、誠に以て恐ろしいから却下。
ならば、姫様の元に送り返すという案。この変態エルフメイドは既に姫様に対して敬意を払っていない以前に、敵対的な発言をしている。それを踏まえると、姫様はこいつの受け取りを拒否する可能性が非常に高い。故にこの案も却下。
「お待たせしました、熱いのでお気を付けください」
「ん」
カチャリと置かれたカップに目をやれば、仄かに香る紅茶。紅茶がこの世界にあることは救いだろう。出来れば、緑茶の方が嬉しいのだけど、今、それを想うのは現実逃避でしかなく、次の案を考える。
やはりミラさんに預けるのが最良だろうか? 姫様の問題をとりあえず放置するならば、ミラさんは俺の唯一無二の婚約者だ。触手マニアのメイドが俺の傍に居座ることをミラさんは良しとはしないだろう。
このお茶を飲み終えたら、相談に行くか。でも、うーん、どうしようかな……。 相談に行った先で、逆にミラさんに説得されそうな気がしなくもないんだよな。
空になったカップを置き、立ち上がると変態エルフメイドも無言で追従してくる。こういうところは卒なく面倒もない。が、こいつはあくまでも姫様のメイドなのだ。さっさと送り返すに限る。
コンコンとミラさんの部屋をノックする。
「カットス、どうしたの?」
「あ~、ミラさん。こいつを預かってもらいたくて」
俺は後ろに控えているメイドを右手の親指で指し示した。
「あなたの侍女なんだから気にすることもないでしょう?」
「俺のじゃないです、姫様のでしょ! それに女性が俺の部屋に居座るのは、そのマズいでしょう? 俺のそういう対象はミラさんだけですけど、ほら、何があるかわかりませんし、俺がこの変態に襲われる危険性もあるわけでして……」
「まぁ、いいわ。こんなところに突っ立ってないで、中に入りなさい」
あっ、マズい。部屋に入ると、説得される未来しか見えない。しかし、俺の考えは酷く甘かったようで、ミラさんは俺の手首を掴むとそのまま部屋へと引きずり込んだ。変態エルフメイドもまた俺の後に続き、ミラさんの部屋へと入る。あぁ、俺の馬鹿! なんで拒絶しないかなぁ。
部屋に入ると変態エルフメイドは空かさず茶器を手にし、人数分のお茶を淹れ始める。俺の予想通りというか、さも当然の如く、部屋には姫様の姿もあった。そして相変わらず、姫様は俺の視線を避けようとする。
「そこに座って。しかし、あれよね。リンゲニオンのエルフの名前は呼び辛いわね」
「……お姉ちゃん」
ミラさんの酷い言葉に悲しそうな表情を隠そうとしない姫様。確かにル・リスラという名前は言い辛いことは間違いはない。だけど、その、今の姫様の気持ちを俺は十二分に理解できてしまう。それはミラさんが未だに俺の名前をマトモに発音したことがないから。その上、俺は相棒の見た目のお陰で愛称と言うか渾名が『魔王』。俺の名を今まで正しく発音してくれたのは、アグニの爺さんと皇帝陛下に宰相閣下だけなのだ。
「ミラさん、その言い方はない。名前は個を示す大事なもの。きちんと呼ぶべきだ」
「でも、ルリスラと呼ぶと怒って言い直させるのよ?」
「ル・リスラと言う名は、とても良い響きではありませんか」
そう言い放った俺を見る姫様は目を大きく見開き。
「カツトシ様」
俺の名を正しく発音した。俺の名を正しく発音した女性は初めてのことで、俺も驚きを隠せない。恐らくだが、帝都やリンゲニオンに住む人たちは俺の名を正しく発音できる可能性はある。だけれども、その第一号が姫様であるというのは何という運命の悪戯だろう。
何とも現金な話だが、俺は姫様に対し少しだけ好意に似た何かの感情を抱いた。




