第三百八十話
「何だこのベッド、随分としっかりしたバネが入っているようだが?」
「作った……というか、作ってもらったんですよ。スプリングから!」
膝というか腿にミジェナを座らせた平良さんは、何気なく腰掛けたベッドの座り心地に疑問を抱いたようであった。
これは俺が本当に適当なアイデアを出し、ロギンさんとローゲンさんを代表する鍛冶師たちの手によって作り出された逸品だ。まぁ、最終的に組み上げたのは俺とウィンだけど、組み上がったものを見本に、そう言うほど多くも無いのだがベッドやマットレスが量産されたことは事実である。
ライアンがよく言うように、俺も役に立っているのだと今更ながらに実感する。
「おぃ、止めないか。この鎧は装着者の意思でなくては脱げないんだ。勝利、早く通訳しろ!」
鎧を弄り廻すミジェナにしびれを切らした平良さんからの要請。
平良さんは質問した当人の癖に、俺の話など全く聞いてなどいなかった。実際にそれどころではないのも頷ける。
平良さんの着用する全身鎧は接続部分が全て内側に実装されており、平良さんの意思なくば籠手ですら簡単に外すことはできない。面貌部分を跳ね上げるバーゴネットとて同様の仕掛けがあるのだと、俺は聞かされていた。
そういう意味では安全ではあるのだが、それでも相手は幼い子供。何をやらかすか読めない。偶然であっても、想定外の脆弱性を看破されては困るのだろう。
また、平良さんが話す言語は日本語だけである。正吾さんのように、俺との間でナノマシンの持つ言語情報の更新が行われていない。理由は、平良さんの身体の特殊性が原因であった。
平良さんはエインヘリヤルと呼ばれる人の形をしているだけの化け物だ。ウィンと同一個体となっている俺が言うのも非常に微妙ではあるが、端的に言えば事実である。
「ミジェナ。鎧は弄っちゃダメ、危ないから」
「むぅ」
普段物わかりの良いミジェナが珍しく拗ねる。そうかと思えば、俺に向かって両手を差し出した。
これは『抱っこして』という合図だろう? 俺も予定外に留守にしていた手前、ここで抱っこを固辞するつもりもなくミジェナを抱き上げようとしたところで、俺の手は空を切った。
違ったのだ。
ミジェナが求めていたのは俺ではなく、俺の両の肩に乗るジルバだった。
しかし、ジルバは器用に俺の肩の上でミジェナの延ばされた手を躱した。ジルバ自体は軽いから、少々動いたところでどうということもなかった。
「ん!」
だが、ミジェナの機嫌を損ねることになった。
「プリン。プリン食べたい! プリンくれるなら抱っこしてもいいよ」
こ、こいつぅ。俺がプリンの提供を渋るからと、ミジェナにその矛先を変えやがった! 子供に食べ物を強請るなど、意地汚いにも程があるだろう!
当然、ジルバはソロノス現代語にてミジェナに要望を出している。
「こら、ジルバ」
「………………しゃべった!」
俺と同様な意見なのだろう。正吾さんはジルバを咎める。
ミジェナはジルバが言葉を発したことに目を剥いて驚いたのも一瞬で、平良さんの膝の上からすぐに降り、出口に向けて駆け出した。
「――まて、ミジェナ! 俺たちのことは内緒だぞ!」
「ん!」
養蜂倉庫を出る前に、一度こちらを振り向いたミジェナは頷き返した。
ミジェナは賢い子だ。たぶん……たぶん、大丈夫だろう。
そもそもあの子は口数の多い子でもないし……、適当な理由をでっち上げてプリンを入手して戻るはずだ。
「幼かった頃のエダたちのことでも思い出しましたか?」
「いや、どっちかてぇとロゼだな。エダは別枠として、ナンナやデアリスは手間の掛からない子だった。余程禄でもない扱いをされていたのか、何にでも興味を示すが従順で大人しく扱い易い子供たちだった。だがロゼは見るもの全てに不満を抱く、とても面倒な子だったからなぁ」
ミジェナが出て行った養蜂倉庫内にて、正吾さんが最初に口を開いた。それは平良さんへ向けた質問であった。
「ロゼッタ?」
「あぁ……あ! そういや、正吾は知らないか。お前たちが来たのは、俺たちに比べると随分と後だもんな。
……時効とするには十分か。実際にあの事件を覚えていて、今も生きているのは俺と睦美、あとはちぇるとアレクぐらいなもんだ」
「事件、ですか?」
「あぁ、事件と呼ぶに相応しい。頭のネジの外れた二人を除き、帰ることを諦めなかった連中の心が根こそぎへし折れた、な。俺の専攻は流体力学で大手食品会社の下請けで鍋作ってたのが関の山だから分野が違い過ぎて、あれに直接関わっていたわけじゃねえが何がどうして起こったかは知っているし、忘れもしねえ」
正吾さんも今の今まで知らなかったらしい話を、平良さんは淡々と語る。
俺は一切口を挟むことなく、黙って静かに聞くことにした。
正吾さんも短い相槌を打つだけで、聞く姿勢を整えていた。
「ロゼが拉致られたのは四歳のバースデイの翌々日だそうだ。当時は混乱して泣き喚くロゼから事の次第を聞き出すのに本当に苦労した。しかも、その記憶自体もかなり曖昧でな。そりゃ四歳と言っても、つい先日まで三歳児だったんだから仕方ねえわ。詳細が分かったのも、完全に物心ついてからだ。幼き日を思い出せるくらい成長してから聞いた話で補完している部分が大半だな」
「三歳、いえ四歳で……」
王竜の顔つきであっても、正吾さんが唖然としているのがわかる。
俺も今まで正吾さんから聞かされていた仲間内の情報から、俺が最年少なのかと思っていたくらいなのだ。そこに打ち明けられた、たった四歳での捕獲乃至は鹵獲行為だ。驚くな、という方が無理がある。
「東京観光に訪れていたイギリス人の両親と弟の四人家族。こっちに来ちまったロゼもそうだが、向こうに残った家族も生きた心地はしないだろうよ。楽しいはずの家族旅行が幼い長女の失踪という、大惨事だからな」
俺の場合はどうだろう? 今まで生きることに、生き残ることに必死で、家族のことは利用できそうな知識以外では碌に考えもしなかった。
元気だろうか? 元気なはずだ。とかその程度だ。思えば、心配していないはずがないのに……。
電車に乗り合わせたクラスメイトや他の皆が居たことで、彼らの口から家族にそれとなく真実が齎されているかもしれない。でも、彼ら彼女らも師匠が口にしたように元の場所に帰れたのかどうか、俺にはわからない。ウィンの能力が未発達ゆえに迷子になったジルバや正吾さんのように、元の場所に帰っていない恐れもあるのだ。
だというのに、俺は……。
「ただ、年齢だけが問題じゃない。奴らに協力するという建前で、奴らの技術を解析しようと考えたにも拘らず、そうして造り出された新たな装置の起動実験で犠牲になったのが四歳の誕生日を迎えたばかりのロゼだった、ということだ」
「新たな……装置?」
「正吾には思い当たる節があるだろう? そうだ、小型だ。奴らは技術を解析しようとした仲間たちの思惑までも利用し、省エネ型の小型鹵獲器を造り出したのさ。頭のネジの外れた二人はその後も嬉々として協力していたがな。結局は短命な原生人類に入れられて使い捨てだ。とことんまで俺たちは利用され尽くした。そんな事実と犠牲となった幼いロゼの姿を見て、仲間たちの心は折れた。王竜の反抗への誘いがなきゃ、俺たちは心をへし折られたまま、この地で朽ちていたろうよ」
「私が鹵獲されたのも小型。そうですか、ロゼッタが最初の犠牲者だったのですね」
「俺たちは半端に関わるべきじゃなかった。今もその問題は付き纏うだろ? 大型は大量のマナを必要とするから滅多に起動すらできないが、一度でも起動すれば向井さんが振動を感知及び探知できるという特性がある。だが、小型はそうもいかねえ。省エネ型だけあって消費するマナは極端に少なく、その上小動物や昆虫さえ確保できれば自力でマナの補給できるという洒落にならない機能がある。そして最も厄介なのはそこそこ量産されたことと、向井さんでも感知できないということだ。それを踏まえれば、勝利が大型での鹵獲であったことは不幸中の幸いとも言えるかもな」
「……勝利くんを鹵獲した大型さえ手に入れれば、希望は生まれるんですよね?」
「確定ではないことがつらいが、な。それでも希望にはなる。いや、なってくれないと郷を脱走までした俺が困る!」
今はまだ捕らぬ狸の皮算用でしかない。
俺にはもう家族のことはどうにもならないし、どうにもできないけど、絶望と隣り合わせで生きてきたであろう正吾さんや平良さんの希望にはなりたい。
出来れば思い出したくもない記憶ではあるのだけれども、ちゃんと道案内くらいはしたい。その上でウィンの協力を仰ぎ、大型鹵獲器を入手するのだ。
俺一人では力不足でも、今この場に居る正吾さんや平良さんの助力があれば不可能ではないはずだ。勿論、ウィンが居てこそ、だけどね。




