第三百七十三話
鍋……ではなく、あさりの貝殻の元を一旦離れ、刺身の前へと舞い戻る。
俺が作業と言うか調理に手間取っている間に、ミル貝も見事な変容を遂げていた。
「これ、便利だよな。風呂のカランに似ているところが玉に瑕だが、こんなやり方があったんだなぁ」
それは、俺が平良さんに貸した新型の給湯器。俺の発想を基にローゲンさんが組み立てただけの、試作品である。
ジルバが開拓拠点を蹂躙する前、拠点内で毎日忙しそうにしているライアンを動員せずに出来上がった一点ものである。
平良さんが言うように、風呂にあるのであれば何ら違和感を覚えない形状をしている。必要に応じて後付け可能できるシャワーノズルなどのアタッチメントもあるのだが、今回はミル貝の湯引きに利用するだけであったため、基本部分だけを手渡していた。
原型である氷の剣から完全に離れ、水道としての利用しやすさを追求している。
使用中に転倒しないよう小屋造りで余った石材の一部を利用し、台座としている。
また、二つの金属スクロールを内蔵した混合水栓式を採用しており、お湯と水を適温を探りながら混ぜ合わせることができる。
しかもバルブの形状はレバー式で開閉時にバルブ捻る動作も楽ちんだ。まぁこれは廃材を多分に利用したために、このような形になったとも言えるが……。
但し、この試作品から量産する計画はあれど、拠点内の各小屋に配給するつもりはない。あくまでも購入してもらうための、売り物としての新型開発であった。
ただ、現在の拠点はジルバに蹂躙された直後なわけで、新型の量産が頓挫していても何ら不思議はない。
「それ、一個しかないんで返してくださいね」
「何も寄越せとは言わねえさ。こんなもん、ひとつあれば十分だしよ」
平良さんから素直に返却された新型給湯器をウィンに預けると、俺は急ぎ食事を再開する。刺身の大皿へと新たに盛り付けられたミル貝へと、早くも悪の手が忍び寄っているからだ。
和気藹々と俺と平良さんや正吾さんが会話する中、エダさんとジルバは食事のペースを乱すことがない。正吾さんは身体的にはジルバと同一ではあるが、食べる行為自体はジルバに任せており、左右に二つあるというブレス袋の片側を占有しているに過ぎない。
「それにしても、アレ、蓋しなくてもいいのか?」
「アレ? あぁ、別に蓋しなくてもお米は炊けますよ。そりゃ、土鍋や炊飯器みたいにふっくらとはいきませんけど……そもそも、そんな上等なお米でもないでしょう」
あの黒い生米を齧った時には、でんぷん質をほとんど感じなかった。
俺がスナック菓子感覚で食う、煎った燕麦の食感と大差なかった。
「……本当か?」
「パエリヤとかそうですよ。大体、蓋になるものが手元にありませんし、仮にあったとしても鍋代わりは貝殻なので、バランスを崩したらひっくり返って台無しです」
平良さんがウィンの倉庫から持ち出してきた石板でも大きさは足りていない。あれ以上大きなものとなると、プリンを作る際に利用する炊き出し鍋の蓋にした鉄板が必要だ。
だが、そんなものはもう俺の手元には無い。タロシェルとリグダールさんのコンビに回収され、宿屋で今も利用されているはずだ。
ましてや、現在も焼けて炭になった薪の上で微妙なバランスで置かれている貝殻が、そんな重量物を支えられえるとは考えにくい。
「固定概念というヤツですね。俺も兄貴がやってるところを見てなかったら、そう思ったでしょうし……」
「……なんだと!? あれだけ苦労してガキ共に土鍋炊きを教え込んだのに、放っておくだけで炊けるのかよ!」
話し掛けてくる平良さんを無視するわけにもいかず、俺は手元まで持ってきた刺身を一旦おあずけとされていた。その間も、一心不乱に食いまくるエダさんとジルバに戦々恐々である。
量が多いにも係わらず、一切の安心材料がない。
「米の量、少なかったかなぁ」
「勝利くん、何合炊いたの?」
「三合くらい」
今も満足げに咀嚼しているジルバから、正吾さんが声を掛けてきた。
「大丈夫。ジルバもエダも、この黒米は嵩増しくらいにしか考えていないからね」
「足せと言われても、もう手遅れなんですけどね」
ちらりと貝殻の中身を振り返れば、あさりの出汁を吸収した黒い米が膨らみ始めている。完全に出汁を吸いきったら、また調理に戻らなければならない。
その前に、少しでも多く腹を満たさないと!
◇
ヤバい勢いで食い続けるエダさんとジルバに負けることなく、平良さんが調理したミル貝を堪能した。
貝の弾力が半端なく、嚙み切るのに苦労したけど、その反面旨味は十二分にあった。俺の好きだった日本で食べたミル貝とは少し違った味わいだったけれども。
「どんな感じだ?」
「いい感じです。チーズのカスから程よく脂が出て、焦げ付くこともないですし」
「――チーズだと? 勝利、お前、チーズ持ってるのか? 出せ! すぐ寄越せ!」
刺身とあさりの蒸し物の余韻を楽しみつつ、米の様子見に戻った俺へと平良さんは掴み掛かる勢いだ。
酒飲みみたいだし、チーズを好むのは理解できるけど、無い袖は振れない。
「もう無いんですよ。切り分ける時に出たカスを流用しただけですし」
「…………いや、あったってこたぁ。また入手できるはずだ。絶対に手に入れろ! そして俺に献上しろ!」
どうだろうか? ベルホルムス村との関係は険悪だからなぁ。
直接の取引は無理だろうけど、拠点に帰ってから一応ミモザさんやシフォンさんに頼んでみるとしよう。
チーズを欲しがる人は多いだろうしな。っていうか俺が一番に、あぁ平良さんの次くらいに欲しい。
出汁を吸いきって適度に膨らんだ黒米を木べらで炒めるように混ぜながら、俺はふと疑問に思ったことを平良さんに尋ねる。
「ところで、貝から血液成分を抜いたら干物みたいになってしまうのでは?」
危うく間違えそうになるが、海の幸を堪能することが本来の目的ではない。
あくまでも、ウィンの『贄』に必要となる血液成分。ヘモグロビンやヘモシアニンとやらを補給するのが目的であるのだ。
とはいえ、だ。貝から血を抜いたら旨味も何も全部持って行かれそうな気が、した。
「そりゃあまぁ、そうだろうが。干物にするならば、天日干しや陰干しにしないと意味はねえな。そのままだと単に水っ気のない貝でしかないだろうさ。それでも汁物の具材くらいにはなるとは思うぞ」
「……なるほど」
肉は残ると。
貯蔵庫で確認したが、だいぶ減ったとはいえ地竜の肉もまだまだ在庫がある。
ウィンが消費するのは、あくまでも血液であって水分そのものではない。
ならば、残滓となる肉の部分は十分に利用可能なのだ。
平良さんの案を採用して干物にするのも悪くはない。いや、良い。
日本で暮らしていた頃はこちらと違って当然だが未成年であり、酒は飲めなかったが酒の肴は好きだった。貝の干物は単価が高くて、父や兄も滅多に買い求めることない珍味扱いではあったが。
「お前の相棒が何を獲ったのか、詳しくは知らないがよ。バカ貝の干物なら大歓迎だ。南下すると……視えるだろ? 砂浜が途切れて磯になる。アワビやサザエに似た磯の先、海中に生息する貝も確保できるんじゃねえか?
まあ問題があるとすれば、所詮は波に浸食された宇宙船の縁だからよ。一定以上進むと、突然深くなることだろうな」
「話の途中で申し訳ありませんけど……そろそろ完成します」
「ん、そうか。大した量はないようだが、俺もご相伴に預かろう」
平良さんと会話しながらも、俺は調理を続けていた。
蒸し物と同様に味付けはしていない。海の塩気がそのまま味付けとして生かされている上、チーズの風味とその塩気が若干加わっている。
すっぽん鍋の時にライアンにもらった薬味となりそうな、ゆり根とにんにくを足して二で割ったような風味と食感をもつ野草もあるにはあるが、今回はナシ。
これでも俺は、貝の旨味や風味を殺さないように気を配っていたのだ。




