第三百六十八話
エダの製作物や私物を回収する折。
先に外界へと降り立った正吾の目を掻い潜り、勝利は俺にひとつ相談を持ち掛けた。
「『サンプル』という言葉の意味を教えてください」
正吾は、あの頑固者は、勝利にまだ何も教えていない。
それはアーグナというシュネーテと対を成す若者に配慮したが故か、サンプルと暮らす勝利の心情を考慮したが故か、いずれであるかを俺は判断できない。
ただ言えることは――
「正吾の思慮を裏切る覚悟はある、か?」
「何も知らないまま、というのもつらいんです」
この少年は『サンプル』が持つ単語の意味を、恐らくは正しく捉えている。
それは、そう呼ばれていることに対して理解を深めただけであって、語源にあたる部分に辿り着いたわけではないということだ。
『サンプル』が『サンプル』と呼ばれる所以を知りたい。と、そう俺に問い質しているのだ。
「俺も正吾のやり方は迂遠だとは思う。だから答えてやることはできる。が、正吾には隠しておけよ」
「それは、勿論です」
こっちに拉致られて二年もの歳月を生き抜いている彼は、そこそこ長生きしているとも言える。
俺たちとソロノス人との戦争以降、サンプルの手によって起動した鹵獲器に因り拉致られた被害者は一年に満たない歳月の間に死亡している例が多数を占める。それは言うなれば、俺たちの捜索と救助が間に合わなかった証でもある。
そこを生き延び、多少の援助があったとはいえ、ほぼ自力で正吾の下に辿り着いた彼は奇跡を体現した存在なのかもしれない。過去にもそういった者がひとりも存在しなかったわけではないが、彼は一風変わっていた。
阿呆みたいに長く生きた自負だけはある俺たちの記憶にも、寄生型魔道生命体を宿した地球人の記憶など、ひとりも存在しない。彼はそれをひっくり返した唯一無二の事例。
更に、俺の知る限り地球人に初めて宿った魔道生命体には、よく見知ったメッセンジャーの幻影が棲んでいた。
それらの存在は俺たちに夢を与えてくれる。泡沫と消える可能性が高くも、叶えばそれは生き残る地球人の福音となり得る。
望外のプレゼントを携え現れた少年が望むなら、何なりと答えてやらねば漢が廃る。
「ただ、今は行け。あまり遅くなると正吾に怪しまれるぞ」
「あ、そうですよね」
俺は摺れたところのない謙虚な少年に苦笑が漏れる。
こんな殺伐とした世界でも心を穏やかに保つことができている不思議な雰囲気を持つ少年に、年がら年中暇を持て余していた俺の関心が向いてしまうのは仕方ないよな?
◆
「夜間は派手に発光でもしない限りは狙撃されることはないよ。明るい所から暗い所は見え難いものだろう?」
エダさんの荷物を回収した俺と正吾さんは、今現在お空の旅の途中であった。
正吾さんに施してもらった暗視魔術の効果はもうとっくに切れている。なので、俺の視界前方に広がるのは闇、闇、闇。ただ、それだけ。
ついでに言えば、月光に照らされた地面は遠い。ほとんど何も見えやしない。
現状、飛行制御はウィンにしか出来ず、俺はウィンの創り出した座布団触手に座っているだけに過ぎない。だから、どこをどう飛んでいるのかさえ、俺は全く知らない。
『……勝利、返事はするな、相槌も打つな。正吾は鈍いがジルバの感覚は鋭い。ただ聞くだけに徹しろ』
突然、平良さんからの糸電話が入った。
しかしまあ、難しいことを仰る。
『お前の右耳に極力音漏れしないイヤフォン型の触手を生やさせた』
ウィンは最適以降、どこからでも触手を生やすことができる。
とはいっても、それは俺の身体のどこかに限った話で、俺の体付近以外の座標にぽつんと出現させるにはまだそれ相応のリスクが付き纏う。
今回平良さんは、俺の右耳に直接触手を生やしたようだ。
俺自身だと背中から生やすイメージが強すぎて、それが標準となってしまっているが、そんなイメージのない平良さんは実に自由度が高かった。固定概念に縛られるのはよくない。俺も見倣わねば!
『エダは騒ぎ疲れて寝た。貯蔵庫に放り込んである』
貯蔵庫に放り込んじゃダメでしょ!?
あそこ、時間止まってるから寝ても疲れなんて取れないよ。入れるなら倉庫か、野原にしないと! 野原は野原でクロとアイボリーに突っつかれて、眠る暇もないだろうけど。
言いたくても言えない。聞きに徹しろとの通達の後なのだ。
着陸後に、それとなく注意喚起するとしよう。
『そういや、貯蔵庫の隅にサンプルっぽい女が座ってたぞ?』
あっ……………、しまったー!!
あの、宿屋で騒いでた女性商人だ! 師匠が牢屋を完成させるまでという約束で、入れっぱなしだったのを忘れてた。
やべぇ、帝都から来る役人に引き渡すまでに確実に拠点へ帰らないといけない。
とりあえず、平良さんさぁ、疑問符で語るのは止めて欲しい。
返答したくなるんだわ。
『で、そのサンプルについてだが、分かり易い言い方をするなら家畜というのが最も適切だろうか』
家畜??
俺が平良さんに訊きたいのは、師匠やミラさんたちをサンプルと呼ぶ理由なんだけど……。どこで俺の質問を取り違えてしまったのだろう?
『言葉の響きとして、良くないのは俺も認めるところだ。が、サンプルの発生に関して言うのであれば、やはり家畜と表現するのが正しいだろう』
言い直した平良さんの回答では、俺の質問は正しく認識されているようではあった。ただ、何と言うか……人の形をしたものを家畜と呼ぶことは、俺にはどうしても抵抗がある。
ここからはって、今もだけど、大人しく平良さんの声に耳を傾けることにした。
どうせ俺は飛行制御に加わることはできないのだから。
『この惑星が毒で溢れた星であることを認識したのは、各先遣隊が地上へと降下した数年後のことだ。だが、その時点で先遣隊の人数は激減したらしい。毒に侵されたんだ』
『探査艇には観測機器だけが数多く搭載されていたが、毒に対応するナノマシンを開発できるだけの機材など存在しない。毒への対抗することは困難を極める』
『ある時、ソロノス先遣隊が現地生命体を複数解剖したところ。胸部・呼吸器官に未知の物質と未知の機能を持つ臓器を発見した。彼らはそれが毒への抵抗するための器官であると認識を改めた』
『現地生命体から切除した臓器を移植するも、当然のように拒絶反応がおこる』
『探査艇には母艦同様に揺篭と呼ばれるクローン培養し、魂を移し替える延命システムが搭載されている。先遣隊の生き残りは、この揺篭のクローン培養技術に希望を見出す』
『自らのクローンを培養し、野に放つ。そんな計画が遂行されることになる。ただ、悠長なことをしている暇はない。進化を助長するために、クローン体の寿命は極端に短く設定され、与えられる知識や技術も生存がぎりぎり許容される範囲のものに留められた。しかも、この計画は母艦にフィードバックされ、他の先遣隊とも共有されていた』
『俺たちの知る原始人とそう変わらぬ暮らしのクローンたちは、世代を重ねると同時に新たな臓器を得ることとなる。中には変異して一代で毒に対応する臓器を得た個体も存在したという』
『クローンを野に放った先遣隊の思惑通り、毒への抵抗する臓器をその身に宿したクローンたち。先遣隊は当初の計画通りに事を推し進める』
まさか……?
『毒への対抗策を有した臓器は搾取される。代を重ねたクローンも遺伝子から素体を特定し、移植。当然、一代で変異したクローンも言わずもがな』
『ただ、クローンを放って後も先遣隊は数を減らし続けていた。よって、臓器が搾取されずに野に放たれたままのクローンも多い』
『野に放たれたまま、更に世代を重ねたクローンたち。そいつらを俺たちは「サンプル」と呼ぶ』
『サンプルたちも俺たちとまた違う意味で犠牲者だ。実験動物だった俺たちと、家畜だったクローンたち。そう変わりはしない、だろ?』
平良さんによって紡がれた話の中身は重く、惨いものだった。
家畜は必要に応じ潰され、肉と成り替わる。
エーテルに対応するための臓器を奪われたクローンが、生存し続けられる保証はどこにもない。これは、そういうお話なのだ。
『正吾が頑なに回答を拒んだ意味は理解できたか?』
正吾さんは俺のこと思って話さなかったのだと、平良さんは言いたいようだ。
それは勘違いだ。俺が訊こうとしなかっただけ、なのだが……。
でもたぶん、俺が問うても正吾さんは回答を渋ったかもしれない。
今更ながらに俺は訊ねるべきではなかったと、後悔し始めていた。




