第三百六十七話
「勝利、ペンは取って来たか? 寄こせ」
「はい」
エダさんと問答を繰り広げていた平良さんに呼ばれ、俺はテーブルの上から持ってきた、ただの棒みたいなペンとインク壺を手渡すことなく、平良さんの目前へと置いた。
正直なところ、俺が平良さんの素肌に触れても喰われることがない事象の確固たる理由が判らない。それがウィンの影響であるのか、それとも調整された俺側の効果であるのか?
わからない以上は、おいそれと平良さんの素肌に触れるべきではない。
そう思った。
「このちょっと硬い藁半紙、表はこっちだな。よし、エダ! ここに『探さないでください』と書け」
「それって、探してくれと言っているようなもんなんじゃ……?」
「いいんだ。こいつは時折、製作物の開発に行き詰まると勝手にいじけて姿を消す。とはいっても郷から出ることはまず不可能だから、腹が減ったらしれっと帰ってくる。そんな阿呆だから、この文面が絶妙にマッチしている」
「……あ、あの、タイラー? こちらの殿方は?」
平良さんの傍に寄った俺へ、ぎょっとした表情を浮かべたエダさんが問い掛けた。
「今更しおらしくし取り繕ったところで手遅れだぞ。お前が吞んだくれて腹出して寝ているのを回収したのは、この少年。勝利だからな?」
「…………ッ!?」
平良さんの説明は間違ってはいないが、正しくもない。
平良さんの指示で俺がウィンにお願いしてエダさんを回収したのは事実だが、俺とウィンは今でこそ一心同体ではあれ、別個の存在であるのだ。
今はタイミング的に、訂正するつもりも毛頭ないが……。
見知らぬ俺を、じっと観察していたエダさんは顔を真っ赤に染めて目を背ける。
恥ずかしいという感情が前面に押し出された格好なのだろう。
それはそれとして、平良さんに少年と呼ばれたことは素直に受け入れることができた。
「子供扱いされるのは久しぶりです。なんだか懐かしい感覚です」
「勝利は幾つなんだ?」
「えーと、今年で十八歳になる予定ですが……。こっちは一年が四百日ということだから、地球の暦でいうともう十八歳になっている?」
俺の誕生日は六月なのだが、まだ春先ではあれど暦が違う。
公転周期が三百六十五日の地球とは異なり、正吾さん曰くだが四百日前後であるらしい。
俺はこっちに来てからほぼ二年が過ぎている。ほぼ、という理由はカレンダーなど存在しないからで、何日過ぎ去ったかも覚えていられるほど記憶力も良くはない。そのため、かな~り適当でしかない。
「おら、千歳越えのクソババアが、地球の若人に色目使ってんじゃねえぞ! さっさと書き上げろ!」
「ヒドい! 種族が違うんだから、そんな言い方しなくたって…………」
あ~だこ~だと、また言い合いを始めたふたりの傍を離れるには、このタイミングを逃すにの惜しい。このままでは俺を間に挟んだまま、過熱しかねない。
渋々、本当に渋々、エダさんは俺の持参していた藁半紙にペンを走らせた。
が、紙の質がそれほど良くないため、ペン先が引っ掛かって破れることを何度も繰り返す。
この紙は乾いた麦藁を砕き、小麦粉を練った澱粉糊を薄く溶いて漉いたもの。拠点には、これを専業とする開拓団員がいる。普段使いとする紙は、これが一般的。
黒く焼けた炭を鉛筆代わりとする場合は漉いた網側のつるりとした面は裏とされ、ざらざらとした面を表とするが、今回のエダさんのように先の鋭いペンを用いる場合はその逆となる。
師匠が遣う紙の中には漂白された紙もあるにはあるのだが、そういった紙は言うまでも無く手間が掛かっていて、お値段も必然的に高くなる。言っても、そこまで良質な紙でもないのだが……手作業では何事にも限界もあるのだろう。
何らかの作業に使う機械類を俺は全く見たことがない。地球で言うところの産業革命はまだ起きていないと思われる。
「勝利、これを机の上に置いてきてくれ。適当感が滲み出るように、斜めにな」
「私も一緒に行きますよ。その後はすぐに、海を目指して移動しますし」
「俺の四式も持って行くか?」
「ダメですよ。あんなデカいのが無くなれば、平良さんの脱走が即バレます」
「そこは、ちぇるのタロスも仕様は同一だから拝借すると言う手も」
「四式やタロスが踏み荒らした山肌がないことを、向井さんがどう説明するんですか? 勝利くんとウィンの存在はとことん伏せると決めたでしょう? あれらが無くとも、平良さんたちは十分に洒落にならない存在なんですから」
平良さんは正吾さんに何かを提案して、跳ね退けられた。
「なんです、それ?」
「平良さんたち専用の超大型の鎧のことだよ。暴走時、無作為に周囲を取り込む黒い触腕を鎧内部に抑え込むことができる。ただ、やたらと大きくて邪魔なんだ」
「使ったのも、実験で一度きりだしな」
「あーしの! あーしの作品なの!」
「嘘を言うな! あれはナンナの設計に、デアリスの監修も受けているだろうが!」
「はぁ、嘘を吐かないことがソロノス人唯一の美徳だと思っていたのですが……この娘には当て嵌まりませんね」
「造ったのはあーしだもん! 嘘じゃないもん!」
エダさんは叱られても決して折れない、へこたれない。
平良さんと正吾さんは頭が痛そうだ。
俺は本当にこの人を連れて行って大丈夫なのか、疑問だ。
「ちょっとぅ、ここがどこで、あーしはどうなるのか早く教えてよ!」
「ここは勝利の腹の中で、俺やお前は勝利の意思なく、ここを出ることができない。そして、これから向かうのは東のちょい南の海だ。明日は海の幸をたらふく食えるぞ!」
「……平良さんは胃袋も底なしなんだから、適当なところで止めてくださいよ。勝利くんの取り分が無くなってしまう」
「気にすんな! 海の幸は馬鹿みてぇにデカい。ひとつ丸々喰えば腹も満ちる」
「うそぉ……原始生活はヤァ! あーし行かない! 行きたくない!」
「エダ、お前に選べる選択肢なんて無いんだよ。捕らわれの身だということを忘れるな」
騒ぎ立てるエダさんに、自らが置かれた状況を分かり易く平良さんが伝える。
気持ちよく眠っているところを掻っ攫ってきた俺たちはある意味で誘拐犯とも言える。今も見通せない兜の中で平良さんは、凶悪な笑みでも浮かべているに違いない。
「お前なぁ、俺たちの郷の中だって十分に原始生活だぞ? 俺は知らねえが、お前たちの家も似たようなもんだろ? どうなんだ、正吾?」
「教育はそこそこ行き届いてはいますが、やはり物資が不足気味でして。限られた一部の者を除けば、郷とそう変わりない暮らしと言えるでしょう。エダを含めた三名は限られた一部には属さず、放置されたに等しいその他の出身ですから。
ただ、エダはナンナやデアリスと性格が違い過ぎた。郷の外に全く興味を示さない。その結果、子供たちに随伴し買い出しへと出掛けたことも皆無。現状のサンプルたちの暮らしがどういったものであるのかも想像できないのでしょう」
「どうせ、そんなことだろうよ。……エダ、何か持ち出したいものがあれば言え。勝利、面倒だろうがここから指示を出す。エダの持ち物を回収してくれるか?」
「構いませんけど。あまり多くは困ります」
「無尽蔵に等しい収納量はあるでしょうけど、探すのは手動ですから少ないに越したことはないでしょうね」
「いいな、エダ。持ち出す物は厳選しろ。二度と帰って来られないわけじゃねえんだからよ?」
「……うぅ、うん」
作業場へと舞い戻った俺と正吾さんは、『探さないでください』とソロノス語で書かれた藁半紙をテーブルへと、いかにも適当さを感じさせる演出で置き。
エダさんの求めに応じ、その上で平良さんが必要だと判断した物に限り回収した。
言うまでも無く、俺では何に使うものか全く理解できない物体が多い。
中には、どう見てもドラム型洗濯機のような形状の精米機や、SF映画やアニメに出てきそうなカプセル状のベッドなんてものもあった。
ベッドがあるならそこで寝ろよと思うのだが、当人は狭苦しいから嫌なんだとか。正吾さんや平良さんほどではないが、俺もこれらはガラクタにしか見えないわ。




