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第三百六十一話

 左目を通して視える光景は暗い。逆に右目は小さな建物の内部を白と黒の二色だけではあれど、大まかな輪郭を俺に示してくれている。


 正吾さん、ジルバは部屋の真ん中にいた。何かぶつぶつと呟いているけど、俺は空気の読める男であるからスルーしておこう。

 そう大きくもない十畳くらいの建物内には、辛味大根みたいな何かが大量に散乱している。全身鎧を着せられたマネキンらしきものが壁際に転がってもいた。


「変な建物ですね。入り口が無い」


 規則正しく積み上げられたレンガが建物を構築しているのだが、入り口と見做せるだけのものが存在していない。唯一外と内との空間を繋げているのは、正吾さんがショートカットで入った鉄格子の嵌った小さな窓のみ。


「この建物は、不用意に子供たちが平良さんへ触れないためだけに存在している。平良さんが望むなら、こんな建物など造作も無く壊して外に出ることはできるよ。

 それよりも平良さんに話を聞いてもらわないと。勝利くん、平良さんを叩き起こしてくれないかな?」


 ジルバの割り箸みたいな前腕と爪楊枝みたいな指先が示すのは、俺がマネキンかと思った全身鎧のことだった。

 入り口の存在しない建物内で全身鎧を身に纏った人物。

 ちょっと? いえ、大幅に意味がわかりません。


「初対面なのに叩き起こして、印象が悪くなりませんか?」


「それはないよ。平良さんは良くも悪くも大雑把だから。育ちが良くて、私よりもずっと良い大学と院も出てるくせに、本人は不良に憧れていたらしくて、それらしい言葉遣いをしていたら癖になって抜けなくなってしまったんだとか」


 不良に憧れるとか……いつの時代の人だろう?

 俺の実家のある辺りでも、ヤンキーや暴走族は絶滅危惧種だったというのに。


「まあいいか、何かあったらフォローしてくださいよ」


 左目を閉じた右目だけの視界の中。

 一歩、二歩と全身鎧の人物、平良さんとやらに近付く。

 頭の先から足の爪先まで見事に鎧で覆われている。ただ、何故か右腕だけ籠手が外れていた。


「起きてください、起きましょう? 起きませんか?」


「もっと兜をガンガン叩かないと!」


 正吾さんはそう言うけどさ。

 見ず知らずの相手を叩くなど、俺には出来ない。普通は俺じゃなくてもやらないだろう。

 だが、このままでは埒が明かないのもまた事実なので、言われるがままに兜を叩く。起き抜けに文句を言われたら、責任は正吾さんに擦り付けよう。


「…………う、うんん? 何だ?」


 寝ぼけ眼なのかもわからない。何せ、兜で表情は隠されている。


「……誰だ? どうやって中に入った?」


「掴まってください、体を起こします」


「あぁ、悪りぃな。――って、おい! お前、何者だ!?」

 

 平良さんの目は完全に覚めたようである。

 俺は平良さんの籠手の外れた右手を掴んで体を起こしてあげようとしたのだが、突然平良さんは素っ頓狂な声を上げた。


「正吾さん、ヘルプ!」


「正吾だと?」


「お久しぶりです、平良さん。二百五十年ぶりくらいですかね」


「なに暢気な挨拶してやがる! こいつは何だ? 何故、俺の素肌に触れても喰われない? 一見すると日本人のようだが……お前、本当に人間か?」


 失礼な! 正真正銘人間だし、日本人ですよ! と思いつつも心の中で叫ぶだけに留める。

 正吾さんが気を遣う相手なのだ。どうも正吾さんよりも年上であるようなのだ。


「まあ、色々とありまして……今から詳しく話しますよ。向井さんにも聞こえているでしょうし、二度手間いらずで都合がいいですからね」


 そこからは俺そっちのけで、正吾さんが平良さんへと事情を説明していった。

 俺との邂逅や俺とウィンの特殊性などだが、正吾さんが掻い摘んで話す内容には重要な事柄が抜け落ちていた。

 

「向井さんはまた後程、改めて事情説明に向かいますのでお待ちください。平良さん、場所を変えますよ。勝利くん、平良さんを中に」


「はい、ウィン」


「ァィ」


「地球人に魔道生命体が宿るなんて初めてなのに、言葉を解するだけの知性があるのかよ。まったく、どうなってんだ!?」



「明るいな。ここは、どこだ?」


 平良さんの台詞だ。

 俺も今の今まで気にも留めなかったけど、確かに明るい。まだ、部屋に入る前の通路の部分だというのに。


「まあ、まずは自己紹介からでしょう? ですが、その前に腰を落ち着けるのが先ですがね」


 勝手知ったる他人の家とでも言うように、正吾さんは先に進む。

 だが、正吾さん、ジルバの体ではドアノブを捻ることは出来ずに、待ち惚けとなってしまう。


「ウィン、手筈通りに」


「ァーィ」


 そして俺の相棒たるウィンが扉を開いて現れるも、何やら俺の知らない所で正吾さんと段取りを決めていた模様。

 俺、ウィンの宿主なんだけどな……。


 微妙な心境の中、不思議空間内の部屋へと入ると、俺は平良さんと隣り合う形で席に着いた。

 ただ、いつもと違い、何かが足りない。

 ああ、幽霊みたいなグラーフさんたちの姿がないのだ。重要な事柄のひとつである以上、正吾さんとウィンの計画でその存在が伏せられているのかもしれない。

  

 隣り合って席に着いた俺と平良さんは、椅子に腰掛けた状態で体を向き合わせて、自己紹介をすることに。

 

「山田勝利と言います。山に田んぼの田で山田、勝利と書いてかつとしと読みます。2018年から去年来ました」


「やまだ? やまだかつとし? ……会ったことは無いはずだが、どこかで誰かに聞いた覚えがあるようなないような? 何だったか? まあいいや。

 次は俺の番な。俺は錦鯉の錦に、平均より少しだけ良いという意味で平良。簡単に言やぁ、中の上ってことだ。錦 平良、よろしくだ。勝利」


 俺の名前負けな名前と全然違う。すごく感じのいい名前だった。

 てっきり俺は平良が苗字なのかと勘違いしていたけど。


「正吾、互いに自己紹介は済んだ。先の話で、お前が作為的に隠した内容をゲロしろ、な?」


「バレていましたか」


「あくしろ」


「はい。まずはこの部屋とあと幾つかある亜空間は、勝利くんを基点として相対座標が結ばれています。私や平良さんのような部外者は、勝利くんやウィンの意志なしでは原則的に入ることも出ることも不可能です。例外はありますが、そこに至る道筋は現在閉ざされている状態です」


 俺に搭載されているナノマシンが生成するマナで賄えているのは、この部屋のみ。

 それ以外にも触手モデルの倉庫や食料貯蔵庫、ワイバーン二匹が棲む野原があるが、あれらは獲物の血液を『贄』としたマナで賄われている。

 そして例外とは、以前ノルデ付近に正吾さんたち弾き飛ばされたことを指している。現在は危険なので、ウィンというよりはグラーフさんたちが封鎖していて、壁に穿たれていた道へ至る扉は姿を消している。


「空間魔術か?」


「いいえ。この部屋に限ることですが、勝利くんのマナにて時間を引き延ばしています。勝利くんに負荷のない状態で三倍から五倍という倍率ではありますが」


「……まさか時空間魔術だとでも言うのか? だが、あれは……しかし俺に直接触れても喰われていないことを踏まえれば?」


「一種の賭けではありましたが成功と言えるでしょう。仮に勝利くんの片腕が平良さんに食われても即座に再生したはずです。いえ、還元されたと表現するべきかもしれません」


 んっと、還元? 正吾さんは難しい言葉を遣う。

 還元とは元に戻ること、再生と同一ではないのか?

 おっと、平良さんが口を開こうとしているぞ。


「確かに睦美はサンプルやエルブノア先遣隊、お前しか居場所を把握していないソロノス先遣隊、それに魔道生命体の寄生者には辛辣ではある。だが、それだけで睦美が勝利を害する理由にはならない。仮に襲うとしても、勝利の腹を切り裂いて魔道生命体の核を排除するくらいなものだろう?」


「いえ、それは最早不可能です。既にウィンは勝利くんと融合を果たし、私とジルバのような関係となっています。その上、ウィンと勝利くんは相互に最適化が完了しており、転生術を繰り返した私とジルバ以上に互いの相性が良くなっています」


 融合する前に遭遇していたら?

 俺はウィンを排除されていた可能性もあったわけか。

 でも、もうそれはできない。いずれにしろ、ウィンを排除されていれば、俺がこの世界で生きていくには過酷を極めていたはずで、たぶんだがすぐに死んでいたと思う。


「……待て、正吾。何故お前が、勝利と魔道生命体が最適化されたことを恰も自らのことのように把握している?」


「その答えは、ここにあります。ウィン」


 正吾さんはウィンに合図を送る。

 そうすれば、ウィンはテーブルを触腕でぺちんと叩くのだった。

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