第三百五十五話
今回からは、あの部屋から戻る際にアグニの爺さんの小屋に出ることにした。
養蜂倉庫だとライアンとミジェナ、グゥとブゥに蜂たちに見つかる可能性がある。アグニの爺さんの小屋であれば、爺さんもミモザさんも理解者であるため秘匿性は保たれると考えたのだが……。
「爺さんの小屋は被害はどうなんです?」
「儂の小屋は大した被害を被ってはおらぬの。儂の小屋は居住区の中央からやや東にずれておるからの、外壁や屋根の一部が剥がれ掛けた程度ですんでおる。逆に中央から西一体の被害は甚大とも言えるのぅ」
惨状から眼を逸らして事態を引き起こした犯人を隠匿した俺に、何かを言える道理などない。最低限、人的被害がどの程度であるのかを確認する必要はあるだろうが。
「自然災害だと誤認してくれていればいいのですが、ね」
「突発的な事態じゃし、その辺りは平気じゃろう。問題は、明日以降にカツトシ殿が姿をくらますことの方が心配じゃて」
「ミラさんたちが事態の収拾に手間取っている間に戻って来ることで、何とか誤魔化せませんかねぇ?」
「そこは儂とミモザで何とか頑張ってみるつもりじゃが……ミモザがこの様子では心許ないの」
俺は良かれと思って、ミモザさんも部屋に同席させた。
のだが、ミモザさんは必要以上の情報を把握しきれずに混乱していた。
元より、トヴェリア語をじっかりと理解していない上に、爺さんがこれまで話していない内容が含まれていたようだ。とはいえ、俺だって初めて耳にする単語の嵐だったのは事実なのだ。
爺さんの出す試験の合格を目指すミモザさんにとっては、必要のない情報であったのだろう。
「今は話の内容を事細かく理解できずともよいがの。いずれトヴェリア語を十全に理解した後、今回の話を反芻してもらえたらそれでよい。まずはトヴェリア語をマスターすることが先決かの」
「うぅぅ……ちんぷんかんぷんですよぅ」
ミモザさんは最近まで伏せられていた真実を聞き、混乱の中で幼児退行していた。
冒険者ギルドで俺の担当をしてくれていた頃に、このような姿を目にしたことはない。そのギャップもあって、少しだけ可愛らしく思えてしまう。
「じゃあ、俺は養蜂倉庫に戻ります」
「うむ。瓦礫に気を付けてのぅ」
◇
「……おかしい。何度確認しても一本足りない」
居住区内の被害を目の当たりにしつつ、駆け回る憲兵団員や警備団員に状況をそれとなく伺いながら、俺は養蜂倉庫へと帰って来た。
幸いというか何と言うか、俺の予想通りに人的被害は少ない様子。少々の怪我人は居ても、死者は出ていないとの言葉を複数人の口から確認することが出来ている。
そうして帰って来た養蜂倉庫では、ライアンが床に薬を拡げて確認作業に勤しんでいた。ただ、その様子が少しおかしくもあるが。
「どうしたライアン?」
「あぁ? どこほっつき歩いてたか知らねえが、やっと戻って来たか。ってそれどころじゃねえ! お前、この薬瓶を目にしなかったか?」
ライアンが手に持って、俺に見せつけている薬瓶はミラさんが誤飲した精力剤が入っていた瓶であり、昼間にリスラが手にしていたものでもあった。
「その瓶がどうかしたのか?」
「擦り傷、切り傷、打撲、親指の先くらいの小さな火傷と、被害はそうでもないんだが、まあ痛いものは痛いだろうからとミラに痛み止めを処方してくれと頼まれてな。だが、痛み止めとなるとその傷にあった効能が必要となるから汎用性が無い。そこで、気分を高揚させて痛みを誤魔化す水薬を作って幾つか処方したんだが……瓶が足りねえんだ。ちゃんと俺の手で処方した後に回収したつもりなんだがなぁ。
この際、中身はどうでも良いんだが、この薬瓶は作った端から悪くなる水薬をそれなりの期間保存できるようになる代物でな。普通に買うと一本金貨一枚はするんだ。フリグレーデンで幾らか安く入手できたとは言え、高額で更に言えば作れる奴が少なくて希少ときている。減ったからといって、すぐに入手できるわけでもねえ」
俺はてっきりライアンからの報復で、リスラに精力剤が渡ったものと見做していたけど、実はリスラが勝手に持ち出していたとか?
ライアンの、この困りようを見るに、それが真実であるように思えてならない。
「それなら昼間、リスラが持っていたような。ミラさんの時のように襲われかけた」
「なんだと! ……確かに新兵教練にも用いられる割とメジャーな薬だが、精力剤みたいな幻覚作用はないのにか? あぁでも、一種の興奮剤ではあるからな。有り得ないとも言い切れないか」
精力剤に幻覚作用があるとは初耳だが、今はそこに構っている場合ではない。
興奮剤だと?
「クッソ! いつだ? いつの間にくすねやがった! 姫さんには色々と便宜を図ってもらってはいるが、それとこれとは別だ! ちっと回収して来るわ」
ライアンが駆け足で養蜂倉庫を出ていくのと入れ替わりで、ミジェナがどこからか帰って来た。
「おかえり、ミジェナ」
「ん」
「どこに行ってたんだ?」
「ん、宿。大きいお部屋の屋根がなくなって大変なの」
シギュルーの巣のあった東屋と屋根が吹き飛んだんだっけか?
その屋根の下が、ちょうど大部屋の天井部分であったということだな。
俺が養蜂倉庫に帰って来る時は爆発四散した旧養蜂小屋のように、屋根の一部に馬車の幌だった帆布が掛けられていたな。あれを子供たちの手でやったとは考えにくいけど、そのサポートでもしていたのだろう。
「シギュルーはどうするって?」
「ん、食堂の隅」
「あぁ、中に入れたのか。まあ、ガヌの毛が料理に入ってても文句ひとつ出ない環境だし、問題視されることはない、のか?」
それなりに慣れている開拓団員ならまだしも、外からの来客はシギュルーが怖いのではないだろうか? 俺にはあの円らな瞳が可愛く見えても、来客から見れば眼光の鋭さが際立つかもしれない。なんたって、やたらと大型の猛禽だぞ。
宿は夜間になると、子供たちは寝て女性従業員が増える。大部屋には例の商人の護衛もいて、不埒を働く馬鹿が居ないとも限らない、という点では助かるのかもしれない。
それに店長のミロムさんの考えなのだ。最終的にオーナーである俺に面倒が掛かってくるかもしれないが、ここは任せておくべきだろう。
俺は明日から少しだけ飛行訓練をした後、また拠点を留守にすることが確定している。出発前に余計な面倒を抱え込みたくはない。
どうせ、俺一人では対処できないのだ。
「ミジェナ。あと何日かしたら、またちょっと留守にする。ミジェナと俺、爺さんとミモザさんだけの秘密な。他の誰にも言うなよ」
「ん」
「今回はライアンを置いていくから、そこまで寂しくはないと思うぞ」
「ん」
前回の遺跡探索から戻った際には、とても嬉しそうにしていたミジェナだ。
それに今回の騒動で、ミジェナは一時的にだが呆けてしまう程のショックを受けてもいる。ここでまた俺が居なくなるというのは自信過剰かもしれないが、彼女に大きなストレスを与えかねない。
本当はアグニの爺さんとミモザさんだけの秘密としておくべきなんだろうが、ミジェナもそこに加えたのは、俺の我儘と思ってほしい。
一応これで一安心ではあるのだが、問題は飛行訓練の方だ。
ウィンはあの不思議な野原で優雅に飛び回ってはいたものだが、外ではウィンだけが飛び回るわけではない。俺の体から生えたワイバーンの翼で、俺自体が飛ぶことになるのだ。
正直に言えば、怖い。
人間の体は本来飛行するように出来てはいない。
それにも増して、速度を誤るとジルバのようにプラズマを纏う事態に発展するかもしれないのだ。正吾さんが障壁を張ったお陰で無事ではあったようだが、俺はすぐに破ける結界しか張れない。
嫌だなぁ、飛行訓練。生きた心地がしないわ。




