第三百五十話
俺自身が世界の異物であるという納得と、その事実をミラさんに告げなければならないことは完全に別問題だ。
しかも、これはもの凄くデリケートな問題でもある。
学校で学んだ封建社会の歴史では、後継ぎとなる世代を確保するために正室だけでなく側室や愛妾を囲うシステムが構築されていた。
それを根幹から覆す事実を告げて良いものか、大いに迷う。
実際に、俺と同時に事実を打ち明けられたミモザさんの心情は、微妙に揺らいでいるようにも見えた。
「お爺ちゃんがカツトシ様との婚姻を認めなかった主な理由はこれなのですね」
「そうじゃの。儂の出生のことも話したじゃろう? となれば、儂の一族は数が著しく少ない。出来ればじゃが、子を産み育むことを望みたいがのぅ。それを是とするか否かは、ミモザ自身で決めればよい。儂はその選択に必要な知識を授けておるに過ぎぬ。しかし既に退路は無く、選ぶる進路はやや厳しいものではあるがのぅ」
「最初に教えてくれたなら、考え直したと思いますけどぉ」
「いずれにしろ、手遅れじゃよ。トヴェリアとチュキュウ人との同盟の渦中に身を投じてしまった後ではの」
「こうなったら、とことんまでカツトシ様のお傍に侍りますよぉ」
「うむ。それでこそ儂の孫、と言いたいところじゃが……まずは試験を合格してからじゃの!」
「うぐぐ……」
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村や自自区の名称を決める以上に頭が痛い。
無理難題を次々に提示してくるアグニの爺さんは、きっと俺のことが嫌いなのだろう。また情報の確度という点も爺さんだけでなく、グラーフさんに補われている事実は大きい。
俺に対する情報の開示に過敏に反応しては制止していたはずのウィンも、今回に限っては傍観していたことを含めると、ソロノス系人類と地球人に生物学的婚姻が成り立たないことは事実と捉えてよいのかもしれない。
ミラさんに告げるにしても、正吾さんに事実確認を終えてからだ。
近似種であるとか、まだ一縷の望みはあるのだ、と信じていたい。
逆に言えば、現在絶賛迷子中の正吾さんとの答え合わせを終えてしまえば、俺はもう言い逃れすら許されなくなる、けどな。
そんなことをつらつらと考えながら、今日は朝から日向ぼっこだ。
何もやる気が起きない。考えることは沢山あるのに対し、何かを試作したりということがない。手持無沙汰とも言えるか。
「カットス! ぼうっとして、村の名は決まったのかしら?」
「…………いえ、まだ」
「次の会議は帝都からの使者が到着した翌日にと、考えているわ。それまでに決めておきなさいよね」
「……はい」
「ちょっとどうしたの? 大して珍しくもないけど、覇気がないわね」
興味本位で天真爛漫を地で行く兄貴を除き、俺んちの家系は苦悩を内蔵に溜め込む性質があると、以前母が愚痴を零していたことを思い出す。
苦労が表情に出ない分、胃や腸に何らかの疾患を齎すのだそうだ。兄貴のプロトタイプみたいな父も、胃カメラを飲みまくっていた時代があったと聞いたことがある。
その例に漏れず、胸の下の辺りにある胃は小さくキリキリとした痛みと、大きく鈍い痛みを訴えている。
やっと肉食にも慣れてきたというのに、ここ最近は胃の痛みから食欲不振となっていた。
「ちゃんと食べて、ちゃんと寝なさいよ? 巡回娼館に出入りしちゃダメだからね!」
「……師匠じゃあるまいし、ここでは屋台の営業しかしませんよ」
「父上には困ったも――」
――――ピィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!
「何!? 何の音?」
「シギュルーの警告です! ここに、何か来る?」
以前ワイバーンに襲撃された際にも、シギュルーは事前に警告を発していた。
例えそれがヒトの肉眼では捕捉できない距離にあっても、シギュルーの危険察知能力に疑問を持つ余地はない。
何者かの襲撃と考えるべきだ!
「なんじゃ!?」
「――シギュルー、来い!」
まだ早朝ということでガヌと鍛錬に励んでいたアグニの爺さんと、養蜂倉庫で二度寝していたはずのライアンが駆け付けた。
ライアンは警告を発したシギュルーを呼びつける。
宿の屋上に設けられた東屋。
シギュルーの巣のある東屋の上から南側を睨むシギュルーが、ライアン目掛けて下降してきた。
と、次の瞬間――
宿の屋根の一部と、シギュルーの庵が弾け飛んだ。
「雷?」
「横向きの雷などあるものか! それに雲一つない青空で何を!」
ミラさんの感覚を、ライアンは即座に否定した。
下降してくるシギュルーを観ていた俺の瞳は、その正体を一瞬だが視界端に捉えていた。ウィンと同化した影響であるのか、俺の動体視力は人族のそれとは比べものにならない。
その瞳で以ても見間違いかと疑うほど、途轍もない高速で拠点上空を通過した存在。
数多のスパークと可視化された衝撃波を置き去りにする存在は、白銀に輝く小さなドラゴンだった……。
傍目には一筋の稲妻にしか視えていない、それが通り過ぎた後には大きな雷が大気を引き裂くような轟音が鳴り響く。
何らかのスパークは素早く消え去ったが、可視化すらしている衝撃波が齎す破壊は……俺たちにまで牙を剥いた。
俺は腰を抜かしてへたり込むミラさんを抱きかかえ、ウィンはライアンを掴んだ。アグニの爺さんはミモザさんの屋台が吹き飛ばされるのを防いでいるようだったが、衝撃波をまともに受けた屋台はボロボロだ。
他にも、巡回娼館のテントは悉く捲れ上がり、開けっ放しの養蜂倉庫では大扉や窓から勢いよく取り込まれた空気により天井と一体の屋根がかつらのように吹き飛んだ。またそれら以外にも多くの、目に余るほどの被害が拠点内に撒き散らされていた。
「(どうすんの、この惨状?)」
「(……儂に問われても困るのじゃよ)」
それとなくボロボロになった屋台に縋り付いているように見えるアグニの爺さんに寄り添い、小声で言葉を交わす。
また、凄まじいまでの速度で拠点上空を通り過ぎていった存在の姿を辿る。
すると、減速したらしい小さなキラリと光る点が、拠点を西方向に迂回しながら徐々に大きなってきていた。
「(戻って来たのは喜ぶべきなんだろうけど……)」
「(今、戻られるのはちと困るのぅ)」
俺とアグニの爺さんの額に、冷たく大粒の汗が流れる。
それにも増して俺は胃が痛む。
「(そうじゃ! ウィンよ。近付いてきたらこっそり回収するのじゃ)」
「(そうしよう。被害が大きすぎて、俺たち以外にまだ誰も正吾さんに気付いていない、今の内だ!)」
「(ァーィ)」
警備団員も憲兵団員も、ミラさんやライアンまでもがてんやわんやとなっている。
他の人員も似たり寄ったりだ。
「俺の管理範囲での被害確認が必要だな! 宿と養蜂倉庫の屋根は言わずもがな。養殖場を見て来ないと……」
敢えて大声を張り上げ、被害確認に向かうことを叫ぶ。
養蜂倉庫の陰になるスッポンの養殖場には大した被害は無いだろうが、大きく迂回してくる正吾さんかジルバを回収するには好都合なのだ。
特にミラさんには、そのように認識してもらわないと困る。俺を訝しむ視線のライアンは何らかの手段で丸め込むしかないが、そこはもう正吾さんに丸投げしたい。
上手く誤魔化せたようで、居住区の被害確認に走ったミラさんとは距離を保てた。
ライアンを引き留める役割をアグニの爺さんに任せた俺は、養殖場から更に歩を進めると土壁と堀を越えて拠点外部へと出た。
「久しぶりに飛んだから加減を間違えちゃった」
「……障壁が間に合わねば、今頃は消し炭だな」
独り言ではなく、日本語での会話が聴こえた。
喉の左右にひとつずつあるというブレス袋が、異なる声を発している。
どうやら片方が正吾さんで、もう片方がジルバであるようだが、どちらがどちらであるか不明だ。
「ウィン。とりあえず、誰かに発見される前に回収!」
「ァィー」
迎えの挨拶など無しだ。
師匠が構築した土壁が死角となっているが、警備団の担当者が巡回に戻る前にここを去らねばならない。今はまだ、破壊された拠点内が混沌としているため、周囲に目が行き届いていないことを利用しているに過ぎないのだから。




