第三百四十三話
黒いワイバーンの翼を生やしたウィンの擬態が、不思議空間の中空を飛び回る。
それはもう縦横無尽に。
「知ってた! ここじゃウィンの触手は俺の背に生えないってことは!」
悔しくなって叫んでも、ピィピィと寄って来るのはワイバーンの幼生くらいなものだ。
これでは、you can flyでしかない。
例え、ウィンに付随する形であっても俺が飛びたかったのに!
「それにしても、卵は三個あったはずでは?」
「ひとつは孵化しなかった。死産であろうな」
呟いた独り言に答えが得られるとは思ってもおらず、グラーフさんの応答に驚きながらも納得するしかなかった。
「ショーゴのいた施設と同様、孵卵器としての効果を施した空間を用意した。しかし、内ひとつは孵化することがなかった」
「正吾さんの居た施設が孵卵器? やけに蒸し暑かったのはその所為か……」
「転生術の特性上、否欠陥と呼ぶべきか。卵生の生物のみに効果を発揮する術式ゆえ、あのような施設が幾つか構築されたと記憶している」
「卵生? 胎生ではダメと?」
「揺篭を失った我らが魔術という新しい技術を得て、延命のために揺篭の代替となる魔術を求めた。そして我らとは異なる研究員によって開発されたのが転生魔術である。ただ、その評価は撤退用魔術と同様に失敗とされた。理由は胎生生物では母体の死が子の死に直結すること、であったか。
元はトヴェリアの先遣隊がエーテルに接触した折に開発した魔術という新技術。転生術はソロノス人が開発した魔術ではあるが実用の目途は立っていない。ショーゴは臨床試験の被検体であったに過ぎぬ」
正吾さんだけでなく、拉致された総ての地球人は実験動物であったと聞いている。
運よくジルバと共存できた正吾さんも、その後に新技術の被検体とされていたようだ。撤退用魔術という単語の意味は分からないが、グラーフさんも説明する気はないようである。
また、正吾さんの居たあの遺跡の施設。
あれが大規模な孵卵器であったのならば、恐らくは卵生生物である王竜は孵化することが可能なのだろう。もしそうでなければ、正吾さんがあそこに居た意味はなくなる。
「エルブノアの民やトヴェリア人に比較し、脆弱な肉体しか持たぬソロノス人は転生術の失敗を機に開き直り、この惑星の覇を競うようになる。エルブノアからの留学生であった我はそれに抗うことは許されなかった」
「悔やんでいると?」
「全てに於いて圧倒的に劣るエルブノアの民である我は、魔術という新たな技術を確立しようというソロノスの思惑に乗った。そこに後悔はない。ただ、汝の行いを観察するに、我の過去の行いは間違っていたのではないかと思うことはある」
後悔している相手に慰めの言葉を掛けられるほど、俺は社会経験があるわけでもない。社会経験など、こちらに来てからしかないのだから。
これ以上の後悔話に付き合いきれない。それは正吾さんが戻ってから、正吾さんに愚痴って欲しい。
「ウィン! 戻っておいで」
「ニィタン!」
ウィンを巻き込むことで、話を強引に逸らす。
ウィンにはワイバーンの幼生たちの相手もしてもらわねばならない。
「ここはもういい。そろそろ帰らないと爺さんが心配する」
「待たれよ」
「まだ、何か?」
「時間は心配せずとも四〇〇三号が遅延させている。ここ以外の扉も確認しておくと良い」
「遅延?」
「四〇〇三号の時空間魔術により、亜空間内の時間は外のそれとは異なる」
年寄りの昔話は長い。
面倒なのでさっさと帰りたくなった、とは言えず。
この不思議空間の時間の流れが外と違い、ゆっくりと流れているのならば拒否権はほぼ無いに等しい。
それに、強引に帰ろうにも恐らく返してはもらえない。そんな気がする。
「じゃあ、次は?」
ピィ! ピィィ!
「暇な時に遊びに来るから、またな!」
ピピッ!
小鳥みたいに鳴くワイバーン二匹に後ろ髪を引かれながらも、扉を出た。
あの仔たちは扉の先までは追ってはこない。それが幸いとも言えた。
粘られたら、帰るに帰れないからな。
「こちらに」
「……ここは?」
そこはまた不思議な空間だった。
何本も、何十本もの、現代アート風なナニかが起立する部屋。
「汝であれば理解出来よう」
「ウィンの触手?」
「四〇〇三号が解析済みの生物の腕や脚である。そのサンプルといったところであるかな」
今まで確保してきた様々な獣や魔物の腕や脚を模したものが何十本も立っている。
何をもってそうだと判断できたかの理由は、特徴的な巨猿の腕が二本あったからに他ならない。
あの事件以降、見ることが無くなってしまった猫の腕の柱はどこにも見当たらないが、代わりにスモールラビの毛皮を纏った前脚の柱ならすぐ傍にある。
ぷるんぷるんとしたスライム触手も健在だ。
「解析済みとは?」
「そのもの自体を保存することも可能ではあるが、欠損が生じた際に復元するにもコストが掛かるでな。解析した後に贄のマナより創り上げたものを、ここに蓄えてある」
「『贄』ね」
「汝のマナのみでは不足する故、四〇〇三号が編み出した苦肉の策であるな」
俺のマナは、ナノマシンが生成するマナだけだ。
そしてナノマシンの、この設定は弄るとヤバいと正吾さんに教わっている。人体への影響を顧みない設定条件すらあるというのだ。
なので、俺のナノマシンが生成できる容量は高が知れている。
しかし、それだけのマナではウィンという魔道生命体を運用する上で不足する。正確にはウィンのが運用する触手の生成に不足する、かな。
脳に寄生する言語置換ナノマシンと魔道生命体であるウィンの糧に俺のマナが用いられ、触手を創り出す際に不足するマナはウィンが獲物の血液から生成しているものらしい。
「事前に創ってある、ということか」
「最適化後には義体も幾つか創り出しているな」
「あれか……」
部屋と言っていいのか微妙だが、その奥に成人男性の姿をしたナニかがある。
しかもあれだ。ベルホルムスの村長宅でお漏らしした野盗指揮官の姿をしていた。
「ああいうのもアリなのね。狩りの幅が広がるな」
「汝なら、犠牲を最小限に抑えるには十分であろうな」
グラーフさんのその答えに「らしくない」と思った。
正吾さんたちを実験動物のように扱ったはずのグラーフさんから、俺を慮る意図を感じたからだ。
ただ、その件を保留にするならば、囮として考えても十分に役に立ちそうではある。
「それにしても……この空間て」
壁と呼んでいいのかわからない部分。
空間の境目辺りが、淀んだ虹色をしている。
だがそれは、十二分に見覚えのあるものだった。
「ショーゴも似たようなことを言うていたな。撤退用魔道器機が汝らを拉致した際に見た光景であるのだろうな」
「あ、あぁ」
この世界。
いや、この惑星に来ることになった切欠の。
あの日に視た光景とよく似ていた。
「正直に言えば、あまり気分は良くない。思い出したくないと言った方が正しいか……」
「ニィタン」
「いや、別にウィンが気にすることはない。俺が慣れればいいだけだから」
「取引の対価として考慮しよう」
「取引って飯のことだろ?」
「プリンとやらを所望する!」
プリンかぁ。プリンは厳しいな。
何せ、俺に卵の配給量を弄る権限はない。鶏さんの気分次第だからな。
ただでさえ、開拓団員内で争奪戦が繰り広げられている代物だ。
宿へ供給される卵を、オーナー特権で入手する必要がありそうだ。
どうしても必要だとタロシェルに訴えれば、分けてもらえるだろう。
「ミルクゼリーで手を打ちませんか?」
「ゼリーとやらも添えるが良い」
「増えてんじゃん!」
藪蛇だった、らしい。




