第三百四十二話
「なんだ、これ? どうなってんだ?」
グラーフさんが部屋の扉を開けた次の瞬間、そこには広大な野原があった。
亜空間とか言ってたけど、なんでこんなものが……。
「四〇〇三号が創り上げた亜空間のひとつ。我らの数少ない依り代となる生物の棲処でもある」
ウィンが創り上げた。
と言われれば、納得せざるを得ない。
最近、徐々に暖かくなってきた開拓拠点に比べると肌寒くもなく、かと言って暑くもない。そんな奇妙な空間が、そこにはあった。
――ピィィィィィ! ピピ、ピィ! ピィ!
そして、おかしな生き物がいた。
その生物は黒いのが一匹と、砂色のが一匹。
爬虫類に似た見た目なのだがジルバよりも瘦せ身で、顎の下に割り箸のような腕はない。
「……というか、思いっきりワイバーンの幼生体じゃないか!」
黒いのにはあのワイバーンの遺伝子が組み込まれているとしか考えられない!
砂色のも、やや小振りながらワイバーンの幼生体であるのは間違いないだろう。
まさか……あの時、確保した?
「卵から孵したのか!?」
「ァィ!」
マジでか?
リスラを襲った謎の触手らしきものを放つ機械を撃破した後に確保したワイバーンの卵。
キア・マス曰く、デルホルムス村の衆と問題の起点となり得る存在。
手懐けて利用しようという魂胆から挑戦者が後を絶たないという厄介な存在。
それでいて、過去に一例のみしか確認されていない成功者の存在。
ピ、ピィィ! ピィィ!
「もうピーピー、うるさい! ウィン、ご飯はあげたのか?」
「ハィ」
「黒いのは倍は食べるだろ。何せ、頭がふたつあるんだから!」
胴体からふたつの首が生えた黒いワイバーンらしき生物の幼生が、やたらと煩い。
砂色の方は黒いのに比べると大人しくしている。
だが間違いなくこの二匹が、あの卵から孵ったものと直感した。
「ウィン。こういう大事なことは、ちゃんと伝えろよ!」
「コメンナシャイ」
「ごめなさちゃい、な。『ご』な」
「ゴメンナシャイ」
成長途中で呂律が回らない子供のような発音をする、ウィン。
しかし、そこに謝罪しようという意思が見て取れるため、ここでは不問とする。
日本語で発声するよう強制している手前、微々たる違いに腹を立てるのは筋が通らない。
ワイバーンの解体をしたことは少なからずある。
胃袋は確かひとつであったはずで、頭がふたつあったところで胃袋はひとつなのだから満腹になる効率は良いのか?
妙な疑問に捕らわれるが、即却下した。
「で、このワイバーン。あの卵から孵したのか?」
「ァィ」
尻尾が二本あった黒いワイバーンに俺が、酷い目に遭わされた記憶は新しい。
その黒いワイバーンの卵を孵化させ、育てている。しかも不思議な空間で。
いや、待て。
ここの扉を潜る前に、グラーフさんは何と言った?
依り代?
まさかとは思うが、ウィンが孵化させたこのワイバーンの幼生体のことを指しているのか?
「グラーフ、さん?」
「察しが良いのはチキュウ人の特性か」
「誰だって分かるでしょう!?」
「そうでもない。ソロノス人やトヴェリア人では珍しくもないが、我の出身であるエルブノアの民では特に珍しいものだ。あ奴らは己の保身しか考えぬでな」
ソロノス人は過去に正吾さんと何かあった民族で、トヴェリア人とやらはアグニの爺さんと関係がある。そして新たに出てきたエルブノア。どうもグラーフさんは、このエルブノアの出身であるようである。
幾ら頭の出来がよくない俺でも、ここまでお膳立てされれば理解できない、なんてことはない。
地球人にソロノス人、トヴェリア人とエルブノアの民。
そして、その全員からサンプルと呼ばれている存在。
そこに何やらキナ臭いものを感じるのは、それなりの修羅場を潜ってきた故の勘なのだろうか?
「これらは我らの依り代である」
「親には酷い目に遭わせられましたけど、この子たちにも自我があるでしょう!」
「我らは記憶として四〇〇三号に焼き付けられている身ではあれど、汝の作る料理の味に興味が湧いた。我はエルブノアの民なれど、部下はソロノス人ゆえな。ソロノス人の好奇心は簡単に制御できるものではないのよ」
冷たい印象のグラーフさんから、困ったような感情が漏れた。
それ程に俺が作った日本にならよくある料理たちに、彼らが興味を示したことを疑問に思う。
「恨むべくは、我らの記録から感情すら再生する四〇〇三号に訴えると良かろう」
「ウィン!?」
「ァィ?」
「いや、何でもない。その仔たちは成長期だから、ご飯は多めにな」
「ハィ!」
今はグラーフさんたちのことは置こう。
ウィンが孵化させてしまった以上、この仔たちは真っ当に生きる権利がある。
俺が怪我をしたのは彼らの親たちの、縄張りを犯したからなのだ。そこに恨みをぶつけるのは、逆恨みでしかない。
しかも、その親ワイバーンをウィンは撃破し、俺は様々な物品の材料としている。彼らに人と同様の知性があるならば、恨まれるだけのことを仕出かしている。
とはいえ、それが彼らの自我を奪っても良いものとは判断できなかった。
依り代というものは、恐らくそういうものであるのだろう。
断片的にだが聞かされている正吾さんの過去から推測するに……。
ピピ! ピィ!
「おぅ、よしよし。いい仔だな、お前たち」
なんだっけな? インプリンティング?
ウィンの擬態にやたらと懐く様子から、そんな言葉が浮かんできた。
黒い双頭のワイバーンや砂色のワイバーンを撫でていると、ウィンが妬いたようだ。餌を与えるのを放り出し、再びしがみ付いてくる。
「ャムニャム」
ピィ! ピィ!
「幼児しかいねえ、とか」
ウィンは判るが、何故だか俺にまで懐くワイバーンを撫でる。
撫でるだけで満足してくれるなら、ウィンよりも扱いやすくはある。
「我らは依り代を蔑ろにするつもりはない。ショーゴと同様に共存の道を歩もう。我らは元より魂の力を持たぬでな」
「魂の力?」
「我らは度重なる揺籠の使用者ゆえ、チキュウ人のように強固な魂を持ち合わせてはおらぬ」
「揺籠?」
「――メ!」
「……四〇〇三号の命により発言内容を取り消す」
魂の力とか、揺篭という謎の単語が飛び出したものの、グラーフは上位存在であるウィンに見咎められることとなった。
ウィンが何故、彼女から俺が情報を得ることを止めたのか?
正吾さんやジルバからなら、取得することは可能であるのか? 気になる。
だが、この仔たちを依り代としても、共存の姿勢を貫こうという意思は受け取れた。どうも、それが限界であるような。そんな予感がした。
ピ、ピッ!
「ウィンは親代わりか。だけど、飛び方はそう教える? ライアンもシギュルーお教育に苦労したようだから気になるよ」
「ダイショウフ。シルバニオソァッタ」
黒いワイバーンの翼を手に入れても、ウィンは扇風機の代わりにしかなっていない。そんなに賢いウィンでも、ワイバーンの翼の扱い方は知らなかった。
それを、ジルバに教わった?
正吾さんも遺跡の崩落現場から飛び去る際、小鳥のように翼を羽搏くことはなかった。
魔法陣の展開は目撃できていないが、何やら魔術的な作用があったのかもしれない。そう考えるのが無難だろうか。
「待てよ……ってことは跳び方を正しく教わったのか? なら俺も飛べるってことだよな!」
「ハァイ」
I can fly! を実現できる?
空を飛びたいかと訊かれれば、飛びたい。と答えるのが日本男児というものだろう!




