第三百四十一話
ふと、気が付いた。
俺の左目に投影されている言語置換ナノマシンの設定画面。その言語選択肢の一番下に見知らぬ言語が加わっていることに。
今まで一番下の言語はドイツ語だったのだが、トヴェリア語なる未知の言語が加わっていた。
相棒ことウィンの調整が完了した際には存在しなかった、その選択肢が現れたことに俺は疑問を覚える。
「爺さん、トヴェリア語って知ってる?」
「なんと! ……恐らくはショーゴ様が原因じゃろう。ウィンとの間でナノマシンの交換をしたのやもしれぬの。儂がショーゴ様と会話するために遣う言葉を理解できるようになったと思うが良かろう」
「あぁ、あの謎言語か。納得した」
俺とアグニの爺さんは、正吾さんと会話するために用いる言語が異なる。
トヴェリア語とは、聞くところに依るとアグニの爺さんが遣っていた言語であるそうだ。
今まで音の羅列にしか聞こえていなかったものを、言語として取り入れることが可能になったのは大きい。
「爺さん、ソロノス語は?」
「ゆっくり話してもらえればわからなくもないの。文字も簡単なものなら読める」
「なら、これからは正吾さんと三人で話す時はトヴェリア語がいいね」
「うむ、頼むぞい」
「ニィ、ニィタ」
今後の打ち合わせのような話をしていると、ふいにウィンが俺の肩を叩く。
人の手の形をした触手が下を指し示すので、そちらに注意を向けた。
「ひらがなを覚えたのか? 学習能力が高すぎるだろ!?」
「ショーゴ様やカツトシ殿の言語じゃな。して、何と書いてあるのじゃ?」
「…………っと、なになに。『しょうごとじるぱがいない』
居ないだと!? なんで? どうして? 何があった?」
「『とびらのせつぬいをしているとさにおやまってそとにでた』……扉の説明ってこと自体が意味不明だけど、誤って外に出てしまった、と?」
「『のゐて』……ノィテ? ……ノルデか? えっと、どういうこと?」
ここからノルデまでの距離は遥かに遠い。
帝都から北北西にあるこの拠点と、帝都の南にあるノルデだからな。
何がどうして、ノルデに繋がるのか。ウィンの拙いひらがなだけでは詳しい内容がわからない。それに『あ』と『お』、『る』『ゐ』など似た形状の文字をまだ正しく認識できていないようで、所々間違っていて読みにくい。
「ちょっと中で詳しく聞いて来ます。俺の留守を何とか誤魔化せますかね?」
「短時間ならどうとでもなるがの。場所は選ばねばならぬ。養蜂倉庫に戻ってはどうじゃ?」
「そうします。しばらくの間、お願いしますよ」
屋台から飛び出て、急ぎ養蜂倉庫へと向かう。
ミジェナが付いて来ようとしたが、アグニの爺さんが上手く引き留めてくれた。
ウィンの能力である扉を使うとなれば、俺の存在は拠点内から消えることになるのだ。突然目の前から消えるところなど、見せるわけにはいかなかった。
遺跡探索でずっと留守にしていたのだ。再び、寂しがらせるのも申し訳ない。
「ウィン、扉を」
「ハァィ」
まだ昼まである以上、蜂たちの出入りのために大扉と窓が開放されたままの養蜂倉庫。扉や窓からの死角となる位置に生活スペースが設けられている。
その一角、真新しい二段ベッドが置かれた場所で、ウィンが俺を呑み込んだ。
「ここは……部屋の直前か? 前と扱いが違い過ぎる」
――タタタタタタタタタタ、バタン!
木製の扉を内側から開けたのは、ウィンの擬態……だよな?
前回同様、テープで束ねられた葉物野菜の見た目に………………女児の顔が乗っている。いや、生えていた。
どこかで見た覚えのある容貌なのだが、どこでだろうか? 日本で、だと思うのだが判然としない。
それ以前に、なんとも奇妙な姿ですらある。
夜闇の中で見たらホラーだろう。
だが、ここは何故か明るいので、シュールなだけだ。
「ニィタ!」
「いや、うん、随分と見違えたな。それより、詳しい説明を聞きたい。お願いできるかな?」
これまた前回と同様に俺に抱き付き離れようとしないウィンを抱き、テーブルへと向かうのだが……ここにも変化があった。
テーブルからぼんやりとした見た目の何かが生えている。
長く延びた耳の状態から考えて、エルフと思しき女性の上半身が生えていた。
「この姿で汝と見えるは初めてであるな。妾はグラーフ・ド・エルブンと申す」
「これはご丁寧に、山田勝利です。――――っじゃなくて! 正吾さんはどうなったんですか?」
「四○〇三号の記憶した地域を辿る扉の解説時に、誤って亜空間内から外部へと突出してしまってな。ショーゴのことだ、今頃はきっと帰路を模索しておるであろう」
「無事、なんですね?」
「ショーゴは、トヴェリアの王竜の中でも群を抜き強力な個体とされる皇竜を素体として統合された希少な存在だ。サンプルが如何な進化をしていようとも、そう易々と太刀打ちできるものではない。ことは、如何な現地生命体が相手でも変わりはせぬ」
また、だ。
サンプルとは何を指し示す代名詞なのか?
正吾さんやアグニの爺さんの話に、時々登場するサンプルという単語。
あくまでも俺の憶測ではあるが、師匠たちを指す言葉のようにも思えてならない。
だが普通は、自分たちの子孫に対しサンプルなどという呼び方をするものだろうか? そこに違和感というか、嫌悪感を覚える。
しかし、今の問題は正吾さんとジルバのことだ。その辺りは今後、正吾さんが戻って来てから聞き出した方が無難だろう。
「ウィンの能力に因るものなら、俺が迎えに行くことは可能ですか?」
「四○〇三号の認識にある正規位置から外に出たのではないのでな。ショーゴと汝が上手く遭遇できるとは限らぬ。入れ違いとなるよりは、座して待つが良かろう」
「俺のナノマシンと交換したらしい、というのは?」
「四○〇三号管理下のナノマシンと、ショーゴが持つ版の旧いナノマシンの統廃合には多少の時を要するであろうな。一度馴染んでしまえば、その限りではない」
「言葉が分かるなら戻って来れるか……。なら、待つことにしますよ」
「それが良かろうな。汝はショーゴとは違い、素直であるな」
このグラーフという女性。今まで会った誰とも異なる容貌だが、綺麗なことは間違いはない。
ただ、何と言うか。
綺麗なんだけれども、透き通った氷のようなやけに冷たいイメージがある。
今も向こう側が透けて見えているからこそ、そのイメージが強いのだろうか。
「それじゃ用は済んだから帰るか」
「待つが良い」
「なんです?」
「ショーゴ同様に四○〇三号の能力を解説しておきたい。今後のためにも、汝も認識しておくことを勧める」
俺も放り出されたら……って、俺にはウィンがいるからすぐに戻って来れるのか。
なら問題ないな!
「お願いできますか?」
「汝の方が立場が上なのだ。そう畏まるでない」
「そう言われても……」
どう見ても、俺より年嵩が上なのだ。
慣れ親しんでいない人物を相手にするには敬語とまではいかずとも、丁寧な対応は必要だろう。親兄弟から、そういう風に教育されているのでね。
「なれば、汝の作る料理を所望したい」
「その体で食べられるのですか?」
「四○〇三号が依り代を擁している。我らは汝と直接結びつくことは許されぬが、他に依り代があれば別であるのでな」
「?」
「わからぬか。まずは、そちらへと案内しよう」
グラーフの上半身はテーブルの上を滑る。端まで行くと、なんと下半身が生えてきた。どうやら幽霊ではないようだ。
「右奥の扉の先へ」
前回訪れた時には、この部屋の扉の数は入ってきた扉と出ていった扉の二つだけ。
今回訪れてみれば、部屋の壁には全部で八つの扉があった。
七つの扉は、俺が部屋に入って来た扉同様にどこかへと繋がっているのだろう。




