第三百三十三話
薄めたワインで口直し、デザートのプリンの後味を消す。
ミルクにすら嫌悪感を抱くなど、これは重傷だ。晩飯も肉はなしの方向で考えたい。
「そろそろ手伝いに行ってやるか。このままだと爺が拗ねる」
「俺はこっちで仕事の話を進めることにする。早速だけど、泥抜き用のすっぽん池は完成したということで、養殖用の池もほしいんですよ」
ライアンは機嫌がすこぶる悪くなったアグニの爺さんの救援へと向かい、俺はすっぽんの養殖に向けた今後の取り組み案をロギンさんたちに相談する。
「だがヨ~、セメントがねえゼ? ミモザの嬢ちゃんも入手に手古摺ってるのが現状ダ」
「開拓地でセメントなんか使ってるのはここだけだろうがナ。大体は宿場街の建設で使われるンダ。この周辺だと一番近い宿場街でもテスモーラの向こう側ダ。金を積んで手に入れてるにしても結構な出費だゼ?」
「いえ、養殖用は別に沼でもいいですよ。泥まみれだろうが、捌く前に泥抜きすればいいだけですし」
「ならゴブリンさんに頼むのが手っ取り早いカ?」
「ゴブリン族は畑の管理から離れられねえよ、親方。村長が許すはずがねえ」
「そうなると、魔王さんが自分で掘るしかねえナ!」
「……またかよ。折角、何匹かすっぽん獲ってきたのになぁ」
「「「「ナンダト!?」」」」
食い付きが凄い。正に入れ食い状態だ。
鍛冶師たちだけでなく、給仕までもが反応する。アグニの爺さんに詰め寄る商人たちの勢いすら超えたのではないだろうか?
「それを最初に言えヨ! お前らは今から整地と穴掘りダ。場所は養蜂倉庫の隣、泥抜き用の隣でいいよナ? 規模はどれくらいにするンダ?」
「……え、ええ、隣なら都合がいいです。広さは養蜂倉庫三個分くらい、深さは泥抜き用と同等で」
「ソニャ、傘作りの監督は任せタ。行くゾ、野郎ども!」
「「「おー!!」」」
スッポンの味に魅入られた漢たち、中にはちらほら女性の姿もある一団は席を立つと食堂を飛び出して行った。食事の代金を支払わずに……。
残されたのはソニャさんとその管理下にあるであろう鍛冶師たちだけだが、それらの視線が俺を貫く。
「親方たち、すっぽんは宿泊客のみに提供されることを完全に忘れてるッスよ」
「捕まえたすっぽんも養殖に回すから、食べるとは一言も口にしてないのに……どうしよう」
「一匹だけでも都合した方が良いっスね。鉄拳が飛んでくるっスから」
「仕方がないか」
「言質は取ったッス! 喜べ、手下ども!」
「「いいぞー、主任」」
ソニャさん、主任なのか。
事ある毎に仕事を丸投げされているのを見掛けるから、そこそこの立場にあるとは思ってはいたけど。
「あと、これですね。うわぐすりとか、釉薬とか、作り方を知りませんかね?」
「釉薬はミモザさんに頼めば、仕入れられると思うッスよ。ただ……厨房の窯で焼くには火力が足らないッスけど」
あるのか釉薬。
まあ、あるんだろうな。リスラに借りた……今も借りっ放しのプリンに用いられているティーカップは、表面がつるしと滑らかな触感となっている。
ガヌに作らせている、なんちゃってポーンチャイナの表面処理に釉薬が欲しい理由は、スープなどを水分ばかりか料理の油分まで吸収してしまうからだ。
吸い込んでしまった分は洗っても落ちているかどうかが分からない。見た目で判断できないことが問題であった。
「じゃあ、ミモザさんとロギンさん辺りに相談し――」
――ドンッ! ガラララララッ!!
ソニャさんの意見を聞き、釉薬はミモザさんに、新規に専用窯を製作をロギンさんに相談しようと答えようとしたその時。
とんでもなく大きな音が食堂中に響いた。
何が起きたのかと、音のした方を観れば……。
「おい、冗談だろ? あのライアンが吹っ飛んだぞ」
「まさかあの女、アグニ様並みの格闘家か?」
俺の相談に乗っていたソニャさん以外の鍛冶士たちが目撃していたようだ。
実際に、ライアンは壁際に並べられている多数の備品の中に突っ伏していた。
いくつかの備品が壊れているところを見ると、それなりの勢いで突っ込んだことが理解できる。
そして、ライアンを吹き飛ばした当人であろう商人の女性が、呆然としたままその場に立ち尽くしていた。
「無事か、小僧?」
「……痛ッ、タタタタ」
静まり返った食堂内に助け起こしているアグニの爺さんの声と、全く痛そう聞こえないライアンの声が響く。
ライアンが痛手を負った時はあんなものではない。
酷い悪態と共に呪詛が吐き出されるのが普通だ。だが、一見すると子供にしか見えないライアンだからこそ可能な偽装でもあるのだろう。
素性をある程度認識している開拓団員と、その他ではその驚きに差異があるのは致し方ないとも言える。
俺たちのテーブルからはライアンの口が僅かに動く様が見て取れるが、アグニの爺さんが居たテーブルからは、爺さんが体が影になってライアンの口元を直視することはまず不可能だろう。
「カイヒ殿、幾つかお伺いしたいが良いかの?」
「…………はひ、なんでございましょうか」
「其方の持つ書状じゃが、誰が封を解いたのかお尋ねしたい」
「わたくしでございますか、何か?」
しんと静まり返る食堂内に今度はアグニの爺さんの問いと、それに答える女性の声だけが響く。
それ以外にも誰かの唾を飲み込む音や、手に汗握る些細な音が混じるが今は無視したい。
「では次に、何ゆえに子供を足蹴にしたのかの?」
「この命令書は陛下から賜った我が家の家宝となるもの。小汚いガキが触れて良いものではございません」
「それはまた異なことを申すものじゃ。その書状は勇者殿が受け取り、封を開き目を通した後、勇者殿か開拓団で厳重に管理することが求められるものじゃて、其方の手に残るものではない。本来ならば何をどうしたら家宝となるのか甚だ疑問なのじゃが……書状に記された名義人でない者が封を解いたとなれば改竄を疑わねばならぬ。由って、その書状は既に効力を失っておるでな。其方の家宝としても問題あるまい」
「そ、そのようなこと……あるわけが」
商人の女性はアグニの爺さんの解釈に怯んでいる様子が窺える。
ただ、爺さんの話はまだ終わりそうにない。何故なら、俺たちの席からライアンの口が動き続けていることが確認できているからだ。
今のアグニの爺さんはライアンというカンニングペーパーを経て、芝居をしているに等しい。
爺さんの背中を見つめるだけの三名の商人と護衛らは、全く気が付いていないようであるが。
「この子は開拓団では特殊な仕事を担っておっての。当然、怪我などされては困る貴重な人材なのじゃがの。これではしばらく仕事には就かせられぬのぅ。其方と護衛は揃ってテスモーラの騎士団にでも引き取ってもらわねばなるまい」
「(騎士団に突き出すってよ。ざまぁみやがれ、クソババア)」
「(おっかねぇな、ライアン。俺はあいつには絶対逆らわねえ)」
「(うるさいッス。今は大事なところなんスから黙るッスよ!)」
「そ、そのような小汚いガキが要職に就けるなど虚言は如何にアグニ様でも許されません。こちらには正規の命令書があるのです!」
「魔王殿! この不埒な輩の拘束をお願いしたいがよろしいかの?」
普段、アグニの爺さんは俺を名前で呼ぶ。俺の氏名は公開されているかは微妙なところだが、安全を期するなら避けた方が良いのだろう。
しかし、拘束と言われてもなぁ。『収納』でいいか。
「ウィン、あの二名を『収納』だ」
「ァイ!」
ウィンと話す言語は今までとは異なり、日本語にしてある。
今後、ウィンは拙いながらも喋り始める可能性は否めない。ソロノス現代語のままでは、いくら開拓団員に理解があると言っても限度はある。
日本語であれば、まず理解できる者は居ないので、そちらの方が良いだろうと正吾さんとアグニの爺さんの提案を俺が受け入れたのだ。
現在の有効射程距離は不明だが、最短と考えられる三十メートル圏内ではある。
食堂はそこまで広くはない。俺が椅子に腰掛けたままでも十分に届く距離に、女性商人と護衛は位置していた。
女性商人は何を思ったかアグニの爺さんから眼を逸らさないのだが、女性商人の背後に立つ護衛は俺を振り返り見ていた。
「騒がれると面倒だ。サクッとやろう」
「ハィ!」
ウィンは左右から一本ずつゆっくりと触手を伸ばすことで護衛の眼を欺くと、高速で展開した触手で上から丸呑みにした。
それでも女性商人は前を向いたままなのだから、おかしさが込み上げてくる。
先程まで居た護衛にゆっくりと迫っていた左触手の一本が、女性商人の真上を確保。そのまま床へと落ちるように、パクリと呑み込んだ。
驚いたのは真横で観ていた他二名の商人と、その護衛だ。
商人は二人は腰を抜かした。いや、護衛もか。
何のための護衛なのか疑問に思えど、リスラと初対面を果たした迎賓館での出来事に似ている。思い出したらおかしくなって、俺は笑いを零してしまう。
「ふ、ははははは」
「魔王さん、この場で笑うのはよくないッス! 怖いッスよ」
「いやぁ、ちょっとね」
「そちらのお二方には申し訳ないがの。今日は気分が優れぬのでな、また日を改めて相談に応じよう。なに、帝都から使者が来るまでにはまだ幾日かあるでの」
アグニの爺さんが食堂内の騒めき背に受けつつも、仕切りに回る。勿論、カンペ付きで。
騒がしくなったのも商人の拘束を俺に頼んだから、ウィンが活躍することになったんだけどな。




