第三百二十三話
「母さんへの報告は譲れねえよ。悪りぃのは、意識を飛ばすほど興奮してた兄さんなんだ」
「そ、そんなこと言わないで」
アグニの爺さんと師匠との間にあった緊迫した空気は綺麗さっぱりとまではいかないまでも、それなりに薄まってはいた。
「俺だって惜しいとは思うぜ。でも、持ち主がいる以上、兄さんがやろうとしたことは泥棒でしかないだろう? 報告するのは正しい」
「いや、だからですね。ライアンが、僕の意識がしっかりとするまで待っていれば……このようなことは避けられたんですよ!」
「知るか! っつうか、兄さんが爺に殺されないように立ち回るのに俺は疲れた。腹も減った」
無謀な師匠の行動を諫めようと必死だったライアンは、それはもう本気で止めに入っていた。二人の兄弟仲は元からそう悪くはない。いや、だからこそライアンは必死に止めに入ったのだろう。
「その、えーと高位飛竜さんも一緒に飯にしようぜ」
「ふむ、確かに腹が減ったの。外はもう夕暮れ時であろうか」
崩落に巻き込まれて以来、俺たちはずっと地下にいて太陽など見ていない。その所為もあって、今が何時頃であるかも不明。
そのため頼れるものは、己の腹時計のみである。
但し、俺の腹時計は正確な時を刻んではいない。途中で相棒に呑み込まれたこともあって、本心から今が夕方であるとは言い切れなかった。
「それにしても魔王。何か違和感がると思えば、相方はどうした?」
「相棒、ウィンなら――」
「カツトシ殿のユニークスキルは不調のようだの」
俺の言葉を遮るようにアグニの爺さんは被せてきた。
アグニの爺さんは、先程から正吾さんの正体が地球人であることを伏せたりと、師匠やライアンに悟られぬよう色々と工作していた。
今回もウィンが調整のため、復帰に時間が掛かることを隠したいようだ。
ただ、それは不可能ではある。
なぜなら
「しまったーーー! 元より残り少ない食料がぁぁ……」
「儂が付いておりながら……これは参ったの」
昼食を摂った後に、大扉の先へと進んだことが仇になった。
食事に関しての意識が、すっかりさっぱりと俺の中から抜け落ちていた。
ウィンの調整を快く受け入れ、送り出したのは紛うことなく俺なのだ。
「ヤバい、飯がない。どうしよう?」
「どうと言われてものぅ」
「ふざけんな! 相方はどうしたんだよ!?」
ウィンの調整が終わるまで少なく見積もっても数日を要する。流石に一月以上は掛からないと思いたいが……正確な日数がどれくらいであるのか、俺は知らない。
そして、ウィンが戻らない以上は『収納』されている食料を引き出す術はない。
「どうかしたのかい?」
そこに、また暢気な問い掛けが齎せられる。
当然ながら、ソロノス現代語の辞書を有していない正吾さんからのものだ。
「ウィンがいないので、食料が一切合切なくなってしまったんです」
言語置換ナノマシンの辞書を切り替え、俺と正吾さんが会話していることをライアンに悟られぬよう応答する。
師匠にはライアンの辛辣な受け答えが突き刺さっており、俺に対する注目は薄いが、ライアン自身はそうでもない。
別に俺と正吾さんが会話していようと、その内容は日本語なので聞き取れはしないだろうが、アグニの爺さんが伏せようとしている以上は協力しておいた方が無難だろうと考えての行動だ。
俺にだって空気くらいは読める。というのもあるが、正吾さんの思惑を外れる行動を取るのは怖い。主に報復的な意味で。
「私がここへ至ったルートは隠しておきたいから、他のルートで地上へと向おう。出来れば、勝利くんらがこの施設へと辿り着いたルートを辿るのが妥当か」
「師匠がまた妙なことを考えないとも言えませんから、それは構わないんですけど……上手く戻れるか不安があります」
何せ、崩落に巻き込まれたからこそ、この遺跡を発見できているのだ。
上手く隠蔽されていた扉をアグニの爺さんが開いてはいるが、崩落がなければ、その必要すら無かったとも言えた。
それを説明するにも、現場を見てもらった方が早い。
新たに正吾さんが加わった遺跡探索チームは、来た道を戻る。
そうして、地表からの崩落現場へとようやく戻って来たところだ。
「随分とまた地盤沈下が進んだものだ」
「これ、地盤沈下なんですか?」
「過去に存在した水脈が枯れ、その分だけ施設の基礎部分が下がったというだけだね。一定の範囲で下がっているから、建物が倒れたりはしていないけどさ」
なるほど。中途半端な範囲が下がっていれば、建物が傾いたり、倒壊していても不思議ではない。
そういうのは小学校や中学校の社会や理科で習ったような、そんな気がしなくもなかった。
「それで、あの穴か。これではこの施設が露見するのも当たり前か」
「ウィンが戻れば、埋め戻しは出来るかと思いますけど……」
「それは是非にも協力してもらいたいね」
地面が崩落する原因をつくったのはウィンなのだから、当然それは補填する必要がある。ただ、俺がというよりは、ウィンの手で丸く収めたい。
そも、俺では不可能だからな!
「あぁ、それで食事だったね。それは私に任せて欲しい。っと、その前にここを登らないといけない」
「どうやって登るつもりですか?」
「ジルバの表皮もかなり固定化した。ロープかワイヤーがあれば、私が結んでこよう。無いなら無いで、別の方法もあるから安心して欲しい」
俺の持ち物は全てがウィンが『収納』しているのだから、全滅と言っても過言ではなかった。そこで、ライアンか師匠の持ち物からロープを借りようとしたのだが……二本のロープを足しても、長さが大きく不足していた。
「これではダメだね。少し待っていてくれ、管理個体を呼び寄せる」
それだけ言い残すと、正吾さんはアグニの爺さんの肩からふわりと浮いた。
飛び立つというよりも、浮いたと表現する方が妥当であった。
「小僧もライス殿も驚くでないぞ。あとは慌てぬことじゃ」
正吾さんが大した音もなく浮き上がり、天井の穴から外へと抜け出ていった。
それからしばらくすると、複数本の紐状の何かが穴の縁から、俺たちがいる下方へと伸びてきた。
「……蔦ですか?」
「おい、爺。これ、ウネじゃねえか!」
「普段は儂が居れば平気なのじゃが、若い個体が紛れ込んでおったのじゃろう。そういった個体の統制は酷く難しいからの」
上から降りてきた紐状の何かは、昨晩にライアンを引き摺ったウネの蔦であった。
「この辺りは既に、彼らの支配地域なのじゃ。無断で侵入した儂らが悪い」
「そういうことは先に言って戴かないと困ります」
だからこそアグニの爺さんは、周囲を警戒していたのだろう。特に空へ向ける視線が厳しかったのは王竜を警戒していたからであると、今だからこそ理解できる。
「そんなことよりも、兄さんが魔法で焼いたのは見逃してもらえるのか?」
「恐らくは」
「本当かよ?」
「たぶん、の」
栗拾い中にライアンに巻き付いた蔦を師匠は焼き切っている。
その行為に関してライアンは慎重な姿勢を示すのだが、アグニの爺さんの返答はすこぶる曖昧であった。
「このまま大人しく巻き付かせよ。しばらくすれば、引き揚げてもらえよう」
両手を挙げた万歳の姿勢で、胴体に蔦を巻き付けてもらった。
その間、俺は一切会話には加わっていない。ナノマシンの設定切り替えが面倒だからだけど。
「先に行くぞい」
「皆、一斉に巻き上げるようですね」
蔦には目もないのに綺麗に巻き付き、徐々にだが引揚げ上げが始まった。
アグニの爺さんが若干先行してはいるが、残りの俺たちもそう遅れてはいない。
ただ、アグニの爺さんには三本もの蔦が巻き付いていた。
爺さんは、見た目よりもずっと重いからな。




