第三百二十話
どれくらい歩いただろう?
もう一キロメートル以上の距離をひたすらに歩いていると思うのだが、一向に出口らしき場所に辿り着かない。
体躯の小さく歩幅の狭い正吾さんはアグニの爺さんの肩に乗って、俺の前を歩む。
俺は俺で手持ち無沙汰の慰めにと、師匠にもらった極端に短い杖を弄ぶ。
結局、この杖に俺の魔力は通していない。正確に言うと少し違うか。
通していないのではなく、通そうとしても弾かれると言った方が正解だ。
何回か挑戦してはみたものの、全く成果があらわれないだけでなく、途方もなく疲れる上にぶっ倒れかねないため、挑戦することを諦めた。
よって、現状では武器としての利用価値は全く存在しない。
利用した場合にどのような効果が表れるかも、謎のままである。
「ウィンの調整は順調に進んでいるようだぞ」
「なんで正吾さんに分かるんです?」
「これを見れば一目瞭然だろう」
正吾さんは、アグニの爺さんに黒地に銀の文字が浮かぶ金属板を掲げさせた。
見覚えのあるその長方形の金属板は、俺のステータスプレートもといカルテではないか!
そういえば、相棒、ウィンがポーチへと戻した覚えがない。
「ひらがなで『ぎたい』と出た。概ね、擬態か義体のどちらかだろう?」
「他の項目はまだ掠れたままなのに、新しい能力を得るなんて……」
ウィンは、射程や分岐が復元するより前に謎の能力に目覚めてしまったようだ。
しかも、それがどのような能力であるのか、カルテを見ただけでは想像もつかない。確認するのは調整が完了し、ウィンが俺の前に姿を現して以降となる。
そもそも、それが不思議なのだ。
寄生型魔道生命体とは何ぞや?
俺と融合してしまう前の相棒、ウィンはどのような形態であったのだろうか?
そして、俺と融合してしまったからには、俺の体の中にウィンが存在するわけで……頭、こんがらがって来た。
「正吾さん。その『ぎたい』はちょっと置いておいて、寄生型魔道生命体とは普通はどのようなものなんですか?」
「質問の意味がわからない。もう少し具体的に頼む」
「俺に溶けてしまう前の相棒。ウィンはどのような形をしていたのか? どうやって俺に寄生していたのか? 教えてください」
「そういうことか、理解した。
まず、地上にばら撒いたナノマシンとは違い、寄生型魔道生命体の絶対数は少ない。少なくとも、私が転生術の被検体となる前の実態ではそうだった。そして私が転生術の被検体となり、実験の成功と共に目覚めた時には既にソロノス人は滅んでいたのでね。被検体となる前の話になるけどいいかい?」
「良いも悪いも、聞いてみないと何とも」
話の前振りに出てきた『転生術』とやらにも興味があるけど、今は寄生型魔道生命体の話が先だ。
「私もそこまで詳しく知っているわけでもない。一応、そういった諸々の論文に目を通した経験があるというだけだ。
材料の話は省くよ。私もこの通り寄生している立場だからある程度は吹っ切れてはいても、あまり気持ちのいいものでもないからね。
卵の大きさはナノマシンの一個体とそう変わらなかったと思う。卵を孵化させるにはそれ相応のエネルギーが必要だったはずだ。エネルギーと言ってもマナなんだけど、良い感情が伴うマナが一定量必要であったと記憶している」
「感情の伴うマナ?」
俺も一応は高校には通っていたけど、一年生の六月までなのですよ。
だから、ほぼ中学生の俺にも分かるような言い回しでお願いします。
「なんだったかな? 生れたばかりの赤子に親が向ける感情。祝福だね」
「祝福……」
「元来、寄生型魔道生命体はターゲットをソロノス人に絞って製造されている。だから勝利くんに宿ったことは奇跡に近い。否、奇跡そのものだろう」
正吾さんが言うソロノス人というのは遺跡が遺跡でなかった時代に、この大陸に生きていた人々を指す人種であるのだろう。
言語置換ナノマシンの辞書にある『ソロノス語』や『ソロノス現代語』から考えて、師匠やミラさんたちはソロノス人の末裔であるのかもしれない。
だが、そうするとリスラを代表するエルフ、ロギンさんやローゲンさんのようなドワーフはどうなのだろうか?
「勝利くんが中央で大型鹵獲器で拉致されたことは彼から聞いている。それもおかしな話なのだ。あの辺りの鹵獲器、特に目立つ大型鹵獲器は全て廃棄したはずなのだが……話の腰を追ってすまないが、何かそれらしい情報を知らないかい?」
鹵獲器というのは、師匠が前に言っていた召喚魔法陣だったか装置のことだろう?
なら――
「地下から発掘したとか……何かそんなことを言っていたような?」
「ありがとう……地下か。突入組が地下施設も隈なく潰したはず、だがこうして被害者が出ている以上は無視しえない。やはり情報の擦り合わせが必要だな。
では話を戻すよ。
寄生型魔道生命体の卵は鹵獲器に標準搭載されている地球人向けのナノマシンとは違う。どこかで混入した……あぁ、そういうことか!
突入組が探索していない区画があって、そこから鹵獲器と共に発掘された、ということだな。ああ、すまない。再度、話を戻そう。
孵化した寄生型魔道生命体は宿主の体内のいずれかに核を形成する。多くは正中線上、胃や腸などの臓器の影に存在するものであるらしい」
胃や腸、ね。
俺がこっちに来て、魔力に関して違和感を覚えたのはお腹。胃の下辺りだ。
何かが蠢くような。そんな違和感があったのを今でも思い出せる。
ならば、ウィンが最初はそこに居た可能性は十分にあり得る。
「ただ、ウィンのように汎用性が高く、柔軟な思考を持つ個体は私も初めて見た。
まあ、それは実験機ゆえなのだろう。
何であれ、試作実験機というやつはコストパフォーマンスを度外視する傾向にある。その辺りに、ウィンを最高傑作や最大の失敗作と称する所以があるのかもしれないな」
正吾さんの説明を聞くに、ウィンが俺に宿った経緯は推測でしかない。
そして卵が孵化するのに必要だった祝福の伴うマナだ。これはどこから出てきた?
唯一、思い当たる事象があるとすれば、電車に乗り合わせた皆が俺を心配していたことくらいしかない。だが、あれを祝福と表現するのは違うと思う。
正吾さんのウィンに対する評価も、そうだ。
あのテーブルの上にあった本は、ウィンを『我らの最高傑作にして、最大の失敗作』と呼んだ。
そして、ウィンの正式名称は個体支援機能強化試験機四○〇三号。
四○〇三号に関しては通し番号ではないだろう。
なぜなら、正吾さんは寄生型魔道生命体の絶対数は少ないと語っている。ウィンみたいなのが四千体も居るとは考えにくい。
ならば、頭文字はカテゴリ別で異なるのだろうか?
分からないなりにも下一桁だけを考慮すれば、少なくとも三体目であることは間違なさそうではある。
でも今やウィンは、俺と体を共有する運命共同体だ。
今までも、俺に寄生していたのだから似たようなものだろうけど。
「――むむ? あれは出口ではなかろうかの?」
アグニの爺さんの声が耳に飛び込んできた。
ようやく出口らしきものが見つかったらしい。
のだが、俺にはまだ見えなかった。
爺さん、視力いくつだよ?
 




