第三十話
前日の交渉自体は午前中いっぱいを以て終了となった。しかし、午後から街に赴き観光や買い物に費やす気力は俺たちには存在しなかった。
そして今日、交渉の二日目を迎える。
「おはようございます、本日はこちらを持参いたしました」
「これは昨日の話に出た古代魔法文明の遺産の一つ、その版図を記したものの写しですな。原本はとても脆くなっております故、持ち出すのは困難で写しをお持ちした次第です」
「ほぅ、解説書も翻訳されていますか。素晴らしい!」
皇帝陛下、もうこれが素だな。丁寧な言葉遣いとその姿勢、それこそが彼本来の姿なのだろう。なんと清々しい笑顔か、俺には真似できねえぜ。
「これをお持ちいただいたということは、開発地域の選定ですかな?」
「ええ、その役に立つかと思いまして」
「あの~、一つよろしいでしょうか?」
「今代勇者殿、お話の続きをどうぞ」
「この開拓団の話は決定なのですか? お断りすることは出来ないのでしょうか?」
俺がこの質問をすることは既定路線だ。昨日の交渉の後、師匠やミラさんと会議を開き、話の主導権をこちらに奪い取ろうと画策したのだ。
「今、なんと……」
「ですから、開拓団を結成するというのは決定なのですか? お断りすることは可能ですか、と。
昨日は先代勇者のお話を聞いただけで、開拓団についてはあくまでも提案であると認識しています」
顔を伏せた状態の師匠の口元がニヤリを笑うように見えたが、ミラさんは無表情なまま俯いていた。
昨日は午後から夜中まで、輿入れの話で師匠と大喧嘩していたからな。そりゃ、いきなり嫁入りの話を持ち出されたら、一切意図していなかったミラさんは怒るよ。でも、俺はそれに関して何も言えないんだな。
大体、社会構造や常識が日本とは全く異なるからな。これまでお世話になった二人に対して、日本人としての常識に基づいて無責任な発言をすることは出来ない。だから、俺はその親子喧嘩を傍観することしかできなかった。
「そ、そこは何とかお願いします。この通りです」
「陛下! 儂もこの通りです。お願いしたします」
凄い光景だ、帝国を仕切っているはずの皇帝と宰相の土下座だった。いや、土下座から地に這うように俯せに寝そべった。なんだ、これ?
「お二方とも、五体投地など大袈裟です。
僕としては開拓団の話は、お受けするのも吝かではないのです」
「それは誠か、ホーギュエル伯爵殿! いや、すまぬ、ライス殿」
「ですが、詳しい事情をお聞かせ願えないかと思いましてね。お二方からは、何やら焦りのようなものを感じますし」
「腹を割ってと宣言したというのに隠し事をするものではないな、叔父上よ」
「……実は、リンゲニオン自治区が今代勇者殿に興味を示しておってな。リンゲニオンはそこの窓から西を望めば見えるだろうか」
「いや、叔父上。大樹の先っぽだけしか見えぬだろう」
ああ、悲しいかな思春期真っ只中の高校一年生、『先っぽだけ』に反応してしまった。ピクりとその言葉に反応してしまったところを、ちょうどミラさんに見られるとか恥ずかしすぎる。
それにしてもリンゲニオン自治区か、確か元はエルフという種族の国だとか。
エルフっていうと耳が長く尖っていて、背も高く、おっぱいがちっぱいと。俺はおっぱいは大きい方が好みだけど、実際どうなんだろ? 『おっぱいに貴賎なし』とか言ってみたい!
「叔父上、もう全て話してしまいましょう。
リンゲニオンは元は我が国の主家であり、我々の権力でも抑えが利きません。
その上で、見た目の年齢が釣り合う末の姫を今代勇者殿へと……」
「ですからな、奴らが動き出す前に開拓団として辺境に逃げていただこうかと考えていたのです」
「しかし、それは……。逆に考えれば、カットス君が勇者であることを証明することに繋がりますよね。帝国としても有難い話なのではありませんか?」
「それは尤もな話なのですが、な。あの末の姫が、というのが問題でして」
「性格は真っ直ぐな良い娘ではあるのだが、如何せんお転婆でな。余の正妃であるラ・メレアとは似ても似て付かぬ。
それにミラ殿に村長を任せる以上、リンゲニオンの輿入れなど計画の妨げにしかならぬ」
皇帝の一人称が『余』になった。うん、これが彼の素だ。間違いない。
間違いはないのだが、今はそれどころではない! なんだよ、リンゲニオンの輿入れって、しかも相手は俺かよ!
ミラさんを開拓村の村長にすることと、その姫さまの輿入れがどう関係するのか、教えて師匠。
俺は師匠へと視線を向けた、ほぼ睨んでいる状態だ。
「はぁ、上手くいきませんね。
カットス君、君はラングリンゲ帝国の庇護下に入ることにより、帝国の臣となる予定です。そこまでは理解していますよね?
そして開拓団を組織し、辺境の開発に赴きます。君は優秀な冒険者なので開発など他人任せで、開拓の資金稼ぎに勤しめば良いのです。
その他人任せの部分をミラに託すことで、僕の妻や父が領地で画策しているであろうミラの政略結婚を潰す予定だったのですが……」
「ちょっと父上、まさか私に!」
「そうです。ミラには帝国の臣となったカットス君の正妻にと考えておりました。
しかしここにきて、リンゲニオンですか……厄介ですね」
「ちょっちょっちょっちょっと待ってください!
俺、元の世界へ帰るつもりなので結婚なんて困ります」
帰れない可能性の方が圧倒的に高いことは、俺にでもわかってはいる。でも、帰るための手段を得るために、師匠や帝国の偉い人たちが頑張ってくれるという話だったはずだ。どこをどう辿れば、結婚の話になる!?
「ミラは興味本位でしょうがカットス君の世界へついて行くと言いますし、結果として悪くはないでしょう」
「それとこれとでは話が。とにかく、俺には結婚などまだ早すぎます」
「カットスはこう言っているわ。それに私だってこんな触手男嫌だもの」
「今代勇者殿。ですがな、先に埋めておかねば、後から後から押し寄せて参りますぞ? それはもう帝国は臣民は、勇者殿というだけで大好物ですからな。
先代勇者様の手記やライス殿のお話では、勇者殿の国では一夫一婦制だとかで妻は一人に限るということですし。ミラ殿を娶ってしまい、そのように発表すれば混乱も避けられるかと」
「聞けばミラ殿はまだ成人なされていないという話。まずは婚約ということで事を収めませんか?」
「は? えっ、ミラさん、俺よりも年下なの?」
おかしいだろ、この世界の年齢の取り方。
ミラさんはどう見たって、見た目だけは綺麗なお姉さんだぞ。俺はてっきり20代かそこら辺だと思っていたのに。
「何よ? 私はまだ13よ。文句あるの?」
「ないです。何も問題ありません」
ほんのりと頬を染めつつも睨む、という器用な真似をするミラさだが、怖いものは怖いのだ。




