第三百七話
遺跡探索の出発前にやっておかなければならないことは、何気に多かった。
食堂の厨房にてパン生地を捏ねては捏ねて、発酵を終えたものを相棒が『収納』しまくり、更には食堂のお手伝いも兼ねるという目が回りそうな忙しさ。
まあ、これは食料確保を命じられた以上、仕方のないことだ。
一応、パン生地だけという訳にもいかないので、芋などもそれなりに確保している。
俺が留守の間の仕事の振り分けも、ある。
俺は仕事と呼べる程、何かに従事していることは少ないのだが。
俺とライアンが揃って遺跡探索に赴くことになり、養蜂倉庫の管理をミジェナに任せねばならない。
朝起きたら窓を開けるだけなのだが、あの窓は重くミジェナでは開くことは難しく、その代替案として扉を開いてもらう必要があった。また、蜂たちの食事として砂糖水を作り、与える必要もある。
ミジェナは普段口数が少なく、他人を頼ることを避ける傾向にある。子供たち同士ではそうでもないのだが、相手が大人となると簡単ではないだろう。
ライアンの養蜂小屋爆破事件以降、蜂たちはパン焼き小屋で暮らしていたため、その周囲で暮らしていた小屋の住人達は蜂たちに怯えることない。とはいえ怯えないと言うだけで、近寄れるわけではない。
そこでミジェナが困っているようであれば、リグダールさんに助力してもらえるようお願いしておいた。
あくまでも困っていたらなのは、ミジェナの自立を促すためでもある。
そのリグダールさんなのだが、宿屋の料理長に任命した。
ついでに言えば、店長はミロムさんだ。
当初、俺の考えでは料理長はタロシェルの肩書にするつもりであったのだが、サリアちゃんの猛反発を喰らう事態に発展。この二人の仲が悪くなると宿も食堂も回らない。
そこで俺はタロシェルとサリアちゃんに、料理長には面倒な仕事があることを明かした。
材料をどれだけ使い、料理がどれだけ捌けたのかを計算する必要がある、と。
更にミロム店長には人件費や薪などの光熱費も加えた一段とややこしい計算もしてもらわなければならなず、その補助も料理長には担ってもらわなければならない。
また、それらを報告書として毎日書き記してもらわう必要があると、俺は淡々と二人に説明した。
するとどうだろう? タロシェルもサリアちゃんも似たような苦い顔をした後、リグダールさんが適任だと言い出す始末。
タロシェルとサリアちゃんの推薦によって、リグダールさんは晴れて料理長の肩書を得たのである。
ミロムさんに至っては、面倒な計算が出来そうな人物が彼しか存在しなかったという身も蓋も無い理由に由る。是非とも頑張っていただきたい。
食料確保と諸々のお願いを終えた俺が何をしているかと言えば、師匠の手伝いを強要されていた。ふらふらと拠点内を歩いていた俺が悪いとも言えるが、師匠は最初から俺を見積もりに入れていた風でもあった。
実際に何をやっているかというと、拠点と開墾した農地を取り囲む土壁を作っている。作っているのは主に師匠だが、その手伝いをやらされている。
だが、おかしい。
俺が聞かされていた計画では、開墾した農地取り囲むのは木柵であったはずなのだ。それが何故に土壁に代わったのかというと、ゴブリンさんたちからの要望をミラさんが受け入れたことにあるらしい。
その要望とやらが何かというと、開墾した畑の一部を木柵で取り囲んで欲しいというもの。
何故そんなことを望むのか? それは彼らが撒いた甘蕪の種に問題があった。
その甘蕪は、なんでも魔物であるという話なのだ。
収穫時期には自ら土の中から這い出て、歩き回るという。幸い、飛び跳ねたりはしないらしく、低くても木柵で足りるという。
最近、木材を持って拠点内を右往左往しているローゲンさんをよく見掛けていた理由は、どうもそれであったらしい。
師匠に教えられたその話に興味をそそられ、俺は現場を見に行ってみた。
「ゴブリンさんたちもローゲンさんも頑張り過ぎだろう」
田んぼ六反分はありそうな広さの畑を木柵で囲む工事の最中だった。
等間隔に杭を打ち込んで、横板を釘で打ち付ける作業をローゲンさんが指揮していた。柵の一部は解放されているようで、そこには大型犬用の犬小屋のようなものを建てている途中でもあるようだ。
「おう、魔王さん」
「これは?」
「魔物の甘蕪は暗くてひんやりとした場所が好みだそうでナ。床に石を敷き詰めた小屋を用意すれば、そこに勝手に向かうんだってヨ」
「すっぽん養殖に回す資材は残りますかね?」
「結局、池にするって話だったロ? ナラ、足りるとはおもうゼ。大体、拠点の周りは伯爵が土壁を盛り上げるってことで話も決まっているからナ。足りなきゃ、またミモザに買い付けに行かせればいいダロ」
ミモザさんの扱いが酷い。
ミモザさんは冒険者ギルドの出張所の所長であったはずなのだが、未だ冒険者ギルドの出張所は建築予定すら立っていないのではないだろうか? 第一、それだけの資材が運び込まれている区画は存在しないのだ。
すっぽん池を作る資材が確保されているなら、俺が文句を言う筋合いはないがね。
「ブルゥゥゥゥ」
「うわ、びっくりしたぁ。ミートか、お前また脱走……した訳ではないみたいだな」
「すみません、魔王様。お肉、まだ耕している途中なんですよ?」
「カットスはこの馬にもの凄く気に入られているよね」
甘蕪畑の隣はアランとイレーヌさんの畑であったようだ。
それにしても、一世帯で持つには結構広い畑だと俺は思うんだけど。いや、どうも共用であるらしいな。何人もの人と何頭もの農耕馬、その姿がある。
「僕と妹の畑は、カットスがテスモーラでもらってきたハクリキコの小麦を育てる区画さ。近所の小屋の皆で協力して育てることになったんだ」
「ほら、ミート。農耕馬らしく、畑仕事を頑張らないと!」
「フン」
「ふん、じゃないよ! ほら、早く行って」
「たまにこの仔とも遊んでやってよ。今は無理だけどさ」
「行きますよ、お肉」
俺がここに居るとミートが仕事をしない。迷惑千万だ。師匠の下に戻ろう。
◇
師匠は俺が甘蕪畑を見に行っていた間も土壁を作り続けていたようだ。
今回、師匠が作っている土壁は拠点の外からも内からも土を流用している。
それにより、外側にも内側にも堀のように地面が抉られていた。
師匠が俺に与えた仕事は内側の堀を叩いて固めるという地味な作業。
地味ではあるが、農業用水路となる内側の堀は必要不可欠なもので、手は抜けない。
俺はドケチ魔術『凹』で、相棒は巨猿の触手で、堀の土を固めていく。
無論、造血剤の丸薬は服用済みだ。
「父上、カットスも作業は順調に進んでいるようね?」
「ミラ、来ましたか。僕の戦車はそこに置いておいてください」
「なんで戦車?」
「土が水分を多く含み過ぎています。焼いて乾燥させないと崩れてしまうでしょう」
「なるほど」
確かに堀の土を押し固める作業をしていると水が滲み出てきている。
だから俺は少し工夫を凝らしていたのだが、師匠は師匠でもっと雑に大胆な方法を採用したらしいな。師匠の戦車の荷台にある火炎放射器で土壁を焼くというのだから。
用いられる魔力量からすると、俺の工夫とは真逆。
雪が降っていた冬の間、ライアンに魔法陣の応用を教わっていた時のこと。
魔法陣の作用範囲を弄るという段階で俺は気付いた。俺は既にそれを会得しているのだと。師匠やライアンの基本扱う魔術と、俺のドケチ魔術は完全に異なるものであると。
師匠やライアンの基本扱う魔術は過程が無く、結果だけが齎される。
逆に俺のドケチ魔術には過程となる部分があり、その後に結果が齎される。
例えばドケチ魔術『H2O』の場合、大気中にある分子を結合するのは過程だ。その結果齎されるのが水である。
師匠やライアンの魔術の場合、水といえば何の過程もなく手元に水が出来てしまう。ただ、その水は魔力が変化しているだけであり、時間が経てば消えてしまうが。
そして作用範囲を弄るという魔法陣の応用は、師匠が今やっている土壁の作成がそれにあたる。周囲から土を持って来るという過程を経て、土壁を成す。
俺の場合は過程となる部分は無意識に周囲を指していたようだが、これを限定すれば別のこともできる。
俺にとって新たな試みとなるドケチ魔術『水』だ。
既にある水を限定された範囲の地中から持ってくる。要するに堀となっている周囲の地面から、水分を吸い取ることが出来ている。吸い取った水は空いている相棒の触手に預ければ、そこらに巻くよりも確実だ。
元々魔力の少ない俺がドケチ魔術で更に使用する魔力を搾っているがため、作用範囲の指定は限りなく狭いのだが、それで十分であった。
本来であれば困難であるとされることを、実は自分がもうやっていたということは自信につながる。偶然でしかないのだが、物は言いようである。




