第三百四話
「ライアン、寒いから閉めろ!」
「何言ってんだ。前が見えねえと怖えだろうが! 横穴は幌が邪魔で見えねえんだよ」
「前も何も、空しか見えないだろ!」
俺とライアンとミジェナは今、生まれ変わった戦車の試乗を体験中である。
日々仕事に追われるライアンの気分転換も兼ねて誘ってみた。
それは、彼の忙しさの原因がほぼ俺にあることが判っているための反省に基づくものでもある。
ただ、この状況は想定外にも程がある。
拠点の周囲には融け始めてはいてもまだ多くの雪が残っており、そうでない箇所の地面も雪解け水で泥濘んでいた。
ゆえに走行は早々に断念し、相棒を動力とするこの戦車の最大の特徴を生かすことを試した。
今の戦車の状況を客観的に見れるならば、恐らく動く物見櫓だろう。
先程、相棒の出入り口となっている側面から下を覗き込んだところ、実家の二階にあるベランダから地面を覗き込んだり、学校の屋上から同じように地面を覗き込んだ時よりも遥かに高い位置にあることが判る。距離で言うと二十メートル以上の高さはありそうだ。
現状、戦車内は混沌を極めている。
シギュルーに乗ってもっと高空を知っているはずのライアンは興奮状態にある。多忙を極めるライアンのストレス解消になるのなら、それ自体は嬉しいことではある。
だが、ミジェナの状態も気になるところ。
相棒によって高空に浮くかのように支えられている戦車はそう酷くはないものの、相棒の歩みの影響を受けて揺れる。例えるなら観覧車のそれだろうか?
この不安定な揺れは、日常生活で決して体験することのない高さに怯えるミジェナを更なる恐怖に煽る。恐怖にガタガタと震えているのか、寒さで震えているのか判別が難しいところだが、俺にしがみ付いていることに変わりはない。
俺もミジェナと似たようもので、この高さと不安定な揺れは正直に怖い。
あとはライアンが開いたまま閉じてくれない、前面確認用の覗き窓から吹き込む強く冷たい風に凍えそうになっている。今はミジェナを抱っこしており、互いに体温を分け合うことで少しだけ堪えられているに過ぎない。
「相棒、もういい。帰ろう」
「ニィ!」
「まあ確かに寒いな。でもこれは使えるだろ? 河辺の土寧を往くにも、河を渡るのにも」
「それは大いに認めるけど、ミジェナが限界だから今日は帰ろう」
「……ん、かえる」
「しっかし、この戦車は便利な造りになってるな」
「使い勝手を重視して、ローゲンさんと試行錯誤したからね」
新戦車の内装は前面の座席を除けば、固定ではない。
床板に鉄パイプが数本埋め込まれており、相棒に『収納』してある各種アタッチメントを嵌め込むことで用途を切り替えることができ、それすら取り外せば荷台として機能する。無論、相棒ありきの機能ではある。
「テーブルになったり、椅子を足せたりと、自由過ぎるだろ! この座席も回転するみたいだしな」
「少し嫌な音が出るけどな」
ボールベアリングはどう考えても技術的に無理があった。そこで、椅子の支柱を鉄パイプと鉄筋棒を使いジョイントすることで、上部と下部を別物としてある。
ただ、回転の度に金属同士が擦れてキィィィと嫌な音が鳴るのは避けられない。一応は対応策として、ミモザさんが新たに仕入れてきたワックスを塗り付けてはいるのだけれど効果は今のところないに等しい。
「相棒、もっと低くていい。皆が驚くから」
「ニィ!」
「このまま養蜂倉庫まで行っちゃえよ。どうせ南口の門番はお前なんだからよ」
「それもいいか。相棒、任せた」
「ニィ!」
宿の屋上には東屋があり、そこにはシギュルーの巣が設けられている。
シギュルーは昼間の警備の眼としては抜群の才覚を示し、夜間は夜行性であるらしいグーとブーが交代で見張る。
さらに、夜目がそこそこ利くらしいレッドハニービーの働き蜂も周辺警戒に加わってくれている。
ミモザさんとキャラバンがテスモーラへと出向く際はシギュルーとブーを連れて行ってしまうため、昼間は警備団から誰かしらが派遣される。また、夜間はグーと働き蜂が主体となって警備することが習慣となっている。
でも、南口の商業区画に於ける責任者は俺なのだ。
多少強引なことも出来てしまう。それをライアンは言っているのだ。
「昼からはロギンに呼ばれてるんだったか?」
「ああ、うん。頼んでいた鎖帷子が出来上がったみたい。鎧はなめしに使う液体をミモザさんが仕入れてきたみたいで、今作っている最中だってさ」
「ん、あそこはあたたかい」
「そうだな。冷えた体を温めに行こうか」
◇
無事に南口に到着し、俺たちが戦車から降りると相棒は戦車を仕舞う。
雨ざらしには出来ない。これにだって結構な金が掛かっているのだ。
養蜂倉庫前でライアンと別れ、俺とミジェナは鍛冶場へと向かう。
鍛冶場は商業区開発時に移設した。当然だが相棒が呑み込み、吐き出す形でだ。
場所は養蜂倉庫を挟んで宿屋とは反対方面になる。
「こんにちは」
「ん」
「おう、待ってたゼ。鎖はこれだ。代金は……と言いたいところだがナ。ツケから差っ引くからヨ。鱗鎧の分もいらねえかもナ」
「それは嬉しいですね」
本当に嬉しい。
何せ、宿の建築費用も俺の持ち出しである。発注していた鎖帷子とスケイルメイルの代金が不足するのではないかと心配になっていた。
「説明するゼ。オリハルコンの特性はミスリルに近いんだガ、より多くの魔力を込められル。込めれば込める程硬化するからナ」
「ロギンさん、ありがとうございます。よーくわかりました」
また俺の魔力を金属に浸透させねばならない。魔力量の少ない俺には一苦労だというのに、だ。
しかし、自分で発注したものだから自業自得とも言える。
「鎧の下地はなめしに入っていル。もうしばらくは掛かると思ってくれヤ」
「はい。完全な雪解けまでなら待てますよ」
「十分ダ」
正確には川向こうの雪解けが対象である。
それは隔日でシギュルーが確認に赴き、ライアンが報告してくれている。
川向こうの積雪は未だ健在であるという話だけど。
「こっちの大鍋は何を?」
「先日、魔王さんから買い取った地竜の皮を硬革に加工するンダ」
資金不足を補うために俺はロギンさんたちに地竜素材を買い取って貰った。
ただこれはロギンさんとローゲンさんに貯えが無かったため、ツケ扱いになっていた。ここに来て、それも解消傾向にあるのだろうか?
「ミモザがテスモーラで傘の実演販売をしたと聞いタ。多くの予約金が入ってきているンダ。その上、この硬革鎧は警備団に支給するとキタ。魔王さんの残りのツケも金貨で支払えそうだワ」
……そうなんだ。
どうやら俺が計算していた以上の金額になっていたようで安心する。
その一方でやたらと気になるのは、大鍋の中でぐらぐらと沸騰しながら湯気をもうもうと立てている何かの方だった。
「これはただのお湯だゼ?」
「硬革はお湯で茹でて作るッスよ」
「マジで?」
「嘘じゃないッスよ!」
ソニャさんは俺の目の前で地竜の皮が大鍋に投じた。
地竜の皮は鱗が一切存在せず、ただひたすらに硬い皮である。付着していたであろう皮下脂肪は相棒が綺麗に拭いさっている。どうやってかは知らないが。
「ほら、よく見るッス」
「ただ皮を茹でているようにしか見えない」
「ただ茹でているだけっスから」
地竜の皮がお湯の熱によって端の方から収縮し始めていた。
全体に熱が通るにはどれくらいの時間が必要なのか謎であるが、どうやら本当に茹でるだけであるようだ。
「ん、あたたかい」
「いつもの乾燥した鍛冶場と違って湿度が高いから、優しい暖かさだな」
というか、少々蒸し暑いんですけど。




