第三百一話
春が来た!
ぽかぽかとした陽気に俺の頬も緩んでしまう。
でもまあ風が吹けば、ちょいとまだ肌寒かったりもするんだけど。地面が凍り付いたり、霜柱が立ったりすることはなくなった。
拠点を取り囲んでいた積雪の高い壁も融け始めている。
草花の新芽が地面から押し上げるように芽吹き、積雪を破壊し始めている。所によっては、完全に地面が露出していたりもする。
開拓拠点も草花の新芽に負けず劣らず、開拓と開墾に新築工事が順調に進んでいる。新築工事に関しては、ひと段落したとも言えるだろうか。
南出入口で俺とライアンとミジェナと蜂たちが暮らしていた養蜂小屋は撤去され、少しずらした位置に高さも広さも申し分ない大きな倉庫が建った。これこそが新築された養蜂小屋である。
結局、暖房に火を用いることから蜂たちだけで放置など出来るわけもなく、管理することを前提に新築宿屋のの距離は近くなった。蜂たちは宿屋の警備員も兼ねることが決定しており、過剰にはっちゃけた客には良い薬にもなるとの評価もある。
そして、大本命の宿屋。
こんなデカい建物は必要ないだろうという程、縦にも横にもデカい宿屋。
一階の食堂ホールは俺の目算で五十畳以上ありそうだ。
その上、厨房も恐ろしく広く作られている。共用の煮炊き場の総面積よりも広いのだから驚きだ。
二階には宿泊者用向けに大部屋がひとつ、小部屋が五つもある。小部屋でも以前の仮説宿屋に比べると倍近い広さとなっている。
以前、仮設宿屋として利用していた小屋は倍以上の大きさに改築され宿屋に併設された。厨房の横の壁にその扉があり、主な従業員であるサリアちゃんと姉元を脱走したガヌが暮らす小屋となった。
また、食堂は夜の営業もあることから開拓団員より希望者を募り、新たに三名の従業員がこの小屋で暮らすことが確定している。
なんと、その内のひとりはミロムさんだったりする。まあ、本人の強い要望があったが故の人事であるという。
タロシェルとリグダールさんは厨房内にベッドを持ち込み、厨房で暮らすと言い出した。パン焼き用の大型の窯を据え付けたことが、その引き金になったようだ。
その際、彼らが今まで暮らしていたパン焼き小屋の権利は俺の手元に戻って来たのだが……速攻でミラさんに押さえられてしまう結果に。
それも俺とミラさんの新居となったわけではない。そんなことは師匠が許しはしない。わかっていたさ。
今後はミラさんとリスラの執務室として活用されることになったというのが正しいだろう。
結果、俺が暮らすのは養蜂倉庫に暫定的ではあるが決定している。
当然のようにミジェナもライアンもなのだが、ライアンはその内ダリ・ウルマム卿に引き取られることになるだろう。キア・マスとパム・ゼッタさん母娘の要望に勝てるわけなどない。
ライアンには是非ダリ・ウルマム卿の胃痛を和らげるための薬となってもらいたい。
「この戦車、馬を繋ぐところがないぞ。それに背が低すぎないか?」
「新型戦車に馬は必要ないんだよ。試乗は周囲の雪が完全に融けてからだけど」
住居用の小屋と宿屋・養蜂倉庫を建て終わったロギンさんローゲンさんの二人に、壊れたまま相棒に『収納』してあった戦車の改良をお願いした。
当初は二人とも首を捻っていたものだが、俺が望む形にはなった。
見た目は、ほぼ木箱のそれに車輪が付いているだけ。長方形の箱の大きさは大体で軽バンくらい。
座席は木箱の中に余裕をもって据え付けてあり、俺が全身に風を受けて走るようなことはもうない。完全に、ではないのは前を覗き見る小窓が設置してあるからだが。
箱の横には相棒の触手が出入りできるだけの空間がある。馬を繋ぐ必要がないのは、相棒が漕ぐことになるからだ。
一応、触手の最大数八本を想定した空間を用意してある。不要な際は帆布で塞ぐことも可能となっている。
「ん、お肉がおこるよ?」
「農業が忙しくなるからミートもそっちを担当してもらいたい。アランに貸し出すことにした」
アランはイレーヌさんと一緒に農民となるらしい。
フェルニルさんが憲兵団に誘っても、首を縦に振ることはなかったと聞いている。
師匠に聞いた話では、ゴブリンさんたちに弟子入りしたとかなんとか。
「なるようにしかならんだろ。で、こいつら三倍以上に増えたんだが……そろそろ探索に向かわせてもいいよな?」
「俺に訊くな。女王蜂に訊けよ」
「ん、はちみつ!」
「あぁ、そうか……まだ寒いか? 近くだけ? 行くだけ行ってこい」
養蜂倉庫は扉も窓も大きい。
扉も内開きではなく、外開きとなっている。勿論、窓も。
蜂たちの出入りを考慮して、そうのように建てられている。
ブーンと翅を震わせた二十を超える働き蜂たちは春の大空へと飛び立っていく。
まだ花など咲いてはいないだろうが、下見へと向かうようだ。
川の氾濫を視察に行った折に、二匹の働き蜂がその辺りを視察しているはずではあるが、分母が増えれば新たな花の群生地を見つけられるかもしれない。
開拓団員全員から蜂蜜入手の期待は否が応にも高まっている。砂糖以外の甘味を求める者は何も子供たちだけではないのだった。
「この分だと、遺跡の探索時期も早まりそうだ」
「氾濫流域の氷はどうなんだ?」
「融け出してる。地面は砂地だが、今は土も多い。ぐちゃぐちゃだな」
「師匠とライアンだけなら抱え上げて大股で行けばいいけど、魔物が出たら困るな」
「それこそ、その新型戦車の出番だろうが」
「ああ、そうか。そうだったな」
新型戦車は寒さ嫌いの俺の思い付きで改良したもので、別に遺跡探索に狙いを絞って作ったものではない。盲点だった。
相棒の触手はまだ四本であと二本もあれば、魔物対策もできるのだけど。今のままだと、移動するだけが関の山だ。
大型のウナギみたいなウツボみたいなシーサーペント。あれに出くわさなければいいが。
「――兄ちゃんは……いた!」
「どうした、ガヌ」
「ミジェナ、借りてっていい? サリアがシチューのアレ失敗して、それと芋とか切るのに手が足りないんだ」
「今は何もしてないから別にいいぞ」
「ん」
春を待つまでクソ寒い中、俺とミジェナは養蜂倉庫に篭っていた。
一緒に暮らしてはいても、基本ライアンは別行動だ。彼の場合、振り分けられる仕事の量が半端ではないからな。
とはいえ、籠ったままゴロゴロしていたわけでもない。
俺とミジェナはライアン式の結界魔術を応用して、様々な角度から何かに使えないかと研究を重ねていた。
その答えの一つが、フードプロセッサーだ。
結界強度の問題が立ち塞がり、俺には不可能なのだけれど。ミジェナには出来る。
宿屋の新装開店以降、食堂に限定してだが。多忙となる場合にはミジェナをヘルプとして派遣している。概ね、何かを失敗した時などに誰かが呼びに来ることが多い。
今回もベシャメルの練りを失敗してダマになってしまったのだろう。
炉の本格稼働以降に作ってもらった金属製ボウルに失敗作や野菜を入れ、結界魔術で作ったプロペラファンを高速回転させる。やってることはそれだけなのだが、齎される結果は絶大だった。
ダマになったベシャメルはさらりと仕上がり、野菜は芋だろうと何だろうと微塵切りに。何度も言うが、俺だと結界強度が足らず、ダマになったベシャメルの処理くらいにしか役に立たないんだけどな。
「ん、夕飯いらない」
「食べてくるのか? わかった」
「今日の飯は俺らも食いに行くわ」
宿の客は今の所は誰もいない。モリアさんもキャラバンの第二陣と一緒にテスモーラへと引き返している。
主な客層は、警備団員や憲兵団員。開墾を終え疲れ果てた開拓団員が押し寄せる食堂の方だ。
「まるで火の車ですよ」
とは、リグダールさんの言だったか。食堂だけは昼も夜も盛況であるらしい。
俺は様子を見に行くと十中八九捕まって手伝いを強要されるため、食べに行く以外では出入りしないことに決めている。オーナーというやつだ。




