第二百九十七話
先日、ベガさんを解放し終えた俺とミジェナは厩舎を覗くのは控え、パン焼き小屋へと向かった。
多産であるかと思われた虎牛さんは単産であったようだ。
今も生れたばかりの子どもを守るべく意識を尖らせているため、容易に近付いてはいけないと飼育担当者から諭された。春がちゃんとやって来てから改めて見学しに来ようと思う。
パン焼き小屋に置き去りとなっていた蜂の巣の回収を急いだのだが、蜂の巣を相棒に『収納』することは出来なかった。女王蜂が見守る中、巣を『収納』するには些か問題がある。俺には女王蜂との間に意思疎通が図れない。
俺に慣れている働き蜂は新たな養蜂小屋に置いてきており、女王蜂を説得できる宛てがない。
ライアンが起こした水素の暴発の衝撃でか蜂の巣は少々脆くなっていた。そのため、巣が壊れないよう慎重に帆布で覆い、相棒が四本の触手で大事に抱えて養蜂小屋へと運んだ。
帆布で覆う段階で気付いたことは、数多の幼虫が蠢いていたはず巣では半数ほどの幼虫が蛹に変わっていたことだろう。但し、色はまだ白く、蛹に成り立てであるようだった。
これだけの数が女王蜂の下に集うとなれば、養蜂小屋の新築も本格的に考慮する必要がありそうだ。俺たちと共に暮らす今の養蜂小屋では、どう考えても容積がたりないからな。
「ライアン、シギュルーさんはなんと?」
「氾濫域には雪はほぼ存在しないけど、氷が張っている。シギュルーの体重は軽いからどの程度の重さに耐えられるかは分からないな。で、対岸・河向こうの話となると積雪が多すぎて話にもならねえよ。魔王に吸わせるにしても、拠点周囲よりも遥かに積雪の嵩が高い。崩れれば目も当てられないだろ? 万全を期するならもう少し待つべきだ」
「やはり夏の雨期、その手前までは身動きは出来ませんかね」
「数日おきにシギュルーに観察させるとしても、その辺りが妥当かもしれねえな。ま、経過次第だが」
「と、いう訳です。遺跡の探索に赴くにはまだ尚早のようです」
シギュルーの偵察で分かったことは以前見に行った氾濫流域には氷が張っていることと、この辺りと比較できない程の積雪があること。
当然、それはシギュルーの見た光景を読みったライアンが答えたものである。
師匠が焼き払ったり、相棒が吸い取ったりしたとて、焼け石に水だろうと判断された。それは別に誰が悪いでもなく仕方のないことである。
安全に行動できるようになるまで待つ以外の選択肢はない。というか寒いので暖かくなってからの方が俺には嬉しい。
そんなことは、この場に集う珍しき面子が主に頭を悩ませる議題ではない。
この場に集う面子に於いていえば、それ以前の問題が横たわっていた。
「タロシェルも私もクロワッサンとディニッシュは、ほぼ失敗なく作れるようになりました」
「シチューと揚げ物でいくしかないよ!」
「でもドーナツはまだ上手くできないんだ。獣油しかないからさ」
「ん、すっぽん汁ものこりすくない」
宿屋の出す食事メニューに行き詰まる担当者に、俺は質問攻めにされていた。
調理担当が主なタロシェルとリグダールさん、接客も兼任するサリアちゃんと俺の秘書みたいなミジェナ。当然、そこに俺と師匠とライアンも加わる。
「現状、開拓団にはワイバーン肉しかありません。熊肉は既に食い尽くされ、すっぽんの膠も在庫が逼迫しています」
「新しい何かがないと宿のお客さんも飽きちゃうよ?」
「実は臓物をキャラバンの皆と試食したんだけど、中々の評価を得られてはいる。やってみるか?」
まさか翌日になって拠点にダッシュさせられるとは思わない。
そんな話はどうでいいとしても、今まで口にしていなかった臓物を食えることに気が付いてはいたのだ。肉食動物や肉食の魔物が真っ先に内臓を喰らうことを考えれば、そこに眼が行かないのは不思議な話でもあったな。
確か草食獣の内臓に蓄えられたビタミン類を摂取するためだったか?
「臓物ですか……血抜きが完璧でないと臭みが酷くて食すには厳しいとしか」
「相棒の血抜きは完璧です! 試しにワイバーンの臓物でも焼いてみますか?」
「兄ちゃん、小屋が臭くなる。お外でやって!」
「タロシェルの言う通りですね。少し寒いですが、外で焼いてみましょうか」
◇
「これなら十分じゃないでしょうか」
「胡椒を効かせたらイケル」
「魔王様、胡椒は高いんじゃないの?」
「胡椒はシフォンさんから少量ですが提供を受けています。胡椒があれば、焼肉もシチューもかなり味わいが変わると思うんですよ」
サリアちゃんが言うように胡椒は高い。
俺がノルデで買い付けた時も目ん玉が飛び出る程の高額だった。金貨一枚とまでは言わないが、それに近い金額ではあったと思う。
それも西大陸で傭兵仕事に邁進していたというシフォンさんのお陰で、今回宿で提供する料理に関しては何とかなりそうだった。
「シフォンさんとガヌママは開拓団に入りたいんでしょ?」
「決めるのはミラさんたちだけどな」
「ミラ様はその辺りは聡いし、もう決まったもんだね」
ダリ・ウルマム卿の指示でミモザさんも、シフォンさんとベガさんの取り込みに掛かってもいる。ミラさんがその辺りを理解していないとは考えられない。
間違いなく、取り込みに掛かるはずなのだが……。
実情はどうかといえば――
「――ここから先は居住区です。開拓団員以外の立ち入りはご遠慮願います」
「――魔王を出せ! 出しやがれ!」
「母ちゃん、やめろってば! 警備の人が困ってるだろ」
「ベガ、止せ。開拓団入りの話がお流れになるぞ」
「義姉さん、お願いだから止めて! お金のない私たちは、この開拓団に入れなくなったら生活も儘ならないのよ」
柵の外部の警備を担当している元軍人さんたちとは異なり、憲兵組織に組み込まれた元冒険者さんたち。彼らは北出入口から少し入った厩舎と宿屋だけがある区画と、居住区の境の出入りを監督する部署となる。
それは本格始動したフェルニルさん率いる憲兵組織の一員だ。
ミモザさんの率いるキャラバンが戻れば、ガフィさんも憲兵組織に組み込まれるという話もある。
ベガさんは俺を出せと憲兵に訴えるが梨の礫。
立ち入りを禁じる旨を伝えるのみで、一切取り次ぐことはない。
俺はこんなでも一応は開拓団の代表ではある。そこが上手く作用していると思おう。
とはいえ、今のところは憲兵組織が上手く機能しているお陰で俺まで辿り着いてはいないが、それはあくまでも時間の問題だろう。
基本、俺は養蜂小屋から出ることはないのだが、今日のように切羽詰まった会合があれば参加しないわけにもいかない。
憲兵の目を掻い潜って居住区に侵入を許せば、完全にお手上げなのだ。
「ガヌの抑えが機能している内に何とかしないと大変ですよ、魔王様」
「ミルク余りを宿に押し付けるのには賛成ですけどね」
「朝食は普通のスープ、夕飯はクリームシチューを出せばいいよね」
「この際、魔王様の地竜の肉か臓物を出すことも考えましょう。宿屋は魔王様の麾下にあるのですから」
サリアちゃんは意見をガンガン出してくるし、リグダールさんは鋭いところを突いてくる。ただ、双方主張しかしないので会話が成り立っていない。
「三時のおやつは試作した焼き菓子の実け……じゃなくて、味見をしてもらう」
タロシェルは何だかんだ言いつつも、自分のやりたいことを前面に押し出してくる。ある意味、俺の悪いところを学習してしまったようであった。
「ん、バタースカッチはいい。タロシェル、よくやった」
「あれは間違えただけなのに……」
最近のタロシェルとミジェナの関係性はミジェナがやや優位でお姉さん口調となっている。タロシェルも兄としての威厳を取り戻そうと必死だが、そこに至るにはまだ遠い。
このままミジェナが優勢を維持できるか、はたまたタロシェルが巻き返すかは神のみぞ知るというやつだろう。
どちらが上位であるかなど些末なことだが、ミジェナが優勢な今の状況も中々に面白い。タロシェルにも頑張ってもらいたいところではあるけども。
双子であり、互いが唯一の肉親であることを忘れないためには好ましいやり取りなのかもしれない。見ている分には微笑ましいので放置が基本だ。
「どうしたところで魔王様に新しい何かを作っていただかねばなりませんよ」
「いやぁ、もう、あるものでやるには限界かと」
「パンとシチューじゃ限界があるよ!」
「パンとシチューでも十分では? 組み合わせを替えるなどの方法で何とか耐え凌ぎましょう。この時期は芋などの根菜くらいしか十分に確保できていませんから」
師匠は現状を正しく把握した上で話を振るが、それ以外の面子は新しいものを欲しがる。ただ、そんなこと言われても困るのですよ。
俺だって、兄貴から強引に押し付けられた知識とっ技術には限界がある。というか、そもそも限界しかない。
「本当にどうするの? ガヌママもご飯で誤魔化してるようなもんだよ?」
「今はまだ食事で留飲を強引に下げていられますが、時期に居住区への侵入を許す事態に発展しかねません」
「そこはもう養蜂小屋に篭るということで……」
サリアちゃんとリグダールさんの追及は止まない。
とはいえ、何をすればいいのかわからないのが現状なのだ。
「具なしのクリームコロッケ?」
「蜘蛛も冬籠り中でしょうし、蟹を獲るにも河辺には近付けませんよ」
「あぁ……コロッケの基本に立ち返ってみるべきか。芋でやろう」
よくよく考えてみると、俺が作った最初のコロッケはクリームコロッケだった。
でも、コロッケと言えばやはりジャガイモのコロッケだろう。
まあ都合よくジャガイモはないのだけど。里芋の親芋みたいな極大な芋はある。
火を通すとねっとりとした食感になる里芋だけど、やるしかない。
やれば出来る。きっと出来る。もし出来なかったら、その時に考えよう。




