第二百九十三話
昨夜、地竜のレバーをはじめとした様々な臓物とワイバーンの焼肉は、今まで何で口にしなかったのかと後悔するほど美味であった。
毒見に関しての懸念も相棒が俺に無害であると判断して取り出しているのだから、最初から問題はどこにもなかったのだろう。ただ、テスモーラ-ベルホルムス間にてシギュルーがワイバーンの幼体を仕留めた際、相棒が能力の大半を失っていたことを思えば仕方がなかったとも言えた。
「シギュルーは夜明けと共に出立しました。手紙が無事に届けられれば、食料と薪を積み込んだ馬車か戦車が送り出されるはずです」
「シギュルーは今日中に到着するじゃろうが、送り出された馬車や戦車と合流するには日数も必要じゃろうの」
「ええ、お爺ちゃんの言う通りです。そこで魔王様とミジェナには陽のある内に叔母さまとシフォンさんを伴い、拠点へと帰還してもらいます。
正直、叔母さまはどうでも良いのですがシフォンさんは開拓団のお客様です。少しお話を伺ったところでは、シフォンさんとベガさんは開拓団に参加を希望しておられます。ウルマム将軍より信用に値する戦闘者の確保は急務と、私にも勧誘の権限が与えられてもいます。今回は私の失態で食料と薪が不足となってしまい、彼女たちの開拓団への印象があまりよくありません。これ以上の印象の悪化を防ぐためにも、魔王様には拠点へとお戻りいただきたいのです。また、ミジェナもこの寒さの中に長く留めるにはまだ幼過ぎると判断しました。一緒に連れ帰っていただければ幸いです」
お客様は元より、ミジェナも俺もこの寒さには堪えている。
だから、ミモザさんの言わんとすることには十分理解を示すことは可能なのだが……では、一体どうやって帰れというのか?
「ちょうど良い具合に戦車が一台あるであろう」
「往路で積雪を回収してはいますけど、地面の凍結は避けられませんよ? 昨日まで最後尾にいた戦車は馬車の轍を踏んでいたからそれなりに進むことも出来たでしょうが、軽い戦車だけで先行するには問題が多すぎます」
「ええ、それは十二分に承知しています。ですから魔王様にお願いするのです。魔王様であれば、魔物との遭遇などあってなきが如し、凍った地面を往くにも問題になりませんよね?」
…………。
いやぁ、確かに相棒が居れば、その辺りはクリアできるよ。
でも、馬車と違い戦車は構造上どうにもならない問題がある。
戦車の座席は前面にしかない。言ってみりゃ、御者台しか付いていないのだ。
相棒が即席で作り上げた街道は冬の川と一緒で、そこを通り抜ける風は極端に冷たい。
シフォンさんの戦車には幌は付いていても、防げるのは横と後ろから吹き込む風でしかない。進行方向の視界を確保しなければならない以上、前面から浴びる風は防ぎようがない。
そして、俺は寒さには滅茶苦茶弱いんですよ!
「親父、準備は出来たぜ」
「モリア、カツトシ殿が護衛についてくださるそうじゃ。キャラバンに先行し、開拓拠点へと向かうがよい」
「おう! 道中よろしく頼むぜ、勇者様」
俺の意見など最初から聞くつもりが無かったようだ。
出来れば、昨晩の内に打診して欲しかった。それなら少なくとも、こんな絶望を抱くことはなかったろうに……。
◇
座席の中央にモリアさん、左にシフォンさん、右に俺、穴あきクッションを二枚敷いた荷台にミジェナとグーを乗せ、戦車は凍結した即席の街道を疾走する。
「寒い寒い寒い寒い寒い、顔が凍る」
「うるさい娘だね。このくらい我慢しな!」
「いや、滅茶苦茶寒いですよ? というか、顔が寒すぎて痛い」
「だらしないねぇ、勇者様だろ! オレだって手綱握ってる手が痛いんだぞ」
モリアさんの言動が厳しい。勇者も魔王も寒さには関係ねえじゃん!
戦車を牽く馬が老齢だから多少速度が抑えられるかと思えば、そんなことは全くなかった。ただでさえ軽い戦車が地面を滑るために馬の負担が少なく、予想以上の速度が出ていた。
「もうダメだ。少し視界が歪むかもしれませんが、前面を塞ぎますよ。相棒、スライム触手の傘を張れ!」
「ニィ!」
「おい、なにを!?」
「なにこれ? 路地を歪めたのと同じ?」
我慢できなかったんだ。
スライム触手は相棒の持つ触手の中でも特殊で、開拓団外に漏らしたくない手札のひとつではある。だが、背に腹は代えられない。
このままでは拠点に着くまでに、荷台のミジェナ以外が凍死してしまう。
そんな危機感に襲われれば、秘匿したい事柄との天秤は容易に傾いてしまった。
「最初からこうすれば良かった」
「ん、あとのまつり」
「グゥ」
「よし相棒、あれ出せ、あれ、生姜湯。刻み生姜と砂糖を適当に放り込んだ湯飲みにお湯を注いだヤツな」
「ニィィ!」
三人が並ぶ戦車の座席でやかんに入った熱湯を注ぐなんて危な過ぎてできそうにない。ならば、相棒に作ってもらった方が早くて安全だ。
ただ、相棒の触手で現在余っているのは一本しかない。緩いカーブでも簡単に横滑りするため、左右の積雪の壁に沿うように二本の触手で常時バランスを取らせているからだ。言うまでもなく、もう一本は先程張ったスライム触手での前面風防だ。
「順番に受け取ってくださいよ。最初はミジェナ、零すなよ」
「ん」
「お湯?」
「ほんと便利だよな、そのユニークスキル」
「あったけぇ」
「甘いけど、薬草の匂いもする?」
「ん、クッキーは?」
養蜂小屋で暮らすようになって以来、ミジェナは頻繁に俺に甘えるようになった。
特に食べ物関係で。
「クッキーはないな。試作キャラメルというかバタースカッチならあるが……一個ずつな」
「ん」
食べ物関係に於いて全幅の信頼を寄せるミジェナは、ポーチから取り出して手渡したバタースカッチを躊躇なく、その小さな口に放り込む。
俺が試作したのはシンプルなバタースカッチ。クリームと砂糖とバターで作ったもの。正直に告白すると、キャラメルを作ろうとしたのにバタースカッチらしきものが出来上がったという顛末。
材料となったものも、タロシェルが蜂用の砂糖水の配合を間違えたものである。その上、更に煮詰め過ぎてカラメルっぽくなってしまった失敗作を俺が何とか無駄にしないよう工夫を凝らしたに過ぎない。
また、バターとクリームの在庫を所持していたことは偶然ではなく、クロワッサンとディニッシュの試作をしていた日に起こった出来事だからだ。
「勇者様よ。こりゃ、クッキーと同じ風味がするぜ」
「ずっと濃いわよ?」
「ん、バターたっぷり」
「グーはやめとけ。動物性脂肪だから消化できないだろ」
「グゥゥゥ?」
スモールラビは丸々と太った兎と同じく草食。バターもクリームは脂肪だし、消化できない恐れがある。砂糖の粒で我慢してもらおう。
「ニッニィ!」
「きゃぁ」
「うおっ、なんか撥ねたな?」
「……ん、ゆき?」
荷台後方の幌を跳ね上げてミジェナが確認したところでは、雪の塊であったらしい。これまでも何度かあった両脇のどちらかから積雪が崩れ落ちて出来た塊であったのだろう。
「リドリー、無茶しちゃだめよ。貴方だけが頼りなのだから」
シフォンさんが戦車を牽く農耕馬に声を掛ける。
スライム触手の風防に閉ざされ、声が届いているか俺には判別できそうもない。
いや、右の耳が後ろに向いたことを見れば、聴こえていた可能性も高いか。
モリアさんが手綱を握ってはいるが、この老齢馬もミートよろしくとても賢いうまであるらしい。と、いうよりも、この農耕馬の品種自体がとても賢いものであるのかもしれない。
「構わん、そのまま突っ走れ! 少しでも早く拠点を目指せ」
「無茶言わないで、リドリーはお爺ちゃんなのよ?」
「なに、こんだけ気分よく走ってんだ。そのまま行かせてやるべきさ」
「疲れても手はありますから。好きにさせてあげましょう」
そう、手はある。
今や、相棒の触手は四本もある。老齢馬を『収納』して、相棒が漕げばいいだけなのだ。
「ん、お替り」
「一個って言っただろう? もうないぞ」
「……ん」
本当はまだ俺のポーチの中にバタースカッチはある。
だが、甘いものばかり食べさせるわけにはいかないのだ。ミジェナもグーも。




