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第二百八十九話

 テスモーラへと辿り着いた当日に耳にした、とある店主と丁稚の問答。

 今日、オレはその店主に渡りを付けようとひとりやって来ている。ベガやシフォンとは別行動になるが、シフォンならば奔放なベガを野放しにする愚を犯さないと信頼できたが由え。何も四六時中オレが監視する必要もない、と思いたい。


「――ッ!」


 それも、見覚えのあるウネウネとしたナニカを生やした青年を、視界内に捉えるまでの短い間に限ったことではあったが……。


「なぜ、ここにいる? 開拓団は開拓予定地から一日後退した場所に拠点を築いたのではなかったのか? それ以前に雪解けは時期的に早すぎるぞ。どのようにして、テスモーラまでやって来た!?」


 テスモーラに至るまでの道中、ベガの興味の方向を魔王からライアンへとやや強引な手法を用い誘導していた。それはもうギリギリアウトな情報まで持ち出してまでベガの興味をライアンに移し、あと少しでがっちりと固定できそうなところまで漕ぎ付けたというのに。

 ここにきて勇者本人と対峙するなど、オレの努力も何もかも台無しではないか!


「幼い子供を連れているとなると単独行ではないな。誰かしら開拓団員が付き添っているはずだ」


 最悪、開拓拠点にて勇者とベガが対峙するなら問題は無くもないが、事後処理も楽だ。

 ミモザの手紙や部下の報告を踏まえると、開拓団員は良い意味で勇者との親交を深めており、悪い意味では遠慮がなくなったとも評せる。だから開拓拠点内で起こる問題であれば幾らでも融通が利く、はずだ。

 オレは勇者の戦闘に立ち会ったことはないが部下からの報告では、勇者の戦闘は大規模破壊を前提としたもの、であるとのこと。最低でもテスモーラ市街での闘争は阻止しなければなるまい。

 そうなった場合、どれだけの被害が出るか判ったものではない。下手をすれば、テスモーラは文字通り地図から消失する可能性すらあり得る。


 村や街が滅びることはよくあるとは言わないがそれなりにある。多くは盗賊や魔物の襲撃に因るもの。

 そして都市や小国が滅びるということも極めて稀にだが、ある。

 一部は魔物の襲来や戦争に因るものもあるが、大半は超常の者たちの逆鱗に触れた場合だ。勇者絡みで都市や小国が滅亡するのは大概が後者。だがしかし、この勇者は自身でそれを行えてしまうだけの能力を有している。


 もうこうなれば……シフォンを巻き込むしかない、か。

 その前に。


「勇者様、ご無沙汰しております。イラウ冒険者ギルドのモリアです」


「あぁ、こんにちは。えっと……モリアさんがなぜここに?」



 粉物問屋で小麦粉入りの樽を回収した俺とミジェナの下に、タイミング良くイラウ冒険者ギルドマスターを務めるモリアさんが現れた。

 軽く伺ったところ、モリアさんは開拓拠点視察のためにテスモーラで草原の雪解けを待っていたそうな。


「近頃は昼も夜も行列が絶えぬ人気店となっておりまして、厨房の隅で申し訳ないのですが……どうかご海容いただけますよう」


「いえ、ありがとうございます。厨房は以前お借りしたこともありますし、何より暖かいので非常に助かります」


「ん」


「見た目より大物だねえ、嬢ちゃん」


 粉物問屋も食堂も共に盛況だった。

 粉物問屋は従業員が増えており、今回俺たちを食堂へと案内するのに店を閉める必要もない。

 食堂の隅にある従業員が休憩するスペースを借りた俺たちの前には、ホールでの客の注文に合わせ態と多く作って余らせたであろう料理が並び始めた。俺は何も注文してないのだが、ミジェナは無遠慮に食べ始めている。


「ん、あむ。ぅん」


「モリアさんは俺に何か用があったのでは?」

 

「ああ、そう。そうなんだよ! ちょっと問題のある奴を連れていてね。そいつが魔王に興味を持っちまったもんだから困ってんだ」 


「話が読めないというか、意味が分からないので具体的にお願いします」


「困っているのはベガ。シフォンの問題は勇者だけじゃ恐らく解決しないから棚上げにしとく。で、ベガって名に聞き覚えは?」


 ベガ? モリアさんには蒸し訳ないけど、聞いたことなど全くない。

 俺は質問に首を傾げることで答えとした。


「ん、ガヌのおかあさん」


「正解だ。よく食う嬢ちゃん」


「あの二人の母親がなぜ俺に?」


「傭兵仕事で西大陸いたベガとシフォンが久方ぶりに帝都に戻ってみれば、ガヌは開拓団に参加していた。ベガはフィと同様にガヌを溺愛しているんだが、それを以上の思いが強者への憧れにある。今回ベガのお眼鏡に魔王が捕捉さられちまったってわけよ。でな、ベガは強い者とは一戦交えないと気が済まない戦闘狂だ。

 オレはなんとかベガの視点を魔王から逸らそうと、ライアンをゴリ推ししている。あの小僧ならベガ相手でも余裕で叩き伏せることが出来ると考えたんだが……ライアンは一緒じゃないのかい?」


「ん、ライアンはすごく忙しい」


 俺が答える間もなく、ミジェナちゃんがそう答えた。

 最近は俺の弟子、というよりも秘書みたいになっている。


「そうか。なら、あんた、街の外でベガと一戦交えちゃくれないか?」


「ええぇぇぇ!? 嫌ですよ。俺、寒いの苦手なんですから。爺さんで良ければ……ほら来た」


「なぜ、お主が居る?」


「……親父。まどろっこしい話は無し、単刀直入に言おう。ベガが来ている」


「むぅ、ガヌを追ってきおったか?」


「ガヌを追い掛けている以上、制止できなかった。だから無理矢理付いてきたんだが、ベガの興味が勇者に、いや、魔王に向いてしまってな。親父ならわかるだろ?」


「強者を好むアレか、面倒じゃのうぅ」

 

 モリアさんは表情を歪め、アグニの爺さんは頭痛でも堪えるように額に触れた。

 実際にベガという人物の評価は頭痛の種なのだろう。

 

「じゃが、まずは腹拵えが先決であろうの」


「ミジェナに食い尽くされる前に俺もいただきますよ。『箸』」


 雪が降り続けた冬の間、俺とミジェナはライアンに魔法陣の応用と結界魔術を教わっていた。ただ、俺の成果は惨憺なるものだった。

 それは魔力量の問題を抱える俺に、結界魔術を盾として運用することは不可能という結論に至っただけの話。


 アグニの爺さんは俺とそう変わらない魔力量でライアンの拳や蹴りを防ぐ結界を張ることが出来るのだが、ライアンの結界魔術とは異なる術式・方法であるらしい。

 爺さんの術式は極小の円形若しくは四角形を形成することを目的としたもので、強固ではあるが変形に難がある。逆にライアンの術式では強度では劣るものの、変形が容易であるという特徴があった。

 ライアンの術式に於ける強度不足を補う方法として魔法陣の応用を用いる。

 しかし結局は強度をどうこう出来るだけの魔力量が俺には不足するため、戦闘行為での結界魔術を運用は不可能と判断された。

 

 まあ、戦闘では使えなくとも他になら幾らでも使い様はある。負け惜しみではなく、それこそ俺の真骨頂というものだろう。

 それが『箸』であり『匙』である。ただ、摘まむ『箸』と掬う『匙』は良かったものの、突き刺すフォークは強度不足で断念せざるを得なかった。

 俺がライアン式の結界魔術と魔法陣の応用となる直列魔法陣――複数の魔法陣を一列に並べただけ――を用いれば、よく煮えて柔らかくなった芋なら突き刺すことは出来る。ただ、生の芋相手では結界が維持できず、パリンと折れるか砕け散る。


 ライアン式の結界魔術は最初に込めた魔力分の耐久力しか生み出せない。

 空間に配置するケチ魔術『光』と似たタイプの魔術であることから、術の維持にも込められた魔力を消費する。魔力を尽きれば当然消失してしまう。

 また、耐久力を越えた何らかの力が加わればパリンと割れ、維持する魔力が残っていても結界は消失する。


 ただまあ、毎回綺麗で新品の箸が作れるだけで十分だった。

 洗剤がないため食器も水で濯ぐだけ。だから俺は、口に入れるような箸や匙は食事の毎に新しく作り直していた。その手間と材料の無駄を省けるのは正にエコロジーだろう。

 箸は元来食べ物を突き刺すような使い方をしない。肉を切り分ける際も相棒に頼めばいいのだから、抜け道は幾らでもある。


 他にも強度をそこまで必要としないものを作り出すのなら何ら問題はない。

 そのお陰で俺は今までずっと理解不能であった風の魔術を手に入れた。とはいえ、あくまでもそれは日常生活で利用することが前提の魔術ではあるが。


「結界で棒きれを作るのも、棒きれで飯を食うのも器用なものだのぅ」


「箸は日本人の基本ですからね。慣れれば、こんな豆だって掴めます」


「ん!」


 俺のドケチ魔術では円の中に漢字の『箸』でも、ミジェナの場合は異なる。

 そも、ミジェナはまだ練習中で箸を使い物を食べることは出来ないが、結界魔術で箸を作ることは出来ている。それも俺の強度不足ギリギリのなんちゃってとは違い、鋼で出来てるのではないかと思うほどに硬い箸を。

 ミジェナの魔法陣は俺のドケチ魔術の記号版。それは漢字を絵に置き換え、円の中に二本の棒が描かれているだけ。

 保有する魔力量がここまで歴然とした差をつけるのは仕方ないこととはいえ、一応はミジェナの師である立場の俺には立つ瀬がなかった。

 そうはいうものの、ミジェナに暗号や復号を教えるいい機会を得られたとライアンは喜んではいた。


「遊んでないで、さっさと食っちまえよ。ベガの対策を練らないといけないんだぞ?」

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