第二百八十六話
「開拓団に引き抜かれた!? 一体どういうことなのよ、モリア?」
「いや、だからな。フリグレーデンからの荷物を護衛する部隊に同行させたら、キャラバンも含め丸ごと勇者様の開拓団にいる姪に分捕られたんだ。ベガ、ウチは諜報主体なのはお前も知っているだろう? 数の少ない組織戦が可能な実働部隊を取り上げられて、正直オレも困ってんだ」
「寒い中会いに来てみれば、あの娘も居ないなんて……そんなのあんまりよ!」
「(陛下より更に上からの特命を帯び、彼らに勇者様を引き渡すまでの保護を担っている親父の支援に送り込んだはずが、よもや姪のミモザに分捕られるとは笑えない冗談だ。ま、ベガに真実を伝えたとてどうせ信じないだろうし、何より情報漏洩で罰せられたくもない。沈黙は金だな)
そんなことより、シフォンちゃんだったか? もう待ちきれないようだぞ」
私の目の前には、この冒険者ギルドの長モリアさんお手製の温かな食事がテーブル上に所狭しと並んでいる。
アツアツの湯気を立てるスープなど何日振りだろう? フェルニアルダートの安宿で出てきたスープは温かったしな……帝都入り口に建つ、冒険者向けの宿での食事以来かも? それに比べたって十二分に美味しそう。
「義姉さん、話は食べながらでも出来るでしょ! 早く席について、折角の料理が冷めちゃうわ!」
「あんた、ここまでの道中でも何か齧ってたでしょうに」
「奇襲目的の長距離浸透中に食べる糧食よりも酷いナニカと、この美味しそう料理たちを一緒にしないで! ただでさえ硬いパンと干し肉がカチコチに凍って歯も刃も立たないのよ! あれのどこが食事よ? 顎が丈夫な義姉さんには関係ないだろうけど!」
「あんたは『味覚』スキルで貧相な食事でも味を誤魔化せるでしょうが! あたいは我慢して食べてんだからね」
フェルニアルダート近郊の積雪は私のお腹の辺りまであった。
フェルニアルダートからフリグレーデン・イラウ街道の中間辺りから天候がガラリと変わる。降雪量がかなり減り、積雪は膝下までと戦車の走行には支障が少なくなったが、寒さの度合いがそれまでと比べものにならなかった。
分厚くて重いが安価で暖かな馬着を購入していなかったら、老齢な農耕馬のリドリーだって命の危機にあったかもしれない。それほどの極寒。
干し肉に刺した槍の穂が欠けるという嘘のような真実。少なくなったとはいえ降雪があるため火も起こせず、干し肉も硬パンもしゃぶりながら溶かして飲み込むを繰り返すのみ。
そんな環境に置かれていたのだ。文句のひとつくらい言いたくなる。
「ちょっとモリア! なに、このパン? 本当にパン? 嘘、なにこれ」
「どうしたの、義姉さん? パン? うわ、ふわふわしてる」
「お前ら、帝都からフェルニアルダート抜けてきたんだろ? なぜ知らない」
モリアさんは何を言ってるのか?
帝都で泊まった宿は安くとも悪い宿ではなかったが、こんなパンは食事に出てこなかった。出てくれば絶対に覚えている。それだけの衝撃がある。
フェルニアルダートでは懐具合を鑑みての安宿、語るべくもない。
「柔らかいパンを最初に提供し始めたのはフェルニアルダートの宿屋。オレは任務でテスモーラに出向く機会があって、やたら人気のある食堂で買ってきたんだぜ。聞くところに依ると勇者様と何かしらの取引があって、その見返りに提供された製法らしい」
「やるわね、勇者」
「勇者様はパン以外にも多くの美味いものを各地で作っているそうだ。フリグレーデンでは酒を仕込んでいたとも聞いたな。テスモーラの宿屋で売っていた高級焼き菓子も少量だが買ってある。食後に茶と共に出そう。
で、ここで先刻の話なんだが……引き抜かれたキャラバンと護衛は誰も戻ろうとしない理由がこれらにある。胃袋をがっしりと掴まれちまったらしい。ま、フィはガヌが目的だろうがよ」
「勇者、恐ろしい子」
「あとは、とんでもない破壊力のある武器を作ったという話も聞いている。そいつはワイバーンを一撃で仕留められる威力があるそうだ」
「「……」」
私は傭兵だから基本魔物の相手はしない。移動中や行軍中に邪魔になるようなら排除したりはするけど。
ワイバーンって、空飛んでる大きな魔物でしょ? それを一撃ってどういうことなのよ!?
「義姉さん、魔王に喧嘩吹っ掛けるのやめない?」
「やめておけ、ベガ。あれの相手は無理だ。強さの階位が大きく異なる。開拓団を襲った盗賊団の主力は一個中隊ほど居たと聞くが魔王が一瞬で殲滅している(正確には、それが今代勇者なんだが)」
「なによ、それ! ひとりで戦争が出来るじゃない」
「そうだ。だから傭兵ひとりが食って掛かったところで何の意味もない」
うわぁ。魔王は、本物の化け物じゃないの。
義姉さんがガフちゃんに渡してある兄さんが作った魔剣を手にしても、勝ち目が一切見えないわ。中隊を一瞬で殲滅って時点で意味わかんないし。
「それではお前も収まらないだろうから、他の相手を見繕ってやる。ライアンという名の小僧に相手を頼んでみろ」
「小僧ですって? あたいを馬鹿にしてるのかしら?」
「あの小僧は凄いぞ。クソ親父と本気でを殴り合える。たぶん、ベガよりもずっと強いだろうな。開拓団には小僧以外にも団長とパム、ホーギュエル伯爵にクソ親父も参加している。不満ならクソ親父とでも試合え、それで我慢しとけ。魔王には手を出すな。魔王も怪我くらいで済ませてくれるだろうが、色々と問題があるからな(勇者に喧嘩吹っ掛けたと漏れれば、帝国内でのガヌの外聞が悪くなる)」
「あの爺、まだ生きてたのね」
義姉さんの交友関係は広いと知っていたけど、撲殺ヒーローアグニと知り合いなの?
モリアさんも魔王と戦わせるのには反対で助かった。でも子供を対戦相手に推すなんて、何を考えてんだか。
「よし、食い終わったな。茶を淹れてくる。覚悟して待ってろ」
「何の覚悟よ?」
ここは冒険者ギルド内のモリアさんの執務室。
今食べ終えた料理も別室から運び込まれたもの、お茶を淹れるとなれば竈がある場所へ移動する必要はあるのだろう。
何に対しての覚悟が必要なのか、私と義姉さんは不思議に思うしかなかった。
◇
「ひとり二枚。特別だぞ」
モリアさん曰く、勇者直伝の高級焼き菓子。
小さく薄い小麦が香る円形のそれ。
「焼き菓子なんて初めて食べるわね」
「南方大陸に菓子はないのか?」
「あるわよ! 失礼ね。今までは食べようと思わなかっただけ」
「……」
さっくりとした食感に小麦の香りとミルクっぽい何かの風味。
ヤバい。二枚しかないのが惜しい。もっと食べたい!
「ちょっと何なのよ、これ! こんなに美味しいものがこの世にあったの?」
「宿屋も製法は明かせないとさ。材料に開拓団謹製の特殊な調味料が必要らしい。十枚入りの小袋で先刻食べたパンが五個買える値段だと言えば、価値はわかるな?」
「うわぁ」
「他にも開拓団の毎度の食事に限定されるが、数多くの菓子や料理があると姪からの手紙に書かれていた。例えば夏場にアイスクリームなる初見の氷菓子や卵をふんだんに使用したプリンなる不思議な食感の菓子。硬パンを削った粉を塗して油脂で揚げるというカツという謎料理、大きく育ち過ぎた農村の守りの土蜘蛛を使ったクリームコロッケという料理など様々なものがあるらしい。オレも一度仕事が落ち着いたら、開拓予定地にむかうつもりだ。任務に託けて調査に赴くというのもありか……」
「なら、モリアも一緒に行く? 娘を乗せるつもりだったから、一人なら乗れるわよ?」
「う、うーん。極寒のこの時期にフリグレーデンを訪れる者は少なく、イラウに滞在中の他国の者も皆無。開拓地の視察ということにすれば何とか……なる? 明日、明後日までに引継ぎを済ませる! それまで待てるか?」
義姉さんがまたおかしなことを言い出した。
ガヌ君が参加し、ガフちゃんが引き抜かれた開拓団を追い掛ける旅に、モリアさんを加えるという。モリアさん本人が納得できるなら帝国民でない私はどうでもいいのだけど、モリアさんの仕事はそれで本当に大丈夫なのだろうか?
「ごはん、ご馳走してくれるならいいわよ?」
「もちろん! ただ、もう焼き菓子はないぞ」
「なんでよ! あれが無いならモリアは連れていけないわね」
「あれが最後だったんだ。ここから開拓予定地に向かうならテスモーラを経由する必要がある。私なら勇者様の開拓予定地の所在を教えられているが、噂を頼り開拓団の足取りを追うなら余計な開拓村に寄ることになる。お前らは確実に気分を害することになるだろうなぁ」
「モリアさん、何があったの?」
「開拓村近くの平地にワイバーンが巣を作ったそうでな。それを魔王と勇者様の武器で駆逐したのだが、村人にちょいと問題があってさ。開拓団は早々に離脱せざるを得なかったらしい」
「はぁ、強すぎたが故に畏怖されたのね」
「そういうことだ。そこに熟達の傭兵であるお前らが立ち寄ればどうなるか。ま、似たような扱いを受けるのが関の山だろう」
「焼き菓子がないのは口寂しいけど、待ちましょう。ごはんと寝床は頼むわよ」
「オレの家に迎えよう。フィを出て行って以来、どうなってるか見てもいないがな」
「何よ、それ?」
「オレ、ここに寝泊まりしてるからよ」
執務室には部屋の大きさに合わない大きな暖炉がある。
やや大きめのソファには何枚もの毛布が雑に重ねられてもいた。
薪代を冒険者ギルド負担とすれば、懐が痛むこともないだろう。せこいけど、よく考えられている。
傭兵仕事での転戦と、その合間にある貧しい暮らしの私も理解できる節約術。
他人のお金で暮らす、それは何と幸福なことだろう。




